2016年11月24日22:34
浜松市勤労会館Uホールで「はままつ演劇オムニバス」を観た その3≫
カテゴリー │演劇
20日(日)はままつ演劇オムニバス。
3本目は劇彩 青とオレンジ「Stargazer」、「また来る春は」。
2本の30分程度ずつの短編を上演。
パンフに、静岡文化芸術大学と静岡県立大学4年生の5人で旗揚げしたとある。
何かを始めるにはきっかけがある。
そして、訳あって、何かを始めるのである。
大学4年と言えば、4年制の大学であれば次は卒業である。
就職するとすれば、近い未来の来年3月になればそれぞれ異なる地域に別れていくのかもしれない。
とすれば旗揚げまもなく、活動の期限はやってくるのかもしれない。
また、パンフに、それぞれが4年間で得た経験を、三本の作品に詰め込みます、とある。
3本目の「東京しあわせクラブ」は11月26日に静岡市で行われるストリートフェスティバル・イン・シズオカで公演される。
そうなのだ。
劇彩 青とオレンジは、はままつ演劇オムニバスでの2本を含め、3本限定の劇団なのである。
とすると、話は早い。
やることは、やりたいこと、なのだ。
今考えていること、考えてきたこと、
集ったメンバーでやりたかったこと、
メンバーが脚本を書いたり、演出したり、
話し合ったり、演じたり。
それらが限りのある学生時代のひとときに行われる。
そして、上演される。
1本目は「Stargazer」。
星を見る人とか天文学者、占星術師、夢想家、というような意味らしい。
話の流れは、女友達3人が、誰かの部屋に集まって、海にでも行くか、と海に行く話。
明かりがつくと、シンプルな照明の元、舞台の奥で、平台の上で、2人が普通にしゃべっている。
勇気ある演出。
でも、アパートの一室で、友達同士でしゃべっている様子が現れている。
今でも、おのおのの部屋では様々な人が様々な会話をしたり、ひとりでいたり、誰もいなかったりするのだ。
一部屋だけ、切り取ると、たぶんあんな感じだ。
そして、外に出て海へ向かう時、
舞台の面(つら)付近までやってくる。
単純であるがゆえにより効果的。
海が苦手な子の妹が死んだ過去が語られるが、
その妹の幻影が現れ、ダンスを踊るが、
これまた、その肉体性ゆえ効果的。
ラストの歌、合唱曲「COSMOS」のフルコーラスは
彼女たちの卒業記念として聴いた。
2本目は「また来る春は」。
卒業公演をする自分たちをなぞらえた劇中劇を今の心境とだぶらせた作品。
旅立つ恋人に対し、「さよなら」を言う場面の練習をする女の子。
「さよなら」は自分たちの卒業にかかっているだろうし、
また、古めかしい言葉が出てくる。
「さよならだけが人生だ」。
これ、家にある藤本義一著「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」
(「幕末太陽伝」等の映画監督川島雄三のことを弟子であった作家藤本義一が書いた本」
を思い浮かべたのだが、
調べたら、井伏鱒二が漢詩を訳した中にこの言葉がある。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
また、寺山修司がカルメン・マキに詩を提供した歌に「さよならだけが人生ならば」というのがある。
さよならだけが人生ならば
また来る春は何だろう
ここまで書いて気が付いた。
この芝居のタイトルなのだ。
「また来る春は」。
寺山修司から来ていたのだ。
この芝居は。
最初、検索して調べた時
ボーカロイド初音ミクが歌う「さよならだけが人生だ」という歌がひっかった。
実はそこから引用したのかと思っていた。
「さよならだけが人生ならば」の詩は
最後こう締めくくられる。
さよならだけが人生ならば
人生なんかいりません
さよならは、状況により複雑な感情をもたらす。
悲しむべきことだったり、
喜ぶべきことだったり、
どちらもまじりあっていたり。
芝居の脚本では旅立つ恋人にさよならを言うという役だった女の子は
それを無視して、旅立つ恋人を追うという選択をとる。
つまり脚本の設定を勝手に変えてしまう。
