舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」で「楢山節考」を観た

カテゴリー │演劇

4月29日(月祝) 16時~

前日18時30分からの「友達」は夜の野外劇場だったが、
この日は同じく日本平の中腹にある舞台芸術公園だが、室内のホールだ。
前日は冬用のジャンバーを着、この日は春秋用のジャケットを着る。
車で行ったからこそ、そんな切り替えが出来る有難さ。
昼間だったらもっと暑い。

楕円堂の開演を待つ時、靴を脱ぎ、待合所に通されるが、
ここが楕円形の縁側のようで、妙に人との距離が近い。
先に行こうとすると居る人の前を通り過ぎるし、
行先から人が来るときはそれを避けなければならない。
知り合いなどいたりしたら、思わず井戸端会議になるだろう。
まわりに気を遣うので大声にはならない。
内緒話のように、開演を待つ。

「楢山節考」は深沢七郎による1956年作の小説。
高校一年の時、国語の授業で、課題図書であったか何かで、
文庫本を購入した記憶がある。
夏目漱石の「私の個人主義」や坂口安吾の「堕落論」も同様に購入したような気がする。
各自読んだ内容を元に授業を受けた記憶はないので、
「読むといいよ」と勧められただけかもしれない。

ということで「楢山節考」の文庫本が書棚にあると探したが、なかった。
記憶違いか、どこかで紛失したのか。
定かではないが、思わずネットで購入した。

開演前に作品の紹介があり、「説話であり小節」であるということだった。
また生きるために「食べる」という絶対量が少ないというのが前提なのだという。
現代の日本とは違う、民間伝承の姥捨て伝説を描いている。

制作はSCOT。
鈴木忠志さんを中心に1966年新宿で創立した早稲田小劇場が、
1976年、富山県利賀村に拠点を移し、演劇活動を行っている。
「楢山節考」も利賀村にて制作されたという。

上演台本・演出は演劇ユニット「ミナモザ」主宰の瀬戸山美咲さん。
森尾舞さん、西尾友樹さん、浜野まどかさんの3年の俳優と
五十嵐あさかさんの音楽・チェロ演奏で上演される。

小説の地の文は俳優の語りで演じられる。
そして会話文はセリフで演じられる。

太鼓を叩くような音が一定の間隔でする中、
おりんを演じる森尾さんと、息子、辰平を演じる西尾さんがゆっくりとゆっくりと現れる。
1週間前に能を観てきたせいで、ああ、これは能の出方かなと思う。

間を怖がらないのだ。
順序だてて、ひとつひとつ必要な仕草を提示していくのだ。
元プロ野球選手の落合のバッターボックスのように。

音楽の五十嵐さんは太鼓の様な音をチェロで出していたのか?
途中、チェロのボディーを打楽器のように使い演奏していたので、
そうだったのかもしれない。
僕の席は、下手側(客席から見て左側)の前の方だったので、上手に位置する演奏者からは遠い。

山深い場所にある村には、食べ物が限られていて、家族が増えれば、暮していけない。
嫁が来たり、子が生まれれば、誰かがいなくならなければならない。

楢山には神が住んでいるという。
盆の前夜、楢山祭りがあり、山の産物、白萩様と呼ぶ白米、どぶろくで夜中大騒ぎをする。

楢山に行くには二通りあり、ひとつは山へ焚き木取りなどに行くこと。
もうひとつは、行ったきり戻って来ないこと。
その時、雪が降ると運がいいという。
それを「楢山まいり」という。

おりんは70歳になろうとしているが、元気で、歯が丈夫で、
まわりからは馬鹿にされていた。
年を取れば、歯はボロボロで、いつ「楢山まいり」に行ってもおかしくはない。

おりんは丈夫な歯を恥じ、自ら折ろうとする。
俳優は客席に背中を向け、石臼に歯をぶつけるという演技をして、
振り返ると、口の中は真っ赤。
俳優は誇らしげに声をあげて笑う。
自らのぞんで、山に捨てられに行こうとしているのだ。

しかし、息子の辰平は心優しく、母親を山に行かせたくはない。
何年か前に妻を亡くしたが、
ちょうど夫を亡くしたばかりの玉やんが後妻として、やってくる。
それはおりんが心から望んでいたことだ。
辰平の息子、けさ吉は近所の松やんと仲良くなり、子を宿し、家族が増えようとしている。

世界は広いが、この村は狭い。
狭い世界の中で、倫理が決められていく。
それは世界の常識ではない。
ここだけの常識。

でもそれはこの時代のこの場所だけではない。
自分がいる場所もナニカに縛られているのではないか。

その中で、懸命に生きる人たち。
辰平がおりんを背負い、楢山に入っていく場面から徐々に情緒的になる。
状況に対して、母子の心の交流がひしひしと伝わるからだ。
子の背と母の胸は密着している。
考えてみれば、子が生まれた時は、逆だったのだ。

あたりは山。
楢の木ばかりになる。
前夜、村の人たちの言いつけ通り進んでいく。
「山に入ったらものを言わない」
「誰にも見られず出て行く」
「山から帰る時は振り返らない」

山に入り、死んだ人たちがあちらこちらにいる。
生きているのは二人とからすばかり。
どの場所も死体で埋まっている。
やっと空いている場所があり、
おりんは、背板から降ろせとバタバタする。

持ってきた白萩様のおむすびをおりんに渡すが受け取らない。
辰平はおりんを残し、去っていく。

帰り道、雪が降ってくる。
辰平は言われたおきてを破る。
振り返り、おりんの元に立ち戻る。
雪が降って来たことを伝えに来たのだ。
「雪が降って運がいいなあ」

おりんは手招きで帰れと促し、
辰平は踏ん切りがついたように山を駆け降りて行く。
もちろん、踏ん切りなどついてはいない。

「楢山節考」を利賀村の山で創った。
そして、有度の山で演じた。

といっても、決して閉ざされてはいない、
開かれ、山らしき場所にある作られた芸術的エリアなのだ。
僕たちはそんなバーチャルな山の中で演劇を観る。
これはとても恵まれていることなのだと思う。

帰りには駅まで送迎するバスが待ち構えている。
僕は車で来ているので、数分山道を歩いて、駐車場に戻る。
ネオンが点在する場所へはすぐ辿り着く。
演劇の非日常から日常へ戻って来たのだろうか?

カーテンコールが1回のみだった。
それはいつもの上演では珍しいがこの日はふさわしい気がした。

舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」で「楢山節考」を観た



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