2012年11月13日21:33
からっかぜアトリエで劇団からっかぜ「ら抜きの殺意」を観た≫
カテゴリー │演劇
17日(土)18時30分~
当初は18日の18時~の公演に行く予定で、予約も入れていた。
急遽、予定が入り、1日繰り上げることにした。
決めたのは当日のことである。
第2土曜の17日、14時から磐田市西貝公民館でいわた表現の会からころの定例会があった。
「ごきげんなすてご」という本の稽古をしている最中に、電話が入り、観劇日を変えた。
17時に終え、浜松篠原のからっかぜアトリエに向かう。
演目である「ら抜きの殺意」が劇作家の永井愛氏の作品。
1997年の作品。
バブルがはじけ、景気が低迷し・・・という状況。
24時間体制で業務にあたる健康関連の通販会社。
新しいバイトが入ってくるが、そこはさまざまな乱れた言葉使いがはびこり・・・。
と言っても、
ら抜き言葉、
女なのに乱暴な言葉、
社長なのにコギャル語、
やたらネガティブ語、
相手により言葉を使い分ける、
カッペ語、
意味不明語、
男言葉、女言葉があるのが許せない
など。
これくらいはよくあることである。
でも、それが許せない、言葉使いに誠実な男。
それらが対立を生み、ドラマは展開していく。
それに伴い、動きが出てくる。
その動きにかなった装置がある。
それを役者たちは使いこなす。
役者は役を使いこなす。
役者と役の距離は人により違うと思う。
台本を渡され、初見の時の距離から、読み、稽古をこなすに従って、近くなっていく。
かといって、役者と役が一体化することが、最もいいことなのかはわからない。
(そんなことがあり得るのかとも思うが)
ほどよい距離感を保ち、客観的に見つめることができるくらいがいいのかもしれない。
役者と役は別人なのだから。
でも、時にはいろんな状況が重なって、まるで役者と役が一体化したように見える瞬間がある。
それは相当しあわせな瞬間だ。
よく練られた台本に裏打ちされて、役者たちの演技がクローズアップされる。
そんな芝居だった。
言葉を題材にした芝居である。
そして、せりふは言葉である。
しみじみとそんなことを実感した。
考えてみると芝居の王道であるような気がするが、久しく観ていなかったような気がする。
12月8日には福祉交流センターでも公演がある。

当初は18日の18時~の公演に行く予定で、予約も入れていた。
急遽、予定が入り、1日繰り上げることにした。
決めたのは当日のことである。
第2土曜の17日、14時から磐田市西貝公民館でいわた表現の会からころの定例会があった。
「ごきげんなすてご」という本の稽古をしている最中に、電話が入り、観劇日を変えた。
17時に終え、浜松篠原のからっかぜアトリエに向かう。
演目である「ら抜きの殺意」が劇作家の永井愛氏の作品。
1997年の作品。
バブルがはじけ、景気が低迷し・・・という状況。
24時間体制で業務にあたる健康関連の通販会社。
新しいバイトが入ってくるが、そこはさまざまな乱れた言葉使いがはびこり・・・。
と言っても、
ら抜き言葉、
女なのに乱暴な言葉、
社長なのにコギャル語、
やたらネガティブ語、
相手により言葉を使い分ける、
カッペ語、
意味不明語、
男言葉、女言葉があるのが許せない
など。
これくらいはよくあることである。
でも、それが許せない、言葉使いに誠実な男。
それらが対立を生み、ドラマは展開していく。
それに伴い、動きが出てくる。
その動きにかなった装置がある。
それを役者たちは使いこなす。
役者は役を使いこなす。
役者と役の距離は人により違うと思う。
台本を渡され、初見の時の距離から、読み、稽古をこなすに従って、近くなっていく。
かといって、役者と役が一体化することが、最もいいことなのかはわからない。
(そんなことがあり得るのかとも思うが)
ほどよい距離感を保ち、客観的に見つめることができるくらいがいいのかもしれない。
役者と役は別人なのだから。
でも、時にはいろんな状況が重なって、まるで役者と役が一体化したように見える瞬間がある。
それは相当しあわせな瞬間だ。
よく練られた台本に裏打ちされて、役者たちの演技がクローズアップされる。
そんな芝居だった。
言葉を題材にした芝居である。
そして、せりふは言葉である。
しみじみとそんなことを実感した。
考えてみると芝居の王道であるような気がするが、久しく観ていなかったような気がする。
12月8日には福祉交流センターでも公演がある。