2019年10月04日00:21
穂の国とよはし芸術劇場PLATアートスペースで庭劇団ぺニノ「笑顔の砦」を観た≫
カテゴリー │演劇
9月29日(日)14時30分~
作・演出のタニノクロウさんが2007年に上演された作品を書き換えて
出演者も入れ替わり、再演された。
そのため、タイトルは、「『笑顔の砦』RE-CREATION」と言う。
芝居が始まり舞台に明かりがつくと、
あらわれる古い和室アパートの一室の異様なほどの細部のこだわりに驚く。
汚れなど経年劣化も再現された舞台セットは今まで見たことあったかなあ。
そして、いつでもここで人が住めるかのようだ。
冷蔵庫やテレビが置かれ、
備え付けのキッチン、
季節は冬らしく、
部屋の真ん中には炬燵が置かれている。
天井からは和室にあったペンダントライトがぶらさがっている。
裏の方から男たちのしゃべり声が聞こえてくる。
アパートにやってきたのだ。
そこの住人と後輩らしき2人。
仕事が終わり朝帰りのようだ。
3人はドアを開け部屋へはいると
本物の煙草を喫い、
本当に朝飯を作り、食べ、
本物の缶ビールを開け、飲み、
テレビをつけ、占いを見たりする。
(煙草やビールはダミーだったのかもしれないが、僕には見抜けない。)
古いアパートの一室の日常を
一方向のみ観客のために開放され、
観客たちは自らの座席から定点観測することになる。
入場料を支払って、
観に来てくれといわれているものを観ているのに
どこか気恥ずかしい。
あまりに日常なのだ。
港町で
漁船の船長をしている住人である中年男性が
古い塩辛を食べて、腹をくだし、
トイレに入ったところで、
照明が落ち、音楽が流れる中、
字幕で状況が簡単に語られる。
決して幸せいっぱいには見えない
登場人物たちであるが、
とにもかくにも面白おかしく笑って生きている、
そうだ。
再び明かりがつくと
さきほどの部屋の隣り合わせに
もうひとつ同じようなアパートの一室が出現する。
この芝居は、
別の世帯が住む隣り合わせの2部屋を観客が
定点観測することで進行していく。
引っ越してきたもう一方のアパートには
痴呆を患う老女と
介護するその息子。
妻とはわかれ、娘がひとりいるという設定。
母親が海が近いところに住みたいと言い、
越してきた。
作者のタニノさんは
2007年にこの作品を上演するにあたり、
それまで何本も作品を作っているにも関わらず、
初めて脚本を書いたそうだ。
それまでは、アトリエに先ず舞台美術と小道具を用意して、
稽古しながら思いついたセリフを役者に覚えてもらうという手法だったそうだ。
つかこうへいさんの口立てを思い起こすが、
つかさんが、何もない稽古場でセリフを速射砲のように生み出すのとは異なり、
リアリティのある場所が用意されているからこそ、
生まれるセリフなのだろう。
言葉と場所の親和度が高い。
多くの人の日常は
劇的なことばかりではなく、
多くの退屈な時間で成り立っているが、
それらの中で起こる小さな変化も
ひとつひとつ照らしながら進行していく。
定点観測に疲れ、
退屈を感じるのも演じ手たちは恐れない。
舞台の上で登場人物の日常を丹念に生きる。
演劇用に誇張させて表現する場面はなく、
どこまでも淡々と進む。
唯一、深夜に船長がテレビで観ている
クリントイーストウッド主演のマカロニウエスタン「荒野の用心棒」、
介護する息子が朗読するヘミングウェイの「老人と海」は
どちらも「これ、ようわからん」と言わせながらも、
きっと作者の好きなものであり、
どこか情緒を増幅させる場面だった。
チラシの煙草を喫っている方は、
漁船の船長役の主に大阪で活動されている緒方晋という役者さんであって、
決してリリーフランキーさんではありません。
作・演出のタニノクロウさんが2007年に上演された作品を書き換えて
出演者も入れ替わり、再演された。
そのため、タイトルは、「『笑顔の砦』RE-CREATION」と言う。
芝居が始まり舞台に明かりがつくと、
あらわれる古い和室アパートの一室の異様なほどの細部のこだわりに驚く。
汚れなど経年劣化も再現された舞台セットは今まで見たことあったかなあ。
そして、いつでもここで人が住めるかのようだ。
冷蔵庫やテレビが置かれ、
備え付けのキッチン、
季節は冬らしく、
部屋の真ん中には炬燵が置かれている。
天井からは和室にあったペンダントライトがぶらさがっている。
裏の方から男たちのしゃべり声が聞こえてくる。
アパートにやってきたのだ。
そこの住人と後輩らしき2人。
仕事が終わり朝帰りのようだ。
3人はドアを開け部屋へはいると
本物の煙草を喫い、
本当に朝飯を作り、食べ、
本物の缶ビールを開け、飲み、
テレビをつけ、占いを見たりする。
(煙草やビールはダミーだったのかもしれないが、僕には見抜けない。)
古いアパートの一室の日常を
一方向のみ観客のために開放され、
観客たちは自らの座席から定点観測することになる。
入場料を支払って、
観に来てくれといわれているものを観ているのに
どこか気恥ずかしい。
あまりに日常なのだ。
港町で
漁船の船長をしている住人である中年男性が
古い塩辛を食べて、腹をくだし、
トイレに入ったところで、
照明が落ち、音楽が流れる中、
字幕で状況が簡単に語られる。
決して幸せいっぱいには見えない
登場人物たちであるが、
とにもかくにも面白おかしく笑って生きている、
そうだ。
再び明かりがつくと
さきほどの部屋の隣り合わせに
もうひとつ同じようなアパートの一室が出現する。
この芝居は、
別の世帯が住む隣り合わせの2部屋を観客が
定点観測することで進行していく。
引っ越してきたもう一方のアパートには
痴呆を患う老女と
介護するその息子。
妻とはわかれ、娘がひとりいるという設定。
母親が海が近いところに住みたいと言い、
越してきた。
作者のタニノさんは
2007年にこの作品を上演するにあたり、
それまで何本も作品を作っているにも関わらず、
初めて脚本を書いたそうだ。
それまでは、アトリエに先ず舞台美術と小道具を用意して、
稽古しながら思いついたセリフを役者に覚えてもらうという手法だったそうだ。
つかこうへいさんの口立てを思い起こすが、
つかさんが、何もない稽古場でセリフを速射砲のように生み出すのとは異なり、
リアリティのある場所が用意されているからこそ、
生まれるセリフなのだろう。
言葉と場所の親和度が高い。
多くの人の日常は
劇的なことばかりではなく、
多くの退屈な時間で成り立っているが、
それらの中で起こる小さな変化も
ひとつひとつ照らしながら進行していく。
定点観測に疲れ、
退屈を感じるのも演じ手たちは恐れない。
舞台の上で登場人物の日常を丹念に生きる。
演劇用に誇張させて表現する場面はなく、
どこまでも淡々と進む。
唯一、深夜に船長がテレビで観ている
クリントイーストウッド主演のマカロニウエスタン「荒野の用心棒」、
介護する息子が朗読するヘミングウェイの「老人と海」は
どちらも「これ、ようわからん」と言わせながらも、
きっと作者の好きなものであり、
どこか情緒を増幅させる場面だった。
チラシの煙草を喫っている方は、
漁船の船長役の主に大阪で活動されている緒方晋という役者さんであって、
決してリリーフランキーさんではありません。