2025年05月06日16:35
木下惠介記念館ではままつ映画祭2024を観た≫
カテゴリー │映画
1月25日(土)・26日(日)と行われたが、全プログラムを観た。
25日は、公募で選ばれた11作品の上映と表彰。
海外からの作品やアニメもあり、上映時間も7分~44分と様々。
上限はあると思う。
実際に以前大賞を受賞した作品はカットされて応募され、後に劇場公開もされた。
【受賞作】
大賞 何をしている人? 監督:河野史弥
スタッフ賞 サーシャの坂道 監督:大根田良樹
新人賞 おぼろげな記憶 監督:酒井章光
なぜ映画を撮るのか、という思いの強度が審査結果にあらわれたように思う。
もちろんどの作品もそれぞれの思いの強さの結晶ではある。
その強さの種類も審査員の心を動かす鍵だったと思う。
例年と比べ、誰がみても、これ大賞という作品は見当たらなかったようにも思う。
総合芸術なだけに、総合力が問われるものだ。
何かが足りない。
でも他にない何かがある。
それは新しく生まれる何かの芽だ。
26日は、
ブラジル短編アニメ、地元出身監督である中平泰之さん及び埋田向日葵さんの2作品、静岡文化芸術大学とはままつ映画祭のコラボによる多文化共生プロジェクトのキックオフ作品、そして浜松市出身の映画監督、平野勝之さんの生誕60周年記念特集上映。
平野勝之さんは、浜松の映画制作集団シネマヴァリエテで映画をつくりはじめ、ぴあフィルムフェスティバルに応募した作品が入賞したりして、映画作家となる。
上映作品は「人間らっこ対かっぱ」「砂山銀座」「愛の街角2丁目3番地」の3本。
浜松駅南にある砂山銀座サザンクロス商店街が、まだサザンクロスと言う名がついていない砂山銀座だった頃、
「砂山銀座(1985)」という40分の作品で、ぴあフィルムフェスティバルに入選する。
作品名は1986年のフェスティバル上映時から知っていたが、その時を含め観る機会は一度もなかった。
印象的なイメージカットのおじさんの写真。
この人は誰なんだろう?
どんな役割を果たすのだろう?
自主上映作品が、のちに公開される機会は限られている。
有名監督となり、後に過去作品として上映されるか、それこそ自分たちで上映会を開くくらいしかない。
関わっている路上演劇祭で、サザンクロスが何度か会場になり、
「砂山劇場」と言う作品作りのプロジェクトで砂山の事を調べる過程で、何とか観ることが出来ないかと思ったがやはり果たせなかった。
その「砂山銀座」が上映されるという情報をはままつ映画祭2024の情報案内で知る。
平野監督は、「昔の日記さらすみたいで」と上映前のロビーでスタッフに語っているのをちょうどトイレに向かう時に耳にした。
そうだなあ、演劇なら昔の作品だろうが、これからやることに集中しなければ何も始まらないが、
映画の場合は、特別やることはなく、で上映開始を待つのみだから、ただただこそばゆい気持ちなのだろう。
日記。
その言葉は頭に残り、平野作品をよく表している言葉なんじゃないかなあとなんとなく考えていた。
日記と言うものは、明日のことは書かない。
遅れて書くことはあるが、あったことを書く。
「僕は今日、こんなことがありました。
天気はこうで、あそこに行って、あの人とこんなことをしました。
で、こんな気持ちになりました。
でも、楽しかったです。」
その繰り返し。
ただ、そこに8ミリカメラがあった。
それが他の人の日記と違うこと。
その延長。
あくまでもそれを続けているだけ。
「人間らっこ対かっぱ」では友だちと怪獣ごっこをやりたかった。
「砂山銀座」では生まれ育ったよく知る町にカメラを向けたかった。
「愛の街角2丁目3番地」では大友克洋が大好きな自分を材料に何かしたかった。
上演後のアフタートークで、話を聞いて確信した。
脚本を書かず、ロケ現場で、アドリブ、まるでジャズの即興演奏のように作っていくそうだ。
日々記す日記、
時、つまり今を刻み記していく。
「砂山銀座」を観て、おじさんの映画内での状況は判明した。
まったく予想とは異なっていた。
