10月27日は、はままつ演劇フェスティバル2019のオープニングイベントだった。

カテゴリー │演劇

はままつ演劇フェスティバルのオープニングを飾るオープニングイベントが
クリエート浜松ふれあい広場で11時から行われた。

以前は、はままつ演劇・人形劇フェスティバルと言う名称で、
人形劇部門と演劇部門のふたつが同じイベントとして
開催されていた。
実行委員会では同じテーブルに並び、
運営を行っていた。

しかし、数年前、
改変があり、
文字通り、袂を分かつことになる。
はままつ演劇フェスティバルと
はままつ人形劇フェスティバル。
10年以上さかのぼり、
かつての形に戻ったとも言える。
経緯などは触れないが、
演劇部門の形もそれに伴って変わったところもある。

観客席に座りながら、
司会者の進行や各劇団のPR等を観ていた。
ああ、始まるのだな。

終了後、
同じクリエート浜松で行われていた
浜松写真連絡協議会の展覧会へ行き、
また、
浜松街中周辺で行われていた
ハママツ・ジャズ・ウイークの
ストリート・ジャズ・フェスティバルを聴いた。

ザザシティ中央館でリズム&ブルースとサルサ。
そして、
かじまちヤマハホールへ行き、
15時からのフィリピンのマリア・ロウルデスさんが
ボーカルをつとめるJML jazz Bandの
演奏から席についたら、
結局、会場で大トリのバンド演奏が終わる18時までいて、
6組のバンド演奏を聴いた。

静大生のバンド、
世代を超えて結成したバンド、
横浜から来たバンド、
ダンスとコラボしたバンド、
リーダーがギターのバンド。

やはり、
どこか、やる意味を考えながら
聴いてしまう。
もちろん楽しみながら。





 

10月26日は路上演劇祭の為の街歩き&実行委員会

カテゴリー │路上演劇祭

土日は浜松市の街中へ行った。
26日(土)は路上演劇祭の街歩き&実行委員会の為。
27日(日)ははままつ演劇フェスティバル2019のオープニングイベントの為。

どちらも自転車で行った。
我ながら思う。
自転車で行くのにちょうどいい距離。
約4キロ。
遠からず近からず。
本格的に走りたい方には足りないだろうが、
こちらはサイクリングの意思はない。
目的地へ赴く為の交通の手段なのだ。

路上演劇祭の街歩きは
来年実施の為の場所探しが目的である。
9月7日(土)にも行い、
今回が2度目である。
有楽街あたりに目標を定め、
再度確認の為の街歩き。

有楽街の真ん中あたりにある松竹ビル前に集まる。
秋のこの時期、街中ではイベントが重なっている。
ハママツ・ジャズ・ウイークが行われている。
こちらは第28回である。
街中を中心にあちらこちらでジャズ演奏が行われる。

浜松OPEN ARTも行われている。
こちらは第3回である。
街中を中心に絵画などあちらこちらでアート作品が展示され、
パフォーマンスやシンポジウムも行われる。

路上演劇祭に例年参加しているひらのあきひろさんは
浜松OPEN ARTにも参加している。
街歩きの最中も“実は”パフォーマンス中。

有楽街では2012年5月19日に路上演劇祭を行った。
この時は、老舗パン屋さんが経営していた喫茶店跡地が
一定時期、街中活性化の為に解放されていて、
その場所を主開催場所として活用させてもらった。
しかし、そこは今は建物が建ち、カラオケ店となっている。

路上演劇祭を開くにはパフォーマンスが出来そうな
場所をあらたにさがす必要がある。
有楽街を歩くとともに、
以前お世話になったはんこ屋さんや
商店会会長の自転車屋さんにおじゃまし、
あいさつをした。

その後、ZAZA中央館1Fのフード・カフェコーナーに場所を移して
話合い。
僕は近頃
やろうとしていることが、
いったいだれのためになるのだろう
と考える。

逆に言うと
観ているもの、
やっているものが、
いったい「何のためにやっているのだろう」
と考えてしまう。

ある意味、
楽しむのも忘れて。





 

