はままつ映画祭ハママツ・シネマ・ワークショップ2014に行った

カテゴリー │映画

29日(土)木下恵介記念館と鴨江アートセンター101で行われた。

観た作品

◎「スタート!」というテーマで公募された作品から、19作品
◎映画祭スタッフ特別出品作品
◎招待作品の蓼科高原映画祭 短編映画コンクール受賞作2作品
◎河瀬直美監督作品「美しき日本・奈良」~たゆたふ日本~


11時から17時半過ぎまで。
あ~観た観た。
ちなみに19作品の中のAプログラム(A~Dまである)「お化け はじめました。」に出演させてもらった。
明日も同じ場所で開催される。





 

長久手市文化の家でオフィス300「天使猫―宮澤賢治の生き方―」を観た。

カテゴリー │演劇

24日(祝)18時~
車に乗せてもらって、何人かで行った。

作・演出及び出演もした有名演劇人の渡辺えりさんが東北大震災後、初めて書き下ろした作品で、
初演は2012年5月。
今回は再演で、配役が一部変わり、
東京の他、盛岡、石巻、福島、仙台、山形の東北地方その他各地を旅公演する。
愛知(長久手)もその一環で、カーテンコールで、渡辺さんが話していたが、
ご本人の作品の公演は30年ぶりということだった。

副題に「宮澤賢治の生き方」とある。

僕が一番思ったこと。
震災から3年以上たつのだ。
来年3月11日が来れば、丸4年なのだ。

震災直後に、震源から離れた場所ではあるが。
主に映像や印刷物ではあるが、
感じた時の気持ち。

その時と今は、まるで違うのか。

東北出身の渡辺えりさんと、僕は、まるで違うのか。

同じだと思っていた。
その時は・・・
3年以上4年未満前は。

でも、違ってもいいのだと思った。
違うということから、考えてみる。

隣りの国の人とも違う。
遠い国の人とも違う。
別の時間の人とも違う。

もちろんキミとも違う。
違うことから始めよう。
そう思った。

同じへの道である(かも)ということは
言うまでもない。

ちなみにこの作品には渡辺えりさんの演劇塾の若者たちが出演している。
彼ら彼女らは、一様に白い服を着ていて、
背中にはごくごく小さい羽根が生えていた。
未来を託した生まれたての天使の意味かもしれない。




 

クリエート浜松でムナポケ「わがゴミ」を観た

カテゴリー │演劇

23日(日)16時30分~
ムナポケの正式名称はMUNA-POCKET COFFEEHOUSEである。
考えたら、劇団名と言うより、喫茶店の名前だなあ。
「代官山にMUNA-POCKET COFFEEHOUSEがオープンしました」
でも違和感ないもんなあ。
写真中心のおしゃれなフリーペーパーでとりあげられていました。
オリジナルのブレンドコーヒーにこだわりがあるのはもちろんだけど、
もっとこだわっているのが、マスター特製のチーズケーキ。

ネェ―マスター つくってやってよ 涙忘れるカクテル
ネェーマスター うたってやってよ 痛みをいやすラプソディ
ネェーマスター ネェーマスター ネェーマスター
ハヤク
(すみません。突然清水健太郎「失恋レストラン」より)

喫茶店でも、もちろん失恋レストランでもないMUNA-POCKET COFFEEHOUSEは
この日は演劇をやった。

案内人(プログラムでは“ある人”とある)が語り、全体を紹介する形は
タイトルである「わがゴミ」の下敷きに違いないソーントン・ワイルダーの「わが町」に準じる。

起こる出来事はただひとつである。

序盤から、案内人の「ドロドロドロ」という言葉に合わせ、
舞台上に同時に立つ4つの異なる時間をそれぞれ生きる者たちが
共時的にドロドロドロと溶ける同じ動作をする。
それが物語の進行途中で、何度か繰り返されたが、
そのタイミングは、案内人のタイミングに任されていたと思う。
そのあたりはかなり恣意的だ。
ただし、僕はそのドロドロドロの意味が長くわからなかった。

わかったのは唯一とも言える出来事が起こったときである。
そこで、この物語がレクイエム(鎮魂歌)であることを知る。
レクイエムにふさわしい音が流される。
レクイエムにふさわしい明かりがあてられる。

やはり失恋レストランだったのだ。
ネェーマスター うたってやってよ 痛みをいやすラプソディーを。





 

