クリエート浜松でMUNA-POCKET COFFEEHOUSE「青い星と私のトイレット。」を観た

カテゴリー │演劇

11日(日)14時~
これは追憶の物語である。
ある女の一生である。
断片で物語は構成される。
断片は11人の白シャツを着、黒ズボンを履く者たちとステップを踏む女とうまく踏めない男により演じられる。
父や母や幼稚園児や老人施設の職員や猫らが出てくるが、役は固定されない。
衣服を着替えるのではなく、役を着替えて断片を構成していく。
タイトルの「青い星」は人々の頭上にある。(太陽のように、月のように)
本来は足元にあるはずなのだが。
映像によるタイトルロールで、さまざまなシーンの頭上にある青い星のカットが映し出される。
SF的設定とも言えるが、この不思議を論理的に追求するより、イメージとしての客観性を重視する。
ここではひとつのモチーフとして、宮澤賢治を持ってくる。
それも客観性を保持しているので、唐突感はあまりない。

来て欲しかったライブ。
「宮沢賢治をロックで唄う」
でも歌は下手。
猫屋敷には日本オオカミもいたはず。
父母との海での思い出。

これらはすべて断片である。
そして、追憶であるから、バラバラであるかのように見えるそれらがつながる。
死ぬまで流し続けるトイレットのように。
カラカラ・・・ジャー♪

観劇後、フェスの演劇・人形劇合同公演と高校生選抜公演の打ち合わせ。
夜は昔の劇団仲間らと会い、結果、飲む。
今を話しているつもりが、いつのまにか追憶になっている。

写真はチラシがB3四つ折りで大きいため、1/4部分。

クリエート浜松でMUNA-POCKET COFFEEHOUSE「青い星と私のトイレット。」を観た


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