2016年03月17日21:26
七間町このみる劇場で絢とひさ枝のふらり旅「シスター・アンティゴネーの暦のない墓」を観た≫
カテゴリー │演劇
13日(日)15時~
この劇場は初めて来た。
イマココという建物はわかったが、
会場である3階への行き方がわからず、
しばらく、アーケードのように建物の真ん中を突っ切っている通路を
何度か行ったり来たりした。
そこにはいくつか店が立ち並んでいる。
この建物自体なかなか面白い構造だ。
同じ3階でも、ここに来る前に行ったスター・ウォーズ展の行われている
駅前の葵タワーというきれいなビルとの違いはそれはそれで、ともに味わい深い。
街中はいろいろなものが同居して、出来ている。
劇場のすぐ近くではおでんのお祭が開かれ、地域のアイドルがカラオケで歌い踊っていた。
(浜松出身って言ってたなあ。)
作品は守中高明という詩人の同名詩集「シスター・アンティゴネ―の暦のない墓」をテキストにしている。
役者2人(とうぜんのように、絢さんとひさ枝さん)が舞台に立ち、動きを交え、セリフのように朗読。
スクリーンに上から文字がローリングされて流される。
(ここスター・ウォーズ展のあとだけに映画の冒頭状況説明の文字が宇宙船の形で流れていくのを思い出した)
舞台外から、お経のようにホーミーのように誰かが朗読。
そんな様々な方法で「詩」を伝える。
提示される言葉は詩のみである。
演出の大岡淳氏は、パンフで
「詩的形式を過剰に増幅させる実験によって、「対話」形式を失効させ、
演劇における〈物語〉の支配に揺さぶりをかけることを意図したわけです」
と言っている。
「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」と言う本がある。
つまりスター・ウォーズの話が戯曲形式で書かれているのだが、
ここには、シェイクスピアの劇世界と、スター・ウォーズが共通するということが前提になっている。
現代の演劇が散文による対話形式ばかりとなっているのに対し、
スター・ウォーズはシェイクスピアの戯曲と同様、
古典的ともいえる韻文による詩劇なのである。
とはいえ、詩的と対話的が共存し、確固たる物語世界を形成しているのは間違いない。
対話を封印して詩のみで問うまでの勇気はないが、
古いビルと新しいビルが同じ街に共存するように、
異なる形式もうまいこと共存できると、
より説得力を持つのかもしれない、
などと考えた。

この劇場は初めて来た。
イマココという建物はわかったが、
会場である3階への行き方がわからず、
しばらく、アーケードのように建物の真ん中を突っ切っている通路を
何度か行ったり来たりした。
そこにはいくつか店が立ち並んでいる。
この建物自体なかなか面白い構造だ。
同じ3階でも、ここに来る前に行ったスター・ウォーズ展の行われている
駅前の葵タワーというきれいなビルとの違いはそれはそれで、ともに味わい深い。
街中はいろいろなものが同居して、出来ている。
劇場のすぐ近くではおでんのお祭が開かれ、地域のアイドルがカラオケで歌い踊っていた。
(浜松出身って言ってたなあ。)
作品は守中高明という詩人の同名詩集「シスター・アンティゴネ―の暦のない墓」をテキストにしている。
役者2人(とうぜんのように、絢さんとひさ枝さん)が舞台に立ち、動きを交え、セリフのように朗読。
スクリーンに上から文字がローリングされて流される。
(ここスター・ウォーズ展のあとだけに映画の冒頭状況説明の文字が宇宙船の形で流れていくのを思い出した)
舞台外から、お経のようにホーミーのように誰かが朗読。
そんな様々な方法で「詩」を伝える。
提示される言葉は詩のみである。
演出の大岡淳氏は、パンフで
「詩的形式を過剰に増幅させる実験によって、「対話」形式を失効させ、
演劇における〈物語〉の支配に揺さぶりをかけることを意図したわけです」
と言っている。
「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」と言う本がある。
つまりスター・ウォーズの話が戯曲形式で書かれているのだが、
ここには、シェイクスピアの劇世界と、スター・ウォーズが共通するということが前提になっている。
現代の演劇が散文による対話形式ばかりとなっているのに対し、
スター・ウォーズはシェイクスピアの戯曲と同様、
古典的ともいえる韻文による詩劇なのである。
とはいえ、詩的と対話的が共存し、確固たる物語世界を形成しているのは間違いない。
対話を封印して詩のみで問うまでの勇気はないが、
古いビルと新しいビルが同じ街に共存するように、
異なる形式もうまいこと共存できると、
より説得力を持つのかもしれない、
などと考えた。