浜松城公園石舞台でFOX WORKS「近代能楽集 弱法師」を観た

カテゴリー │演劇

10月14日(月・祝)20時~

前週末土曜の台風が明けて、翌日の日曜は晴れていた。
台風は中部・関東・東北に痕跡を残し、
被害に遭われ、対応に追われている方も数多くいた。

にも拘らず、生活は継続する。
それぞれの予定をこなさなければならない。
それが生活を送るということだ。

10月からの消費税増を前に
先月、自転車を購入した。
以前所持していた自転車をなくし日が経つこともあり、
そこそこの距離なら「自転車で行くぞ」
という意気込みがある。

夜8時からという演劇公演としては遅いスタートの
「近代能楽集・弱法師」を観るために
自転車に乗って自宅を出た。

台風が来るまでは
ネットで天気予報を1時間刻みで気にしていた。
ところが過ぎ去ってしまうと
すっかり油断していた。
しばらくは台風一過の晴れが続くものと思い込んでいた。

向かう途中で雨が降ってきたのだ。
引き戻すことも頭をよぎった。
道中、雨に濡れるからだけではない。
今から観ようとしている芝居は
野外劇なのだ。

雨に濡れながら芝居を観ることになるのだろうか。
それとももっと本降りになったら、取りやめになるのだろうか。
雨はコントロールできないので
そのまま会場へ向かった。
幸い雨はそれ以上ひどくならず、
無事公演が行われた。

会場である浜松城公園は
今のような公演に整備される前は
動物園だった。
動物園が郊外に移動となり、
その跡地は、動物園当時の丘陵を活かした
散策が出来る公園となった。

その中に、石舞台はある。
整備されたばかりの頃、
ここで年に1度、薪能が行われていたと思う。
情報だけは見聞し、
いつか行きたいと思っていた。
実際に観たことはないので、
正確ではないが、
実際のかがり火を炊いた本格的なものだったように思う。

ウィキペディアによると
起源は平安時代中期、奈良の興福寺で
催されたものが最初で、
あくまで神事、仏事の神聖な儀式であり、
野外で薪を燃やせば、薪能という訳ではない、
という見解もあるようだが、
時代を超え、薪能という名も
拡大解釈されているのだろう。

石舞台での薪能は
雨天の場合は
アクトホールで場所を変えてやるなどしていたが、
何回か行った後、終了し
ずいぶんと年月が経つ。

その後、“舞台”として使われる機会はどれくらいあったのだろうか。
今回、その石舞台で公演は行われる。
そういえば僕は初めてこの場所で
舞台公演を観る。

「近代能楽集 弱法師」は
三島由紀夫さんが能の演目から
いくつか選んで、現代劇に書き替えた作品のうちの一つだ。
三島さんは小さなころから能などの古典芸能に親しむような
家庭環境だったようだ。

今回の公演は3つの時代の構造を持つと思う。
ひとつは脚本の原点である古典芸能である能の世界。
次に三島さんが書き換えた当時の“今”。
最後に、令和元年に演じるまさに今。

三島さんは古典芸能を当時の現代の芝居に書き換えた。
第二次世界大戦後に
戦災孤児となった俊徳が育ての親と生みの親との間で
調停の場で親権が争われる。

古典の能も近代能楽集も
子を捨てた親と
失明した子との時を経ての再会が描かれているが、
子の反応はまったく異なる。
前者が主に親の心を描いているのに対し、
後者は子の心を主に描いている。

三島は日本が戦争で失ったすべてを取り戻し、
新しい時代を切り開く象徴として俊徳の存在をとらえていたように思う。
だから生みの親も育ての親も必要としていない。
それらは過去の因習なのだ。
過去の因習を捨て去るのがここでの俊徳の反応なのだ。

但し、それもまた今とは違うと思う。
近代能楽集もすでに古典なのだ。
三島さんにとって平安時代に書かれた能が古典であるように。

古典作品も
今の人に向けて上演される。
それが、今、上演される理由なのではないかと
僕は思ったりするし、期待する。





 

劇団からっかぜアトリエで劇団からっかぜ「高き彼物」を観た

カテゴリー │演劇

10月5日(土)18時~
劇団からっかぜの65周年記念公演第2弾として上演された。

俳優座劇場プロデュース公演として2000年に初演された
「高き彼物」を書いた劇作家マキノノゾミさんは浜松市出身である。
この作品が静岡県川根町を舞台にしているのはそのことと無関係ではないと思う。
登場人物たちが語る遠州弁は
この方言になじみがない人には書くことが出来ないと思う。
僕はマキノさんは生まれ、高校を卒業するまで育った町で親しんだ
言葉を使って芝居を書きたかったのだと思う。

