2022年11月13日17:33
演劇ユニットFOX WORKS×劇団Z・A「飛龍大戦」を観た≫
カテゴリー │演劇
11月6日(日)17時~
路上演劇祭の鴨江界隈の街歩きが13時からあり、その後浜北へ。
「週刊少年ジャンプ」というRADWIMPSの曲がある。
開誠館高校の演劇部の公演でエンディングにこの曲が流れ、
知らなかった僕は、
漫画雑誌名が歌詞なんて変わった歌だなあと聞いていた。
きっとどんでん返し的な未来が僕を待っている。
血まみれからの方がさ 勝つ時にはかっこいいだろう
だから今はボロボロの心を隠さないで 泣けばいい (歌詞引用)
「飛龍大戦」を観ながら、「週刊少年ジャンプ」のことを考えた。
ロングラン・ヒット作は多くがアクション・バトルものであるのが特徴だ。
僕がジャンプの読者だったのは数十年前のことだ。
「ドラゴンボール」「北斗の拳」はわかるが、
「聖闘士星矢」「ジョジョの奇妙な冒険」「遊☆戯☆王」「ONE PIECE」「NARUTO」「銀魂」「僕のヒーローアカデミア」「鬼滅の刃」「呪術廻戦」は後に読んだか、またはほぼ知らない。
マンガのアニメ化はヒット作品の既定路線として成立しているが、
映画等の実写化となると途端に壁が立ちはだかる。
ハリウッドで映画化された作品もあるが、
評判的には成功例より失敗例の方が目立っている印象。
漫画、アニメなどの2次元メディアを舞台化する2.5次元ミュージカルというジャンルがあるが、
古くは宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」、
「テニスの王子」、「弱虫ペダル」、
近頃は「鬼滅の刃」が舞台化されたり、
歌舞伎では「ONE PIECE」「風の谷のナウシカ」も上演されている。
それらは娯楽・文化産業として、ひとつの興業の範疇として展開されている。
多くの予算が投下され、チケット収入等で回収するという商業サイクルの中で
消費者としての観客に満足を与える。
これらは東京など大都市に出向かなければ観ることができない。
複製ができる映像作品とは異なり、作品価値の消耗を防ぐために期間限定の配信はあっても
ロングラン作品などは映像化して販売することはしない。
劇団四季の「キャッツ」や「オペラ座の怪人」をDVDで観たいなあと思っても販売していない。
どこかで上演される時に観に行くしかない。
だから僕が観劇する浜松、たまに豊橋、静岡あたりではそういう演劇をあまり観ることがない。
今は小劇場演劇という言葉は死語だと思うが、
元々は大阪の大学内演劇でつかこうへい作品のコピーから始まった「劇団新感線」は
ある時からオリジナル脚本を用いてのエンターテイメント路線を貫いている。
「飛龍大戦」の作者で共同演出も務める狐野トシノリさんは演劇を始めた学生時代、
劇団新感線の芝居に憧れていたそうだ。
そういう原体験はとても大きいと思う。
ただし、資金的なバックやふさわしい制作環境がなければ、
劇団新感線のような作品を作ろうと思い立っても、いくつかの壁が立ちはだかる。
想定する作品世界を成立させるには何が必要か?
そこは藤枝を本拠に活動する劇団「Z・A」との共同創作ということを思い立った時点で
この題材の実行に至ったのだと思う。
劇団「Z・A」の作品を多く拝見しているわけではないが、
2015年はままつ演劇フェスティバル最優秀作品賞の「隻眼の紅蓮丸」は
地方演劇では珍しいレパートリー化とシリーズ化をにらんだ画期的な作品だと思う。
FOX WORKSとのコラボレーションは初めてではなく、
ブレヒトの「三文オペラ」を日本のかつての遊郭街に舞台に置き換えた作品で実施している。
その体験も基盤となっているだろう。
リーフレットのあらすじに
かつて、ある大国で長い王朝による~とあるが、
ならず者集団「九龍商會」とあれば、
九龍城など香港特別行政区内のある混沌とした一帯を連想するし、
狐野さん演じる飛鴻(フェイホン)は中国の伝説的武道家黄飛鴻(ウォン・フェイホン)のオマージュだろう。
ジャッキー・チェンの「ドランクモンキー酔拳」はウォン・フェイホンを主人公としたフィクション映画で、
僕はいつ狐野さんのアクションシーンで、酔拳が出てくるか、ハラハラ(?)した。
また九龍と言えば「ポリス・ストーリー」、
ある意味この脚本の根幹である師弟物ということで言えば「ベスト・キッド」、
どちらもジャッキー・チェンの主演作だ。
そこで、アクションというワードがこの演劇の重要課題となる。
バトルアクション場面をどう作るか?
