静岡芸術劇場で「カリギュラ」を観た

カテゴリー │演劇

4月30日(土)14時30分~

ふじのく⇔せかい演劇祭の
ブルガリアのイヴァン・ヴァゾフ国立劇場による上演。

初日の29日より5日前の24日、重要なお知らせとして主催のSPAC‐静岡県文化芸術センターより
チケット購入済みだった「カリギュラ」に関するメールが入る。

“上海の新型コロナ感染拡大に伴うロックダウンの影響でブルガリアからの国際海上輸送の大幅な遅延により、
舞台美術、衣装の到着がかなわないので、変更して上演を行う”という。
「あちゃー」→仕方ない、というあたりまえの心の変化。
同劇団のレパートリー作品でもある画像、動画は公開されていたので、万端整った上演は思い描くしかない。
それをケアできる劇団やSPACの組織体制には感心するしかない。

「カリギュラ」はフランスの作家アルベール・カミュ(1913年生まれ)の戯曲作品。
小説家、思想家でも知られるがそれらよりも先に劇作があったらしい。
出身地である当時フランス領アルジェリアで地元の劇団などで
演出家、俳優として活躍し、友人との共作の戯曲を書いたり、
「カリギュラ」もその時期(1938年)にカミュ自身が演じるために執筆された。

僕が氏の作品を読んだのは薄めの文庫本で手に取りやすい「異邦人」くらいだが、
新型コロナが流行りだしたとき、同様感染症下の社会を描いた「ペスト」は話題となり、
突如、購読数を伸ばした。

そこで「カリギュラ」。
カリギュラとは、第3代ローマ帝国皇帝(在位:37年~41年)で、
Wikipediaによると、壮大な建設事業と領土の拡大に力を注ぎ、
治世を通じ市民から人気が高かったが、現存する後世の史料では、
狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖があり、性的倒錯者の持ち主だったとされている。

先ずは独裁者であることの1点において、今現在の社会情勢を思い浮かべる。
ただし、この演目は決して、その情勢が理由でラインアップされたわけではない。
招聘は侵攻のかなり前から決まっていたことであるし、
「カリギュラ」はブルガリアの国立劇場のレパートリー作品。
https://nationaltheatre.bg/bg/repertoar?page=6

カリギュラは、妹であり愛人だったドリュジラの死から行方不明になっている。
「カリギュラ・・・カリギュラ・・・」と恨めしそうに共演者たちが口々につぶやく。

戻って来たカリギュラは、人は必ず死ぬという絶対的な不幸を覆すために、
月を手にいれようと探しに行っていたという。
そこでは愛するものを失った悲しみも一時のこと。
不可能なことを可能にすれば、自分はというものは絶対的な者となる。

そこから、皇帝カリギュラによる不合理な暴虐が始まる。
どんな暴虐も絶対的な価値観の中では、肯定化される。
すべてのことは正しい。
異議や反対するものはすべて否定され、制裁される。
それは自らの私利私欲を肥やすためだけではない。
ローマ帝国のため。
国の経済を発展させ、豊かにするため。
だからこそたちが悪い。

また、カリギュラは単なる残虐なマシーンではない。
ひとりの血の通った人間らしく、頭で考え、相手に問いを与える。
「自分は正しいのか?」
新しい愛人セゾニアに対し、信頼できる腹心エリコンに対し、
父を殺された若い詩人シピオンに対し。

問いは与えるが、答えは求めていない。
変わることはなく撞着状態となる。

いずれ、実力行使の謀反者が現れる。
そんな時、肝心の見方は自らひとりだけなのだ。
相手に討たれたとしてもそれは自死と同じだ。
そういう解釈が演劇のラストシーンにも表される。
人々が差し出す数々の刃に自ら向かっていく。

それは、討たれて、力尽き、地べたに倒れるというよりも、
何かを成し遂げたかのように、天にも向かう階段を自らの足で登っていき、
そこで、絶命する。
終わるのではない。
続くのだ。

印象的だったのは、舞台の奥行が前・中・後の三重構造になっていて、
それぞれの層で、まったく価値観の違うシーンが演じられていること。
静と動、聖と俗、正と悪、生と死・・・。

それら背反する概念が、理路整然とした硬質な演出で示される。
僕たちは否応なしにその意味を瞬時に考えざるを得ない。

その中で大胆さが所々であるので、より場面が引き立つ効果を生む。
この大胆さは日本の演劇ではなかなかできないことではないだろうか?
理由はさまざまあるだろうが。

観終わった時、思った事。
やっぱ、正規の衣装、舞台美術で観たかったなあ。
この気持ちはうそを付けない。

演出はディアナ・ドブレヴァという女性演出家。
上演前に、内容を短く解説するプレトークが2階にあるホール入り口につながるカフェで行われるが、
聞きながら、窓の外を眺めていたら、長髪の西洋人的女性が颯爽と歩いていた。
カーテンコールで現れた演出家はその方だった。

静岡芸術劇場で「カリギュラ」を観た



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この記事へのコメント
見方、は 味方 かな。

劇の内容がよくわかりました。
月 というのが、かぐや姫にも通じる・・・?!
Posted by ぱせり at 2022年06月04日 22:25
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    コメント(1)