第39回静岡県高等学校演劇研究大会へ行った

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

■平成27年度静岡県高等学校総合文化祭演劇部門第39回静岡県高等学校演劇研究大会へ行った                          
                                            フィールド 寺田景一  


タイトルは長いが、パンフレットには、そう明記されていた。
ちなみに、高校野球では、夏は、第97回全国高等学校野球選手権大会。
通称「甲子園」。春は、第87回選抜高等学校野球大会。
通称「甲子園」。
浜松では、第61回浜松芸術祭はままつ演劇・人形劇フェスティバル2015。
通称「劇突」(いずれも回数は直近のもの)。
平成27年度静岡県高等学校総合文化祭演劇部門第39回静岡県高等学校演劇研究大会は、通称「県大会」なのだろうか?
「県大会」(以降そう呼ぶ)は初めて観る。
ここにコマを進める前の大会である「西部地区大会」は何度か観たことがある。
一番初めは、東京の学校を卒業して、浜松に戻ってきた年に今ZAZACITY西館、旧西武百貨店8FにあったCITY8(シティエイト)という小さな
ホールである。
その際は、ふと、観ようと思った。
そこで、僕は野田秀樹の戯曲を使用した演劇を初めて観た。
タイトルは野獣降臨(のけものきたりて)。アポロ11号だのアポロ獣一だのヒューストンだのあばら骨がどうのと、種々言葉が無軌道に照射され、当然のように僕には意味は不明で、へえ~と思いながら、ただただ舞台を眺めていた記憶がある。
その日、次いて観た高校は、同様既成台本であったが、いわゆる当時流行っていたような台本ではない。
おそらく、顧問の先生が選んだんだろうな~という印象。
演技は、感情表現をやろうとしているなと思いながらも、方法が少々画一的な感じで、あ~、先生やらせてるな~という感じ。
こなれる手前だったかもしれない。
どちらも高校名は覚えていない。
女子ばかりだったので女子高か?
他も観たかもしれないが、この2本が好対照だったためずいぶん前のことだが、記憶に残っている。
それから、ふと観ようと思うことはなく、(というより、CITY8は商業施設なので、情報をふと見る機会もあり、公共施設での開催の場合、よっぽど意識していないと、高校の部活動の一環の演劇公演が開かれることなど、気が付かないだろう)何年も過ぎる。
以前所属した劇団で一緒だった榊原さん(のちにフリーランサーという小劇場を呼ぶグループをお立ち上げる)という方が、頻繁に高校演劇を観ているというのを聞き、あいホール(中区幸)に一度観に行ったことがある。
失礼ながら、高校名も内容も覚えていない。
ちなみにフリーランサーは全国大会最優秀賞の高校を浜松に招聘して公演を行ったことがある。
その後は、ここ最近である。「劇突」で、高校演劇と関わりを持つようになってからだろう。
それでも、観るのは、「西部地区大会」。
今回は、以前、「劇突」にも企画で関わっていた加藤さんが、現在伊東高校の演劇部顧問を務めていて、一本の電話をいただいたことに端を発する。
「浜北文化センター大ホールで行われる県大会に出ます」。
11月21日の教えてもらった伊東高校の開演時間は、静岡文芸大での演劇公演「MASK」を予定に入れていたので、残念ながら行くことは出来なかった。
「県大会」は翌22日も行われ、静岡高校、富士高校、開誠館高校の三本を観て、二日間を通じての講評、審査を聞いた。
審査では、伊東高校が、最優秀賞に選出され、全国大会の手前の関東地区大会に進む。
講評、審査を聞いたのは、静岡県西部演劇連絡会が受け持っている「劇突」の高校演劇選抜公演の講評、審査の参考になれば、と思ったこともある。


静岡県西部演劇連絡会会報12月6日号より






 

浜北文化センター小ホールで絡繰機械’S「戯ガーデン」を観た

カテゴリー │演劇

22日(日)17時~。

「戯ガーデン」とは何だろうか。
「戯」は「たわむれ」と読む。
これは非常に土俵が広い。

例えば、戯日本と言ってもいい。
戯教室、戯家庭、戯会社、戯自分、戯世界、戯宇宙、戯未来、戯〇〇・・・。
言わば、何でも当てはまる。
すべては「たわむれ」で出来ていると言うことは出来る。

戯れで出来ているのだから、
作る人が、
「戯れで作ってしまった、。アハハ(笑)」
というのは、あたりまえのこととも言える。
権力を握る裳のの特権であるからだ。
思うように、出来るということも。

世界は神様が作ったと信じる文化ならば、
世界は神様が戯れで作った。
ひとつの国も、時の権力者が戯れで作った。

そこに罪があるとするならば、
その無邪気な戯れに、下の人たちが
影響を受けるからだ。

国の為政者にとっての国民。
社長にとっての社員。
家長にとっての家族。

社会はとりあえずそれぞれが主体的に生きているので、
そう単純ではないはずだ。
ただし、時に、社会は、至極単純なのではないかと思ったりする。

権力者と非権力者。
支配者と被支配者。

ニュートラルはないのだろうか。
砂漠のオアシスは。
森の泉は。

庭作りは具体的な作業が伴う。
場所を確保することが前提となる。
そのままと言う手もあるが、
多くは、手入れをする。
好みの植物があれば、種をまき、育てる。
土に手を加える。
どこかから持ってきた石を置く。
池を作ったり、滝を作ったり、
鯉を泳がせたりする。
ししおどしを置く。
日本寄りになったが、国が違えば、違う庭がある。
隣りに行けば、違う庭がある。
ほんとうはこんなに複雑なのだ。

この芝居では当然のように
結論は示されない。
ただ、客席に座る観客に、
無造作に状況が提示されるのみ。

そういえば、戯曲の「戯」も戯れ(たわむれ)だなあ。