そして、「週刊少年ジャンプ」の登場人物のようにキャラを立たせることに注力する。
小さなころからワクワクしたエンタメ作品を浴びた蓄積を爆発させればいい。
敵役チームのボスのオーラ、
手下たちは各自魅力的な得意技を持っていて、衣装やメイクなど出で立ちやアクションにも反映させる。
敵役が光を放ってこそ正義の味方が映える構造。
闘いの安息地、居酒屋は心癒す場。
そこには応援してくれる心優しい人達がいる。
無鉄砲さは微笑ましいがゆえにピンチを招く少年。
そんな安息の地がある日侵される。
敵と味方の間に存在する道化役三人組がいる。
物語によっては一人だったりコンビだったりするが、
三人は活用の幅を広げると思う。
漫談、漫才、コントと構造は同じ。
作者は、緊迫したドラマの緩衝材として有効活用する。
演技者の技量が試される難しい役どころだと思う。
その構造の中、九龍商會に家族を殺され復讐を誓うフェイリンと
フェイホンのかつての弟子、九龍商會のボス、ウーシンと
ふたりの共通の師匠フェイホンの三人を中心に話は展開する。
「週刊少年ジャンプ」の歌詞のように
“どんでん返し的”な裏切りが複数用意されている。
そのあたりも王道を外さず、物語を動かす。
血まみれの方がさ 勝つ時にはかっこいいだろう
だから今はボロボロの心を隠さないで 泣けばいい
そしてアクションエンターテイメントを成立させるスタッフワーク。
照明、音響、衣装、メイク、小道具、映像等。
フェイホンがフェイリンに修行させる場の梅や滝の映像は
映像作品ならロケ場所を探したり、CGを凝らさなければならないところ、
演劇ならではの趣向で対処し、面白かった。
滝を見ることが修行と命じたフェイリンの上達を
下からのアングルで、水の流れを止める映像で見せる。
(結局動体視力か~)
路上演劇祭の鴨江界隈の街歩きが13時からあり、その後浜北へ。
「週刊少年ジャンプ」というRADWIMPSの曲がある。
開誠館高校の演劇部の公演でエンディングにこの曲が流れ、
知らなかった僕は、
漫画雑誌名が歌詞なんて変わった歌だなあと聞いていた。
きっとどんでん返し的な未来が僕を待っている。
血まみれからの方がさ 勝つ時にはかっこいいだろう
だから今はボロボロの心を隠さないで 泣けばいい (歌詞引用)
「飛龍大戦」を観ながら、「週刊少年ジャンプ」のことを考えた。
ロングラン・ヒット作は多くがアクション・バトルものであるのが特徴だ。
僕がジャンプの読者だったのは数十年前のことだ。
「ドラゴンボール」「北斗の拳」はわかるが、
「聖闘士星矢」「ジョジョの奇妙な冒険」「遊☆戯☆王」「ONE PIECE」「NARUTO」「銀魂」「僕のヒーローアカデミア」「鬼滅の刃」「呪術廻戦」は後に読んだか、またはほぼ知らない。
マンガのアニメ化はヒット作品の既定路線として成立しているが、
映画等の実写化となると途端に壁が立ちはだかる。
ハリウッドで映画化された作品もあるが、
評判的には成功例より失敗例の方が目立っている印象。
漫画、アニメなどの2次元メディアを舞台化する2.5次元ミュージカルというジャンルがあるが、
古くは宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」、
「テニスの王子」、「弱虫ペダル」、
近頃は「鬼滅の刃」が舞台化されたり、
歌舞伎では「ONE PIECE」「風の谷のナウシカ」も上演されている。
それらは娯楽・文化産業として、ひとつの興業の範疇として展開されている。
多くの予算が投下され、チケット収入等で回収するという商業サイクルの中で
消費者としての観客に満足を与える。
これらは東京など大都市に出向かなければ観ることができない。
複製ができる映像作品とは異なり、作品価値の消耗を防ぐために期間限定の配信はあっても
ロングラン作品などは映像化して販売することはしない。
劇団四季の「キャッツ」や「オペラ座の怪人」をDVDで観たいなあと思っても販売していない。
どこかで上演される時に観に行くしかない。
だから僕が観劇する浜松、たまに豊橋、静岡あたりではそういう演劇をあまり観ることがない。
今は小劇場演劇という言葉は死語だと思うが、
元々は大阪の大学内演劇でつかこうへい作品のコピーから始まった「劇団新感線」は
ある時からオリジナル脚本を用いてのエンターテイメント路線を貫いている。
「飛龍大戦」の作者で共同演出も務める狐野トシノリさんは演劇を始めた学生時代、
劇団新感線の芝居に憧れていたそうだ。
そういう原体験はとても大きいと思う。
ただし、資金的なバックやふさわしい制作環境がなければ、
劇団新感線のような作品を作ろうと思い立っても、いくつかの壁が立ちはだかる。
想定する作品世界を成立させるには何が必要か?
