2023年11月27日08:09
木下惠介記念館で「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」を観た≫
カテゴリー │映画
11月25日(土)10時~
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんを題材としたドキュメンタリー映画や、
一緒にアートを鑑賞するイベントなどが木下惠介記念館や鴨江アートセンターで行われた。
僕は上映会のみ参加した。
バリアフリー音声ガイドによる上映の為、
盲者でも理解できるよう、画面の状況が言葉で説明される。
オープニングでは
「レトロな喫茶店、細身で薄い青色のシャツ、白鳥さん・・・」
こんな感じで。
白鳥さんは生まれた時、強度の弱視で、赤や青や緑などの原色くらいしか記憶がないそうだ。
そして光のみの認知となり、20歳過ぎに光も失う。
恋人とのデートがきっかけでアートに興味を持つようになったようだが、
その後、ひとりで美術館を訪れ、案内してもらうことを依頼する。
美術館側はすぐに応じることはできず、検討の上、実施に至る。
方法は、付き添い者にひじを持ってもらい、絵画の前で、
その絵について説明してもらうのだ。
映画ではふたりの付き添い者がついていた。
ふたりの説明とそれを聞いての白鳥さんの反応と実際のアートが相まって、
その様子を見る僕は、新たなアート鑑賞をしている気分になった。
付き添いの役を僕がやるとしたらどうだろうか。
ひとりで鑑賞するなら、自分のために好き勝手に見ればいいが、
それに加え、他の誰か、しかも目の見えない白鳥さんに伝えなければならない。
言葉により。
正確に伝えなければいけないと思うと、プレッシャーに感じるかもしれない。
でも、白鳥さんはそれを求めていないと思う。
本当に感じたまま話してくれればいいのだ。
それが、たとえ的を得ていないような部分があったとしても。
その人が発する言葉から、
白鳥さんの頭の中に独自固有のアートが生まれる。
同じ作品を別の付き添い者が説明すれば、
また違うアートが生まれる。
それを白鳥さんはコミュニケーションと呼ぶ。
アート鑑賞が個人の行いを越え、
ひとつの共同作業となる。
白鳥さんは外に出て、白杖をつきながら、体の真ん中にカメラを携え、
毎日のように写真を撮る。
日記のように撮っている写真であるが、
白鳥さんはその日記を見返すことはない、
と映画では伝えている。
福島県猪苗代町の「はじまりの美術館」で行われた『白鳥さん』の展覧会では、
「けんじのへや」と言うブースがあり、
普段の日常を模した生活部屋には白鳥さんが滞在。
パソコンからは高速再生のニュースが流れる。
視力以外の感覚が研ぎ澄まされた白鳥さんらしい普段の特徴でもある。
几帳面に整えられて吊るされた洗濯物。
大好きなソーメンの箱。
ビールも好きと言うことなので、ビールに関するものもあったかもしれない。
そして、撮りためた写真が次々と写し出される。
白鳥さんと一緒にアート鑑賞をするワークショップも開かれた。
子どもたちが伝える言葉を聞き、応対する白鳥さんはとても楽しそうだった。
おじさんも独自の鑑賞を伝えようと奮闘していた。
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんを題材としたドキュメンタリー映画や、
一緒にアートを鑑賞するイベントなどが木下惠介記念館や鴨江アートセンターで行われた。
僕は上映会のみ参加した。
バリアフリー音声ガイドによる上映の為、
盲者でも理解できるよう、画面の状況が言葉で説明される。
オープニングでは
「レトロな喫茶店、細身で薄い青色のシャツ、白鳥さん・・・」
こんな感じで。
白鳥さんは生まれた時、強度の弱視で、赤や青や緑などの原色くらいしか記憶がないそうだ。
そして光のみの認知となり、20歳過ぎに光も失う。
恋人とのデートがきっかけでアートに興味を持つようになったようだが、
その後、ひとりで美術館を訪れ、案内してもらうことを依頼する。
美術館側はすぐに応じることはできず、検討の上、実施に至る。
方法は、付き添い者にひじを持ってもらい、絵画の前で、
その絵について説明してもらうのだ。
映画ではふたりの付き添い者がついていた。
ふたりの説明とそれを聞いての白鳥さんの反応と実際のアートが相まって、
その様子を見る僕は、新たなアート鑑賞をしている気分になった。
付き添いの役を僕がやるとしたらどうだろうか。
ひとりで鑑賞するなら、自分のために好き勝手に見ればいいが、
それに加え、他の誰か、しかも目の見えない白鳥さんに伝えなければならない。
言葉により。
正確に伝えなければいけないと思うと、プレッシャーに感じるかもしれない。
でも、白鳥さんはそれを求めていないと思う。
本当に感じたまま話してくれればいいのだ。
それが、たとえ的を得ていないような部分があったとしても。
その人が発する言葉から、
白鳥さんの頭の中に独自固有のアートが生まれる。
同じ作品を別の付き添い者が説明すれば、
また違うアートが生まれる。
それを白鳥さんはコミュニケーションと呼ぶ。
アート鑑賞が個人の行いを越え、
ひとつの共同作業となる。
白鳥さんは外に出て、白杖をつきながら、体の真ん中にカメラを携え、
毎日のように写真を撮る。
日記のように撮っている写真であるが、
白鳥さんはその日記を見返すことはない、
と映画では伝えている。
福島県猪苗代町の「はじまりの美術館」で行われた『白鳥さん』の展覧会では、
「けんじのへや」と言うブースがあり、
普段の日常を模した生活部屋には白鳥さんが滞在。
パソコンからは高速再生のニュースが流れる。
視力以外の感覚が研ぎ澄まされた白鳥さんらしい普段の特徴でもある。
几帳面に整えられて吊るされた洗濯物。
大好きなソーメンの箱。
ビールも好きと言うことなので、ビールに関するものもあったかもしれない。
そして、撮りためた写真が次々と写し出される。
白鳥さんと一緒にアート鑑賞をするワークショップも開かれた。
子どもたちが伝える言葉を聞き、応対する白鳥さんはとても楽しそうだった。
おじさんも独自の鑑賞を伝えようと奮闘していた。