クリエート浜松で浪漫座「浪漫座版 真夏の夜の夢」を観た

カテゴリー │演劇

16日(日)16時~
浪漫座は55歳以上を入団条件とするシニア劇団である。
シニア劇団は、高齢化社会の現代、需要があり、全国のあちこちに存在する。
とはいえ、同年代の方々がやっている他の趣味団体の中では、参加している人数は少ないと思う。
例えば、合唱。
例えば、踊り。(日本舞踊とかフラダンスとか)
例えば、楽器の演奏。(オカリナとかハーモニカとか)

演劇はけっこうやることが多岐に渡る。
演目を決めると、
配役を決めなければならない。
役を与えられれば、セリフを覚えたりはもちろん、相手役も交え、練習をしなければならない。
ダンスシーンがあればダンスの練習をしなければならない。
歌うシーンがあれば歌の練習をしなければならない。
普段着で賄えない役の時は、衣装もどうにかしなければならない。

今回の演目の題材はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」。
世に出ている翻訳の台本をそのままやるのではなく、
「浪漫座版~」と称して、自分たちで、セリフも考える、というのが今回の公演の特徴。
つまり、やることが多岐にわたる上、セリフを考えることも足されたわけだ。

でもこれらもいきなりというわけではない。
浪漫座公演も第7回ということだ。
継続と言うのがある。
ずっとやっているメンバーも多い。

浪漫座は毎週木曜13時30分から16時まで練習を行っている。
平日の昼間、こつこつと継続しているのだ。
55歳以上と言うのが入団条件であるが、
もうひとつ必然の条件が出てくる。
「木曜の昼間、仕事に従事している人は参加できない」
そのかわり、その時間、比較的余裕がある人にとっては好都合の練習日程となる。
土日はやはり、家族や友人と過ごしたい。
街中やイオンに買い物に行きたい。
「木曜午後って最高!」なのだ。

浪漫座は多岐に渡る演劇の要素を個人と集団の力でこなしていく。
公演には、一族郎党、友人その他が観客としてかけつける。
そして舞台上の役者たちの一挙手一投足に拍手を送る。




 

劇団青い鳥A・SO・BO塾公演「便利屋のお仕事~喧騒のboileroたち」を観た

カテゴリー │演劇

15日(土)11時30分
川崎市アートセンター 小劇場アルテリオ

劇団青い鳥A・SO・BO塾は劇団青い鳥の主宰者である芹川藍氏を塾長として2006年に開講。
表現することの楽しさ、新鮮さ、難しさを体験し、その集大成である公演は今回が10回目である。

いわた表現の会からころが生まれたきっかけである
自己発見表現講座は芹川藍氏を講師に磐田市で2期行われた。
2002年~2003年のことである。
1期の際、集大成の公演が行われ、タイトルを「OMOU」という。

A・SO・BO塾の第1回公演のタイトルは「OMOU’07」。
毎回受講生はあらためて募集される。
新しいメンバーもいるが、継続して受講しているメンバーも多くいる。
継続することは重要だ。
当然人生は途切れ途切れで生きているのではなく、
継続して生きている。
日々A・SO・BO塾だけで生きているのではない。
仕事をしたり、
家族と過ごしたり、
友人と過ごしたり、
その他のことをしたりしている。

今回の公演のタイトルは「便利屋のお仕事~喧騒のboileroたち」
便利屋とは、商売であり、金を稼ぐための生業である。
ただ、便利屋に仕事を依頼する人にとっては
「神の助け」かもしれない。

カラオケの相手をすることだって、
お化け屋敷のお化け役をやることだって、
オレオレ詐欺防止の啓発をやることだって、
懸命に、要望通り、演じているさまは
仕事ではあるが、
役に立ちたいと願う根源的な行動のように思う。

公演の最後に塾長の芹川氏がこんなことを言っていた。
「つくづく、人は表現したい生き物なんだと思いました」
(※正確な言葉がちがうかもしれません)

「表現したい」とは《自分中心》のように思うが、
自分以外の他人があってのもので、
けっこう《人助け》のようなものに近いかもしれない。







 

クリエート浜松ホールで雪解カンガルー「はしご」を観た

カテゴリー │演劇

9日(日)17時30分~

もしかしたら・・・
の推測の域を出ないが、
外からやってくる娼婦役の役者と
内に閉じ込められている少女役の役者は
当初は逆の役だったのではないか。

チラシを眺めてたらふと思った。
娼婦役の役者は緑色のブーツを履いている。
対して、少女役の役者は赤いパンプスを手にしている。
あえて、互いの靴を交換させたのだろうか?
でも、そんなことする意味があるか?