そこは藤枝を本拠に活動する劇団「Z・A」との共同創作ということを思い立った時点で
この題材の実行に至ったのだと思う。
劇団「Z・A」の作品を多く拝見しているわけではないが、
2015年はままつ演劇フェスティバル最優秀作品賞の「隻眼の紅蓮丸」は
地方演劇では珍しいレパートリー化とシリーズ化をにらんだ画期的な作品だと思う。
FOX WORKSとのコラボレーションは初めてではなく、
ブレヒトの「三文オペラ」を日本のかつての遊郭街に舞台に置き換えた作品で実施している。
その体験も基盤となっているだろう。
リーフレットのあらすじに
かつて、ある大国で長い王朝による~とあるが、
ならず者集団「九龍商會」とあれば、
九龍城など香港特別行政区内のある混沌とした一帯を連想するし、
狐野さん演じる飛鴻(フェイホン)は中国の伝説的武道家黄飛鴻(ウォン・フェイホン)のオマージュだろう。
ジャッキー・チェンの「ドランクモンキー酔拳」はウォン・フェイホンを主人公としたフィクション映画で、
僕はいつ狐野さんのアクションシーンで、酔拳が出てくるか、ハラハラ(?)した。
また九龍と言えば「ポリス・ストーリー」、
ある意味この脚本の根幹である師弟物ということで言えば「ベスト・キッド」、
どちらもジャッキー・チェンの主演作だ。
そこで、アクションというワードがこの演劇の重要課題となる。
バトルアクション場面をどう作るか?
そして、「週刊少年ジャンプ」の登場人物のようにキャラを立たせることに注力する。
小さなころからワクワクしたエンタメ作品を浴びた蓄積を爆発させればいい。
敵役チームのボスのオーラ、
手下たちは各自魅力的な得意技を持っていて、衣装やメイクなど出で立ちやアクションにも反映させる。
敵役が光を放ってこそ正義の味方が映える構造。
闘いの安息地、居酒屋は心癒す場。
そこには応援してくれる心優しい人達がいる。
無鉄砲さは微笑ましいがゆえにピンチを招く少年。
そんな安息の地がある日侵される。
敵と味方の間に存在する道化役三人組がいる。
物語によっては一人だったりコンビだったりするが、
三人は活用の幅を広げると思う。
漫談、漫才、コントと構造は同じ。
作者は、緊迫したドラマの緩衝材として有効活用する。
演技者の技量が試される難しい役どころだと思う。
その構造の中、九龍商會に家族を殺され復讐を誓うフェイリンと
フェイホンのかつての弟子、九龍商會のボス、ウーシンと
ふたりの共通の師匠フェイホンの三人を中心に話は展開する。
「週刊少年ジャンプ」の歌詞のように
“どんでん返し的”な裏切りが複数用意されている。
そのあたりも王道を外さず、物語を動かす。
血まみれの方がさ 勝つ時にはかっこいいだろう
だから今はボロボロの心を隠さないで 泣けばいい
そしてアクションエンターテイメントを成立させるスタッフワーク。
照明、音響、衣装、メイク、小道具、映像等。
フェイホンがフェイリンに修行させる場の梅や滝の映像は
映像作品ならロケ場所を探したり、CGを凝らさなければならないところ、
演劇ならではの趣向で対処し、面白かった。
滝を見ることが修行と命じたフェイリンの上達を
下からのアングルで、水の流れを止める映像で見せる。
(結局動体視力か~)