2017年07月19日21:05
磐田市民文化会館でZero Refracts「ルルカルウと黄金髑髏」を観た≫
カテゴリー │演劇
16日(日)15時30分~
15日、16日の両日行われた第17回人形劇フェスティバル in いわた
にて上演された演劇プログラム。
今までは、同じ作・演出者による作品が
水曜日のおべんと箱という劇団名で上演されていたと思う。
おそらくだが、メンバー構成により、
今回名前がこのようになったのかもしれない。
名前はZero Refracts。
チラシには、ゼロレフラクツとかながふってある。
refractとは屈折させる、という意味。
例えば
「レンズがビームを屈折させる」
「光軸に平行な光線はH1で屈折され、焦点F1を通り抜けて直線として続く。」
とネットで調べると、用例が出ているが、
日常会話で使う用語ではないだろう。
屈折がゼロとなるわけだから、
まっすぐ、直線ということなのだろうか。
人形劇フェスティバルということで、
イベント自体来る客は、
圧倒的に子供が多い。
しかも小学校低学年までの年齢ではないだろうか。
僕は所属するいわた表現の会からころの関連から
何回か観に行っている。
大人が観ても面白いなと思って観ているが、
まわりは子供とその親たち。
大人で単独で観に来る人はそんなに多くない。
磐田市民文化会館はキャパシティ1500人の大きな会場である。
入場すると
舞台セットが組まれ、
3面の映像が映し出されている。
開演すると、映像は話の流れにより
切り替わる。
途中挿入されるインストゥルメンタルの音楽はオリジナルではないだろうか。
中世の騎士物語やスターウォーズのようなスペースオペラを連想させる
物語の世界は大きい。
衣装や剣など小道具はひとつひとつきっちり作りこまれている。
メイクも念入りに施されている。
大きな世界を表現するには、
例えば、小説なら想像力を頼りに
ひたすら文字に移し替えればいい。
文字の意味を知る読者は、
理解力を頼りに文字に書かれた世界を追ってくれる。
但し、他の表現媒体に置き換える場合、
媒体に沿った表現方法が必要となる。
アニメやゲームを例にとれば、
クリエイターの机上の作業がメインで
小さな世界から大きな世界まで、
何とかなる。
しかし、演劇や映画は
机上のみでは済まない部分が多い。
映画は近頃はCGの発達で、
机上の割合も多いのだろうが、
観客の前で生で演じる演劇は
机上の部分を増やそうにも増やせない。
落語や講談は便利な表現媒体である。
演者の語りひとつで小さな世界かあ大きな世界まで表現する。
観てはいないが、
少年ジャンプ連載の「ワンピース」が歌舞伎で演じられた。
荒唐無稽な無国籍海賊譚は実写映画化するのも相当難しい気がするが、
歌舞伎で培われた伝統技法が、
このような題材の作品を扱うのも苦にしない。
ルフィーの腕が伸びるのは、もしかしたら、黒子が総がかりで担当するかもしれない。
舞台が幾度変わろうが、
書き割りが解決してくれる。
隈取りも似合いそうだ。
もちろん空を飛ぶことがあれば、宙乗りが解決してくれる。
戦いのシーンも、主役がそんなに頑張らなくても
相手役が派手にやられてくれる。
むしろ一番邪魔するのは
そのような題材を歌舞伎の世界で扱うことを
良しとするかどうか。
協会だったり、世間だったりするが、
今はそのあたりのハードルは低い。
じゃあルパン3世を歌舞伎でやればいいのか
ドラゴンボールをやればいいのか、
それは話は別。
話は戻る。
今回は大きな会場で行ったが、
会場を埋めるのはなかなかの労力がいる。
その上、見せる対象が小さな子供である。
もう少し小さな会場で行うのがいいのか、
もっとふさわしい表現手段があるのか、
そういえば、人形劇フェスティバルである。
人形劇でこのような大柄な世界を表現するのを観てみたい気がした。
例えば「スターウォーズ」の人形劇。
あ、これも別の話。
作・演出者は、自主映画も製作されている。
演劇と映画は表現手段が異なるが、
切り分けて考えているのか