出身である浜松市を舞台ではなく、
少し離れた観光列車としてSLが茶畑の間を走る川根町を選んでいる。
それは無意識にどこか焦点をずらした。
生まれ故郷は生々しいので、
対象化できる距離の場所に舞台を移した。
そんな気がする。

「高き彼物」の時代設定は1978年7月の終わりである。
食料雑貨店、猪原商店の奥は猪原家の住居になっていて、
そこにはこの年の春休み、東京から友人と2人乗りでバイクできて、
事故を起こし、友人を亡くした18歳の高校生藤井秀一が花を手向けたいとやってきている。
かつて先生をやっていたが辞めて、昼間から酒を飲んだりして家にいる猪原正義が、
事故現場を偶然通りかかり、救急車を呼ぶなどして助けた間柄。

そして、それぞれの心に隠されていた悔恨が
この日この時、人と出会うことによりほどけ、ひとつひとつ解決に向かっていく。
そのほどけ方の鮮やかさがこの芝居の魅力だと思う。

作家はなぜこの時代を選んだのだろうか。
1978年は1959年生まれである作者のマキノさんが19歳と言う年齢。
マキノさんが浜松市を出て、
京都の大学に進学し、別の地域での生活を始めた時期である。
将来の岐路に立つ高校3年生に思いを重ねていると考えるのは
考え過ぎだろうか。

猪原家にやってきている秀一は
夏休み、受験のための塾の合宿に行くはずだったのをさぼって、
ここに来ている。
死んだ友人へ花を手向ける為というのが表向きの理由であるが、
父への反抗、
そして、自らの罪に対する良心の呵責が隠されている。

10代後半と言うものは輝く前途に向かい推進していく思いを持ちながら、
何かしら後ろめたさを抱えているものだ。
現実的な罪を犯している犯していないに関わらず。
尾崎豊の初期の歌の歌詞やジェームスディーンの「理由なき反抗」などの例を取らずとも。

作者自身の浜松在住時代に培った思いが
投影されているように思えてならない。
慣れ親しんだ遠州弁を使うことによって。
そして、10代後半の照れくささの表れのように
少し離れた川根町に場所をずらして。

また、川根町とは設定としてはとてもいい場所だと思う。
SLに茶畑。
ローカル色を出すには絶妙のアイテムだ。
知らない人にも郷愁をそそる。
そして、黒電話を今も使っている家庭はほとんどないが、
SLと茶畑の風景は今も存在する。

生まれ育った場所と人間を肯定的に描くのは
作家の特性であろう。
少々穿った気持ちで評すれば、
うまくいきすぎでないか?と言いたい気持ちもないではないが、
ひとり報われぬ警官の徳永と
ひとり変わらぬおじいちゃん平八に免じて受け入れよう。

「高き彼物」は俳優座劇場プロデュースによる初演以後も
さまざまなカンパニーで上演されてきた。
この度、川根町と同様、遠州弁の使用地域である
浜松で活動する劇団からっかぜにより、上演された。

初めて(間違っていたらごめんなさい)方言指導が必要のないカンパニーで上演される
とも言えるのかもしれないが、
人によっては方言を使い慣れない人もいるだろうし、
普段慣れ親しんでいるからと言って、
セリフとしてしゃべれるかどうかは別の話というのは
役者の経験が少しでもあればよくわかると思う。

しかしながら、
僕には行われるべくして行われた公演のように思えてならない。
浜松市出身の劇作家マキノノゾミさんと
浜松で創立65年を迎えた劇団からっかぜ。
共通点は遠州弁がわかるということだけではないと思う。

同時代で演劇を続けている。
やっている人たちにとり
シンクロしているのが実感を伴っているかどうかはわからないが、
実際にはまさにそう、なのである。





 

穂の国とよはし芸術劇場PLATアートスペースで庭劇団ぺニノ「笑顔の砦」を観た

カテゴリー │演劇

9月29日(日)14時30分~

作・演出のタニノクロウさんが2007年に上演された作品を書き換えて
出演者も入れ替わり、再演された。
そのため、タイトルは、「『笑顔の砦』RE-CREATION」と言う。

芝居が始まり舞台に明かりがつくと、
あらわれる古い和室アパートの一室の異様なほどの細部のこだわりに驚く。
汚れなど経年劣化も再現された舞台セットは今まで見たことあったかなあ。
そして、いつでもここで人が住めるかのようだ。