それは、卒業という決定的なさよならへの
ひとつの抵抗かもしれない。
そして、自らも旅立つのである。

3本目は劇彩 青とオレンジ「Stargazer」、「また来る春は」。
2本の30分程度ずつの短編を上演。
パンフに、静岡文化芸術大学と静岡県立大学4年生の5人で旗揚げしたとある。
何かを始めるにはきっかけがある。
そして、訳あって、何かを始めるのである。
大学4年と言えば、4年制の大学であれば次は卒業である。
就職するとすれば、近い未来の来年3月になればそれぞれ異なる地域に別れていくのかもしれない。
とすれば旗揚げまもなく、活動の期限はやってくるのかもしれない。
また、パンフに、それぞれが4年間で得た経験を、三本の作品に詰め込みます、とある。
3本目の「東京しあわせクラブ」は11月26日に静岡市で行われるストリートフェスティバル・イン・シズオカで公演される。
そうなのだ。
劇彩 青とオレンジは、はままつ演劇オムニバスでの2本を含め、3本限定の劇団なのである。
とすると、話は早い。
やることは、やりたいこと、なのだ。
今考えていること、考えてきたこと、
集ったメンバーでやりたかったこと、
メンバーが脚本を書いたり、演出したり、
話し合ったり、演じたり。
それらが限りのある学生時代のひとときに行われる。
そして、上演される。
1本目は「Stargazer」。
星を見る人とか天文学者、占星術師、夢想家、というような意味らしい。
話の流れは、女友達3人が、誰かの部屋に集まって、海にでも行くか、と海に行く話。
明かりがつくと、シンプルな照明の元、舞台の奥で、平台の上で、2人が普通にしゃべっている。
勇気ある演出。
でも、アパートの一室で、友達同士でしゃべっている様子が現れている。
今でも、おのおのの部屋では様々な人が様々な会話をしたり、ひとりでいたり、誰もいなかったりするのだ。
一部屋だけ、切り取ると、たぶんあんな感じだ。
そして、外に出て海へ向かう時、
舞台の面(つら)付近までやってくる。
単純であるがゆえにより効果的。
海が苦手な子の妹が死んだ過去が語られるが、
その妹の幻影が現れ、ダンスを踊るが、
これまた、その肉体性ゆえ効果的。
ラストの歌、合唱曲「COSMOS」のフルコーラスは
彼女たちの卒業記念として聴いた。
2本目は「また来る春は」。
卒業公演をする自分たちをなぞらえた劇中劇を今の心境とだぶらせた作品。
旅立つ恋人に対し、「さよなら」を言う場面の練習をする女の子。
「さよなら」は自分たちの卒業にかかっているだろうし、
また、古めかしい言葉が出てくる。
「さよならだけが人生だ」。
これ、家にある藤本義一著「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」
(「幕末太陽伝」等の映画監督川島雄三のことを弟子であった作家藤本義一が書いた本」
を思い浮かべたのだが、
調べたら、井伏鱒二が漢詩を訳した中にこの言葉がある。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
また、寺山修司がカルメン・マキに詩を提供した歌に「さよならだけが人生ならば」というのがある。
さよならだけが人生ならば
また来る春は何だろう
ここまで書いて気が付いた。
この芝居のタイトルなのだ。
「また来る春は」。
寺山修司から来ていたのだ。
この芝居は。
最初、検索して調べた時
ボーカロイド初音ミクが歌う「さよならだけが人生だ」という歌がひっかった。
実はそこから引用したのかと思っていた。
「さよならだけが人生ならば」の詩は
最後こう締めくくられる。
さよならだけが人生ならば
人生なんかいりません
さよならは、状況により複雑な感情をもたらす。
悲しむべきことだったり、
喜ぶべきことだったり、
どちらもまじりあっていたり。
芝居の脚本では旅立つ恋人にさよならを言うという役だった女の子は
それを無視して、旅立つ恋人を追うという選択をとる。
つまり脚本の設定を勝手に変えてしまう。
それは、卒業という決定的なさよならへの
ひとつの抵抗かもしれない。
そして、自らも旅立つのである。