藤枝ノ演劇祭2へ行った。

カテゴリー │演劇

3月5日(日)

浜松から車で藤枝へ。
この日は雨。
その日の天気予報をさかのぼったら、
「この日は高気圧に覆われて西日本。北陸、北日本では晴れ。
関東、東海は雲が多く、沿岸部では雨が降りやすい。」

13時30分から蓮華寺池公園博物館前イベント広場で行われる
劇団渡辺「蓮華寺池のさかさま姫」を観る。
開演時間間際で雨天決行と案内しているが、雨が降りしきる会場には傘をさす人がパラパラ。
博物館の軒先で雨宿りしながら開演を待つ。
「~のさかさま姫」は昨年春、静岡市のストレンジシードでも演じられ、
僕は、秋、浜松でのSPAC版「~のさかさま姫」を観ている。
観劇中、雨はより強くなり、寒くてダウンジャケットのフードを頭にかぶる。
降りしきる雨の元、傘をさし、立ちっぱなしで観ようとする人は多くはない。
僕はこれも演劇と自分に言い聞かせながら観る。
演者ばかりか観客も決して安穏と過ごせる守られた場所にいるのではない。
その関係はどこか常に対峙している。

続いて、白子ノ劇場で14時30分から第七劇場「赤ずきん」。
ウィキペディアによると赤ずきんで最も古いのは1967年にフランスで出版されたペロー童話集にあるそうだが、
それ以前にも類話が確認されているそうだ。
現代の家庭を舞台にした赤ずきん。
当日配布されたリーフレットに、
構成・演出の鳴海康平さんの今回上演のために追記された文章にこうある。
「私たちがよく知る童話・民話では、お父さんの存在感が薄いお話が少なくありません。」

僕はその例をすらすらあげることは出来ないが、
確かに赤ずきんちゃんには、お父さんの影が全く見えない。
お母さんにおばあさんの所へお使いを頼まれた赤ずきんちゃんは、道草をしないという言いつけを守らなかったため、散々な目に会うが、奇跡的に助かり、お母さんの元に無事戻ってくるという話。

本来なら夜になっても帰ってこない赤ずきんちゃんを、仕事から帰ってきたお父さんと祈る気持ちで待っていたお母さんが、
体をぶるぶるふるわせながら心配したり探しまくっているかもしれない。

病気のおばあさんだけでなく、幼い赤ずきんちゃんもオオカミに食べられてしまう過程は、
あらためてすごい話だと思う。
それでオオカミのお腹切り開かれて、おばあさんも一緒に助かるなんて。

白子ノ劇場の次は、大慶寺というお寺。
この移動、公演同士のインターバルと距離に無理があり、
到着したときは、予定開演時間を過ぎていた。
住職さんが前置きの講話を延長しながら、到着を待ってくれていた。
会場間、徒歩12分は、きっと行為の条件が限定される。
意識して速足で歩かねばならないとか。
次回は考慮を望む。

15時30分からの百景社「駆込み訴え」は、太宰治の短編小説を題材とする。
僕は、演劇祭のHPの紹介画像を見て、
本を手にしての朗読上演と思い込んでいた。
むしろ、朗読をどのように見せるのか、それに興味があり観に行ったとも言える。

ところが、本は影も形もなく、
演者は本の内容を頭に入れた上の、動きのある演劇上演であった。
途中別の人の声が入ったり、プロジェクターで文字が映し出される演出もあるが、
60分の上演時間の多くは鬼頭愛さんのひとり芝居だった。

僕はこの小説を読んだことはない。
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い~」と始まるが、
しばらくは主体がわからなかった。
誰の何のための語りなのか。
ヤコブだとか、ヨハネだとかの名が出てきて、ようやく、もしや、と思う。
寺院で
私の名が、自ら名乗ることで明かされるのは、小説の終わり、そして語りも終わる時。

のちほど、というより、観劇してから3週間以上経った、この文章を書いている今知る。
2013年の初演の時は、本を持ってのドラマリーディング。
何度か上演したのち、2021年秋からは鬼頭さんの出演となり、
4都市で上演した後の5都市目である藤枝での今回、初めて本を手放すことになったと言う。
それら過程を経た迫力があった。
今までもめいっぱい演じられたであろう。
次回はまたより自由になることだろう。
それはこの日までの過程を経た結果である。

この日最後の場所は大きな会館。
藤枝市民会館 ホールで、ユニークポイント「トリガー」。
大慶寺からの移動時、案内役の方が、ナビゲートしてくれた。
「昨日はいっぱいしゃべったんですが、今日はさっきの芝居見て、ささってしまって」と語り掛けられてからは、
梯子観劇する何人かの同行者たちとともにしばし話に花が咲く。

これも演劇祭のひとつの演出事項。
藤枝市内の街歩きや講演などの演劇上演以外のイベントもあり、
演劇人たちのみでなく、市民ボランティアたちと共に作られていることがうかがえる。

「トリガー」はユニークポイントの主宰者山田裕幸さんによる、
「テアトロ」という演劇雑誌が主催する「テアトロ新人戯曲賞」の2005年受賞作。
リーフレットに、
2004年にこの作品を書き終えた時、これはなんかの賞を受賞するだろうと思っていたら本当にいただいた作品です、
と書かれている。
格好いい。
これはご本人にとって納得できるものを書けたという時の実感だったのだろう。

ぐらついた歯に始まり、とうとう歯が抜けるに終わる。
行くべき歯医者を先送りしている間にこうなった。
それは取り返しが効かないことだった。
本人にとっても、そして周りの人にとっても。
それは一見、変わらない日常の中で起こる。

でも冷蔵庫が勝手に開けられないように施錠された鎖でぐるぐる巻きにされている日常は普通ではない。
それがあたりまえの日常であるかのように俳優は演技し、演出されている。
出来事が積み重なって行くに従い、後戻りが出来ない状況になっていく。
そんな状況に観客がフト気が付いた時、客席はみな固唾をのんでシンとしている。
いいサスペンスとは単純に言えない辛い結末。
一方の主人公であるお母さんが最後まで出てこないのが切ない。

藤枝ノ演劇祭2へ行った。



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