冷蔵庫やテレビが置かれ、
備え付けのキッチン、
季節は冬らしく、
部屋の真ん中には炬燵が置かれている。
天井からは和室にあったペンダントライトがぶらさがっている。

裏の方から男たちのしゃべり声が聞こえてくる。
アパートにやってきたのだ。
そこの住人と後輩らしき2人。
仕事が終わり朝帰りのようだ。
3人はドアを開け部屋へはいると
本物の煙草を喫い、
本当に朝飯を作り、食べ、
本物の缶ビールを開け、飲み、
テレビをつけ、占いを見たりする。
(煙草やビールはダミーだったのかもしれないが、僕には見抜けない。)

古いアパートの一室の日常を
一方向のみ観客のために開放され、
観客たちは自らの座席から定点観測することになる。
入場料を支払って、
観に来てくれといわれているものを観ているのに
どこか気恥ずかしい。
あまりに日常なのだ。

港町で
漁船の船長をしている住人である中年男性が
古い塩辛を食べて、腹をくだし、
トイレに入ったところで、
照明が落ち、音楽が流れる中、
字幕で状況が簡単に語られる。
決して幸せいっぱいには見えない
登場人物たちであるが、
とにもかくにも面白おかしく笑って生きている、
そうだ。

再び明かりがつくと
さきほどの部屋の隣り合わせに
もうひとつ同じようなアパートの一室が出現する。
この芝居は、
別の世帯が住む隣り合わせの2部屋を観客が
定点観測することで進行していく。

引っ越してきたもう一方のアパートには
痴呆を患う老女と
介護するその息子。
妻とはわかれ、娘がひとりいるという設定。
母親が海が近いところに住みたいと言い、
越してきた。

作者のタニノさんは
2007年にこの作品を上演するにあたり、
それまで何本も作品を作っているにも関わらず、
初めて脚本を書いたそうだ。
それまでは、アトリエに先ず舞台美術と小道具を用意して、
稽古しながら思いついたセリフを役者に覚えてもらうという手法だったそうだ。

つかこうへいさんの口立てを思い起こすが、
つかさんが、何もない稽古場でセリフを速射砲のように生み出すのとは異なり、
リアリティのある場所が用意されているからこそ、
生まれるセリフなのだろう。
言葉と場所の親和度が高い。

多くの人の日常は
劇的なことばかりではなく、
多くの退屈な時間で成り立っているが、
それらの中で起こる小さな変化も
ひとつひとつ照らしながら進行していく。
定点観測に疲れ、
退屈を感じるのも演じ手たちは恐れない。
舞台の上で登場人物の日常を丹念に生きる。

演劇用に誇張させて表現する場面はなく、
どこまでも淡々と進む。
唯一、深夜に船長がテレビで観ている
クリントイーストウッド主演のマカロニウエスタン「荒野の用心棒」、
介護する息子が朗読するヘミングウェイの「老人と海」は
どちらも「これ、ようわからん」と言わせながらも、
きっと作者の好きなものであり、
どこか情緒を増幅させる場面だった。

チラシの煙草を喫っている方は、
漁船の船長役の主に大阪で活動されている緒方晋という役者さんであって、
決してリリーフランキーさんではありません。





 

なゆた浜北でFOX WORKS×劇団「Z・A」合同公演「幻碌三文オペラ」を観た

カテゴリー │演劇

9月28日(土)14時~
この日はラグビーワールドカップ日本×アイルランド戦がエコパスタジアムであった。
僕が14時~の回を選んだのはラグビーのテレビ中継を観ることを想定してのことだったが、
どんな催しも観客の都合により影響を受ける。

仕事だったり、危急の用があれば仕方なかったりするが、
(とは言え、本当に行きたいものは仕事を犠牲にしてでも行く人もいる)
敵は、音楽ライブだったり、旅行、例えば東京ディズニーランドだったりする。

誰しも自分の関わるものを優先して欲しいと思う。
演劇のライバルがスポーツ、という訳ではないが、
興行と考えると同じ土俵上にあるともいえる。

浜松駅のそばでも
日本×アイルランド戦の関連イベントが開かれ
パブリックビューイングが実施された。
なゆた浜北方面へ向かう途中、
炭焼きレストランさわやかでは、
日本代表の赤と白のレプリカジャージを着た人が
順番待ちをしていた。
昼飯を食べた後、エコパへ向かうのだろうか?
もっと会場に近いさわやかあるのに。
でも混むだろうからあえて離れている店に来たのか?
県外の人よ。静岡県西部をじゅうぶん満喫しておくれ!
そんなことも夢想した。

