穂の国とよはし芸術劇場PLATでロ字ック「剥愛」を観た

カテゴリー │演劇

11月23日(木・祝)14時30分~

すべての人を平等に愛するという意味の「博愛」という言葉はあるが、「剥愛(KAKUAI)」はない。

意味合いとしては、剥がす愛、だろうか。
付着している物を剥ぎ取る、めくり取る。
大好きなキャラクターのシールを、気に入らなくなったからと、剥がす。
剥がした跡が汚く残っても、無理やり剥がす。

先週観た「たわごと」の父が暮す邸宅は、眼前に海がある崖に建っていた。
「剥愛」の剥製業の事業所の背後(舞台奥のホリゾント幕)には、シダ類のような葉がびっしりと敷き詰められ、
鬱屈する要素は整っていた。

入場すると、まだ役者が登場しない舞台セットが開演を待っている。
剥製を思い起こす動物たちのオブジェが各所に配置されている。
上下から出入りでき、中央にも扉がある。
階段を上がると2階がある。
調度品は、とても気を遣って配置されていて、
汚れ具合は程よく経年劣化している事業所の様子を表していた。

小さな音で既成の音楽が流され、注意深く聞くと、新しい学校のリーダーズの「大人ブルー」だった。
開演まで時間があったので、ロビーへ行き、戻るとサザンオールスターズが流れていた。
これは演劇の中でも使われる、ラジオから流れる音だった。

開演すると、舞台に文字が映し出される。
少し錯覚する。
小説を読みに来たのか?

「剥愛」とタイトルが出て、オープニングの一環なのかと理解するが、
きっと言葉があふれ出たのだろう。
舞台セットもきっと気合いがあふれ出ているのだろう。
これは、作・演出の山田佳奈さんの思いなのだろうか。

そもそも劇団名が「ロ字ック」なのだ。
“論理”。
しかも“字”という文字が入っている。

セリフも文字があふれていた。
その文字は武骨なところもあったが、
伝えたいその先は強く伝わる。

俳優もその強さに引っ張られるように、
前に押し出される。

自分が正しく生きているかなんてわからない。
正しく生きよう生きようとしていてもいつの間にかひん曲がっていて、
他人、しかも身近な家族にその生き方は正しくない、と思われている。

思われているだけなら、まだ表面に出ていない。
本人も知らない。
演劇の時間でそれが表出する。
至った過去があばかれる。
観客の眼前で。

表出した後、
ラジオからは現在進行形のガザのニュースが流れていた。
やはり気合いが入っている。


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