それとも、同一線上で考えているのか。
見せる対象が異なるため、
話を聞いてみたい気がした。

15日、16日の両日行われた第17回人形劇フェスティバル in いわた
にて上演された演劇プログラム。
今までは、同じ作・演出者による作品が
水曜日のおべんと箱という劇団名で上演されていたと思う。
おそらくだが、メンバー構成により、
今回名前がこのようになったのかもしれない。
名前はZero Refracts。
チラシには、ゼロレフラクツとかながふってある。
refractとは屈折させる、という意味。
例えば
「レンズがビームを屈折させる」
「光軸に平行な光線はH1で屈折され、焦点F1を通り抜けて直線として続く。」
とネットで調べると、用例が出ているが、
日常会話で使う用語ではないだろう。
屈折がゼロとなるわけだから、
まっすぐ、直線ということなのだろうか。
人形劇フェスティバルということで、
イベント自体来る客は、
圧倒的に子供が多い。
しかも小学校低学年までの年齢ではないだろうか。
僕は所属するいわた表現の会からころの関連から
何回か観に行っている。
大人が観ても面白いなと思って観ているが、
まわりは子供とその親たち。
大人で単独で観に来る人はそんなに多くない。
磐田市民文化会館はキャパシティ1500人の大きな会場である。
入場すると
舞台セットが組まれ、
3面の映像が映し出されている。
開演すると、映像は話の流れにより
切り替わる。
途中挿入されるインストゥルメンタルの音楽はオリジナルではないだろうか。
中世の騎士物語やスターウォーズのようなスペースオペラを連想させる
物語の世界は大きい。
衣装や剣など小道具はひとつひとつきっちり作りこまれている。
メイクも念入りに施されている。
大きな世界を表現するには、
例えば、小説なら想像力を頼りに
ひたすら文字に移し替えればいい。
文字の意味を知る読者は、
理解力を頼りに文字に書かれた世界を追ってくれる。
但し、他の表現媒体に置き換える場合、
媒体に沿った表現方法が必要となる。
アニメやゲームを例にとれば、
クリエイターの机上の作業がメインで
小さな世界から大きな世界まで、
何とかなる。
しかし、演劇や映画は
机上のみでは済まない部分が多い。
映画は近頃はCGの発達で、
机上の割合も多いのだろうが、
観客の前で生で演じる演劇は
机上の部分を増やそうにも増やせない。
落語や講談は便利な表現媒体である。
演者の語りひとつで小さな世界かあ大きな世界まで表現する。
観てはいないが、
少年ジャンプ連載の「ワンピース」が歌舞伎で演じられた。
荒唐無稽な無国籍海賊譚は実写映画化するのも相当難しい気がするが、
歌舞伎で培われた伝統技法が、
このような題材の作品を扱うのも苦にしない。
ルフィーの腕が伸びるのは、もしかしたら、黒子が総がかりで担当するかもしれない。
舞台が幾度変わろうが、
書き割りが解決してくれる。
隈取りも似合いそうだ。
もちろん空を飛ぶことがあれば、宙乗りが解決してくれる。
戦いのシーンも、主役がそんなに頑張らなくても
相手役が派手にやられてくれる。
むしろ一番邪魔するのは
そのような題材を歌舞伎の世界で扱うことを
良しとするかどうか。
協会だったり、世間だったりするが、
今はそのあたりのハードルは低い。
じゃあルパン3世を歌舞伎でやればいいのか
ドラゴンボールをやればいいのか、
それは話は別。
話は戻る。
今回は大きな会場で行ったが、
会場を埋めるのはなかなかの労力がいる。
その上、見せる対象が小さな子供である。
もう少し小さな会場で行うのがいいのか、
もっとふさわしい表現手段があるのか、
そういえば、人形劇フェスティバルである。
人形劇でこのような大柄な世界を表現するのを観てみたい気がした。
例えば「スターウォーズ」の人形劇。
あ、これも別の話。
作・演出者は、自主映画も製作されている。
演劇と映画は表現手段が異なるが、
切り分けて考えているのか
それとも、同一線上で考えているのか。
見せる対象が異なるため、
話を聞いてみたい気がした。