浜松市を中心に活動しているFOX WORKSと
藤枝市を中心に活動している劇団「Z・A」による合同公演。
7月にはSPAC県民月間として
舞台芸術公園 野外劇場「有度」でも上演された。

ドイツ人の劇作家ブレヒトの「三文オペラ」を下敷きにしている。
先日観た「人形の家 PART2」はイプセン作「人形の家」の後日譚だが、
こちらは、設定を日本のとある時代に置き換えている。
どの時代かは触れられていなかったように思うが、
タイトルにある幻碌は江戸時代の政権が安定し、
“浮世の花”とさまざまな文化が花開いた元禄時代を想起させる。
話の流れは、何となく踏襲されているように思う。
(すみません。僕も不勉強で明確には検証できてません)

「三文オペラ」もブレヒト自身の完全なオリジナルではない。
ジョン・ゲイと言う作家の「乞食オペラ」を改作したものである。
ブレヒトは音楽家クルト・ワイルと組んで、
戯曲と音楽の新しい融合を試みている。
感情移入を助長させる戯曲のためのサービスとしての音楽ではなく、
音楽が、戯曲を解釈しながら、戯曲を前提とし、
述べられたことに対し、自らの態度を明らかにしながら、
仲介者の役割をする。
ブレヒトは求める音楽の役割をこのように述べている。

合同公演である場合、
1+1が、単純に2ではなくて、
プラスアルファーを期待する。
化学反応、ケミストリー。
ブレヒトも戯曲+音楽が単純に合わさるのみでなく、
そのことによって波及する更なる効果を期待したはずだ。
それは言わずもがな観客に向いている。
そして当然観客の先には、世間や社会がいる。

「幻碌 三文オペラ」は元禄時代を想起させるとはいえ、
そこにこだわる必要はないのかもしれない。
浮かれた華やかで混とんとした時代、
そんな架空の時代設定で書かれていると考えた方がいいのだろう。

僕は観ながら、
これは歌舞伎だなあと思った。
決して対話劇ではない。
役者は主に正面を向き、
短いセリフ、長いセリフを語り、
時には見えを切り万来の客の喝さいを浴びる。
人気劇団である劇団新感線の芝居を演出者の名をとって
いのうえ歌舞伎とも呼ばれる。

しかしながら
それを実現するには物量がいる。
プロセニアムの劇場の額縁をいろいろなもので埋めなければならない。
不条理劇や対話劇なら
簡素で何もない空間がかえって効果的だったりする。
ところが歌舞伎はそうはいかない。
そこで書割と言う便利な舞台美術が出来た。
1枚の絵で空間を埋めてしまうのだ。
それで特別な世界に入り込ませる。
役者も含め舞台全体が絵巻物になる。

合同公演を企画した時、
それを夢想したのではないか。
1+1が2じゃなくて、
化学反応を起こして無限大に広がる。

とは言え、演劇とは非情なほど
現実的だ。
やったこと、できたことしか結果に反映しない。
ギャップを埋めることが
本番までの準備期間で行うことだが、
当然ながらできなかったこと、
やり残したことは残る。
だから終わった後、
満足感の中に
一抹の敗北感も同居する。

静岡での野外劇は拝見していないが、
もしかしたら、野外の空間が借景の役割を持ち、
空間を埋めていたのかもしれない。
そこに華やかな衣装が照明に映え、
役者は自然の風をも味方にして演じる。

音楽は、やはり、ストーリーに関わっている
メインの役者たちにも歌ってもらいたかったかなあ。
そのことにより、戯曲と音楽の
対等な融合が出来る兆しになるはずなので。

合同公演の一番の障害は距離だと思う。
浜松と藤枝の距離。
近いという人も遠いという人もいるだろうが。
モチベーションはそれぞれ100%だと思う。
だからタッグが実現する。

このような“荒事”の芝居を試みる劇団はとても貴重だ。
できることから計算するのは
一方つまらないとも言える。
歌舞伎や劇団新感線の豊富な物量は
かける金銭ゆえの部分も大きい。
その方法とは違う手段もあるはずだ。
きっと。