今はそんな人を見かけることはない。
その時代の状況を一気に理解したような気がした。


25日は、公募で選ばれた11作品の上映と表彰。
海外からの作品やアニメもあり、上映時間も7分~44分と様々。
上限はあると思う。
実際に以前大賞を受賞した作品はカットされて応募され、後に劇場公開もされた。
【受賞作】
大賞 何をしている人? 監督:河野史弥
スタッフ賞 サーシャの坂道 監督:大根田良樹
新人賞 おぼろげな記憶 監督:酒井章光
なぜ映画を撮るのか、という思いの強度が審査結果にあらわれたように思う。
もちろんどの作品もそれぞれの思いの強さの結晶ではある。
その強さの種類も審査員の心を動かす鍵だったと思う。
例年と比べ、誰がみても、これ大賞という作品は見当たらなかったようにも思う。
総合芸術なだけに、総合力が問われるものだ。
何かが足りない。
でも他にない何かがある。
それは新しく生まれる何かの芽だ。
26日は、
ブラジル短編アニメ、地元出身監督である中平泰之さん及び埋田向日葵さんの2作品、静岡文化芸術大学とはままつ映画祭のコラボによる多文化共生プロジェクトのキックオフ作品、そして浜松市出身の映画監督、平野勝之さんの生誕60周年記念特集上映。
平野勝之さんは、浜松の映画制作集団シネマヴァリエテで映画をつくりはじめ、ぴあフィルムフェスティバルに応募した作品が入賞したりして、映画作家となる。
上映作品は「人間らっこ対かっぱ」「砂山銀座」「愛の街角2丁目3番地」の3本。
浜松駅南にある砂山銀座サザンクロス商店街が、まだサザンクロスと言う名がついていない砂山銀座だった頃、
「砂山銀座(1985)」という40分の作品で、ぴあフィルムフェスティバルに入選する。
作品名は1986年のフェスティバル上映時から知っていたが、その時を含め観る機会は一度もなかった。
印象的なイメージカットのおじさんの写真。
この人は誰なんだろう?
どんな役割を果たすのだろう?
自主上映作品が、のちに公開される機会は限られている。
有名監督となり、後に過去作品として上映されるか、それこそ自分たちで上映会を開くくらいしかない。
関わっている路上演劇祭で、サザンクロスが何度か会場になり、
「砂山劇場」と言う作品作りのプロジェクトで砂山の事を調べる過程で、何とか観ることが出来ないかと思ったがやはり果たせなかった。
その「砂山銀座」が上映されるという情報をはままつ映画祭2024の情報案内で知る。
平野監督は、「昔の日記さらすみたいで」と上映前のロビーでスタッフに語っているのをちょうどトイレに向かう時に耳にした。
そうだなあ、演劇なら昔の作品だろうが、これからやることに集中しなければ何も始まらないが、
映画の場合は、特別やることはなく、で上映開始を待つのみだから、ただただこそばゆい気持ちなのだろう。
日記。
その言葉は頭に残り、平野作品をよく表している言葉なんじゃないかなあとなんとなく考えていた。
日記と言うものは、明日のことは書かない。
遅れて書くことはあるが、あったことを書く。
「僕は今日、こんなことがありました。
天気はこうで、あそこに行って、あの人とこんなことをしました。
で、こんな気持ちになりました。
でも、楽しかったです。」
その繰り返し。
ただ、そこに8ミリカメラがあった。
それが他の人の日記と違うこと。
その延長。
あくまでもそれを続けているだけ。
「人間らっこ対かっぱ」では友だちと怪獣ごっこをやりたかった。
「砂山銀座」では生まれ育ったよく知る町にカメラを向けたかった。
「愛の街角2丁目3番地」では大友克洋が大好きな自分を材料に何かしたかった。
上演後のアフタートークで、話を聞いて確信した。
脚本を書かず、ロケ現場で、アドリブ、まるでジャズの即興演奏のように作っていくそうだ。
日々記す日記、
時、つまり今を刻み記していく。
「砂山銀座」を観て、おじさんの映画内での状況は判明した。
まったく予想とは異なっていた。
今はそんな人を見かけることはない。
その時代の状況を一気に理解したような気がした。