この真偽は定かではないし、そんなことを推測するのを
当事者たちは望まないだろうが、
当初3人の役者による芝居だったのが、
2人芝居に変更された。

このことは、入場時手渡されたチラシとともに挟み込まれた
小さな「お詫び」と書かれた案内で触れられていた。

俺は思った。
白いコピー紙の何でもない案内だが、小さな紙は意外と目立つ。
一緒に多数挟み込まれた他の演劇公演のチラシにゆっくり目を通す間もなく、
3人芝居じゃなく、2人芝居か~、の情報が深く頭に残ったまま、
音楽が入り、70分の2人芝居が始まる。
ガラガラガラという効果音は、まん中にそびえるはしごが
観た目の長さ以上の長さに感じさせる。

3人というのは、ドラマが生まれやすいと言われる。
「三角関係」という言葉があるように
「三すくみ」という言葉があるように
かつて女1人、男2人の「ドリカム編成」という形があったように

3つの役を2人でこなしたのであるが、
工夫されていたと思う。
「工夫」と言うのは
この劇団を表すのにふさわしい言葉だと思う。
そうなのだ。
あちこち工夫が施されているのだ。
言葉を筆頭にして。





 

浜北文化センターで「はままつ演劇オムニバス」を観た

カテゴリー │演劇

11月2日(日)  浜北文化センター小ホール

はままつ演劇オムニバス
14時30分開演
上演時間各およそ1時間

それぞれ一言感想

演劇集団浜松キッド「ウルトラさん」
~ウルトラマンならぬウルトラさんを巡る小津安二郎の映画的サラリーマンコメディ。
  
T34-85「狂人日記」
~ロシアの文豪ゴーゴリの短編小説を丹念にひとり芝居化し、浜松の地にて上演。

FOX WORKS「舘山寺殺人事件」
~熱海殺人事件の劇構造を借りているが、なかなかどうして創り上げたのは自分たちの劇世界。

絡繰機械’S「砂漠のホネ」
~もはやコンテンポラリーダンスを観ているかのようで、どうとらえるかは私次第。

なかなかスリリングな観劇体験だった。

文章にすると以下の通り。

1本目を1時間座席に座って観る。
座席を立ちしばし休憩する。
2本目を1時間座席に座って観る。
座席を立ちしばし休憩する。
3本目を1時間座席に座って観る。
座席を立ちしばし休憩する。
4本目を1時間座席に座って観る。

でも、そこにいろいろ詰まっている。
僕が休憩している時には幕の内側ではあわただしく次公演の用意がなされている。
楽屋にもまだ上演を控えている人がいる。
すでに終えた人もいる。
入れかわる客もいる。
ずっといる客もいる。
その中にも席を替わらぬ人もいる。
席を替わる人もいる。
受付もあわただしく入れかわる。
僕が帰っても、まだ片付けをする人たちがいる。





 

浜北文化センターで静岡県高校演劇西部大会を観た

カテゴリー │演劇

10月26日(日)
浜北文化センター小ホール

高校演劇西部大会を観た。

10時~海の星
11時15分~浜松北
13時~磐田南
14時15分~浜松工
15時30分~浜松市立

すでに他の高校の発表は終わっていて、
この日が西部大会の最終日。
最終日ということでパンフレットの数がなかったのか、
資料は手渡されなかったので、
タイトルがわからない作品もある。
浜松市立は安部公房の「棒になった男」をテキストに使っていて、驚いた。
昭和の時代の雰囲気が演技他から現われていた。
まるで大人の様だった。

別の日も含めた中から何校かが、県大会に進むが、
どこが進んだかは、部外者の僕にはわからない。

あ、静岡新聞とか、中日新聞とかの地域欄には結果が掲載されるのだろうか。
高校野球とか運動関係は、掲載されるよなあ。

温泉施設のサウナに入っていた時に、
前日観に行った高校野球の試合の話をしていた人がいたが、
高校野球ファンの人はけっこういると思う。
身内に高校野球関係者は誰もいないにもかかわらず。
高校演劇ファンもとうぜんいていいと思う。
無料でどなたでも観れます。
そして、県大会に進むための予選とも言えるので、
とうぜん真剣勝負です。