2023年05月27日08:40
穂の国とよはし芸術劇場PLATでMONO「なるべく派手な服を着る」を観た≫
カテゴリー │演劇
3月19日(日)14時30分~
MONOは京都を拠点に活動する劇団。
2004年に「はままつ演劇・人形劇フェスティバル」で、
浜松で活動する劇団の自主公演や人形劇公演、各ワークショップの中、
招聘公演としてMONOの「相対性浮世絵」を上演した。
これは当時小劇場を中心に浜松に呼び、公演をしていたフリーランサーの榊原さんが、
実行委員会に関わっていたことから招聘に至った。
榊原さんは、東京や名古屋、京都や大阪など関西に自ら足を運び、
小劇場を観て、これはと思った劇団に声をかけ、浜松公演を呼びかける。
フリーランサーは榊原さんを主宰とした、小劇場招聘サークルだ。
揃って日帰りの観劇旅行にいったり、お花見会を開いたり、
招聘公演を行うとなれば、宣伝PR、チケット販売、滞在中のサポートをしたりする。
公演後の打ち上げがあれば、大きな楽しみのひとつだったかもしれない。
公演にあたり、劇団の主宰者等が、浜松に出向き、勉強会を開いたりする。
その中には青年団の平田オリザさんや燐光群の坂手洋二さんもいる。
横内謙介さんの扉座、佃典彦さんのB級遊撃隊、大橋泰彦さん・伊東由美子さんの離風霊船も招聘した。
MONOはフリーランサーとしては呼んでいないが、
当時の榊原さんの小劇場通いによる劇団採集作業の流れの中、名前が挙がったと思う。
僕は以前、榊原さんと同じ劇団にいたこともあり、
互いにそこを離れた後も、付き合いがあったので、
MONOのことも耳にする機会が増える。
この日観た「なるべく派手な服を着る」と同様、土田英生さんの作・演出。
土田さん自身も役者として出演するのが特徴。
立命館大学出身の土田さん、奥村さん、水沼さん、金替さん、尾方さんの5人は、
2004年の「相対的浮世絵」でも出演している。
しかも登場人物はこの5人だけ。
こんなに固定のメンバーが長く活動している劇団は珍しいのではないだろうか?
「なるべく派手な服を着る」は15年前の2008年に上演され、今回は再演。
同じ戯曲で5人は同じ役を演じる。
6人の男ばかりの兄弟で四ツ子だという長男~四男と年下の五男を演じるのがこの5人。
五男は存在感が薄く、派手な服を着ているが、兄たちから名前も思い出されない。
その下の六男は逆に四ツ子の兄たちからやたらと可愛がられている。
長男が父の面倒を見ながら暮らしている実家に兄弟たちが、父の具合が悪くなってきたのを理由に集まってくる。
父の跡を継ぎ書道家をしている長男は、かつて強盗殺人犯として逮捕されたことがあるが、誤認逮捕だったという過去がある。
長男をうらやましく思っている次男は、内縁の妻を連れてくる。
三男は写真集を出すほどの有名カメラマン。
四男は無職だが、次男同様内縁の妻を連れてくる。
存在感の薄い五男は、本人は恋人だ思っている女性を連れてくる。
そして、可愛がられている六男。
男ばかり六人兄弟というと、赤塚不二夫の「おそ松くん」。
ただし、こちらは六つ子で、
演劇の方は四つ子で、下に2人。
でも、これ、どこか赤塚不二夫の不条理な世界!と思う。
「天才バカボン」は、家族とその周辺を題材にしているが、
あの一家、現実の世界ではまったくリアリティがない。
パパ、ママ、バカボン、はじめちゃん。
演劇の兄弟たちのこの設定は、15年前演じるのと今演じるのでは感じるリアリティが違う。
俳優たちの実際の年齢と重ね合わせて見てしまうのだ。
40歳で演じていた時と50歳代半ばで演じている時。
独身の男が40歳で自宅で臥せった親の面倒を見るのと、
50代半ばになった時は状況は変わってくると思う。
親の年齢も違うので、自分でできることも違う。
また内縁の妻を持つこと、そして相手の事情、
好きな仕事をひとりで続けていくこと、
無職であること、
恋人だと思っている相手にも認められていないということ、
これらは、年齢が重なると、どこか重みも増す。
実家は、増築を重ねたという設定で、
まるで迷路のようで、特に台所に行くには、先ず押し入れに入って、
そこから何度か曲がらないとたどりつかない。
法事等で外に出ていた兄弟たちが集まった時、
嫁や内縁の妻や恋人など、他家から来た女性たちは、
台所でコミュニケーションを取る。
お茶を出すときや、お茶碗を洗う時、
そこで、いつもは言えない愚痴を言ったり、
また、この家の人たちと付き合う有用なアドバイスをもらうかもしれない。
そこに男たちはいない。
これはかつての日本的な「家」「家族」の構造かもしれない。
演劇が行われる主な舞台は、ちゃぶ台が置かれた居間であり、
掛け軸の文字は「家庭円満」。
これらの構造が時代と共に変化する。
故郷も家族も変化する。
それが一度大逆転するのがこの演劇の魅力。
荒唐無稽で、それ今まで気付かないのありえない、と正直思うが、
元々、赤塚不二夫の不条理な世界。
それを飲み込むと、テーマが見えてくる。
子どもの頃からかまってもらいたくて、派手な服を着ていた五男が、
ひとつの目的を果たす。
これは特別なことではなくて、承認欲求は、誰でも共通。
不条理ギャグ漫画も意外とロマンチックに普通に終わることも多いのではないだろうか。
ただ、俳優の実年齢と重ね合わせると、もっと早く果たせよ!とも言いたくなる。
最後に「セットがすごいと思う」。
MONOは京都を拠点に活動する劇団。
2004年に「はままつ演劇・人形劇フェスティバル」で、
浜松で活動する劇団の自主公演や人形劇公演、各ワークショップの中、
招聘公演としてMONOの「相対性浮世絵」を上演した。
これは当時小劇場を中心に浜松に呼び、公演をしていたフリーランサーの榊原さんが、
実行委員会に関わっていたことから招聘に至った。
榊原さんは、東京や名古屋、京都や大阪など関西に自ら足を運び、
小劇場を観て、これはと思った劇団に声をかけ、浜松公演を呼びかける。
フリーランサーは榊原さんを主宰とした、小劇場招聘サークルだ。
揃って日帰りの観劇旅行にいったり、お花見会を開いたり、
招聘公演を行うとなれば、宣伝PR、チケット販売、滞在中のサポートをしたりする。
公演後の打ち上げがあれば、大きな楽しみのひとつだったかもしれない。
公演にあたり、劇団の主宰者等が、浜松に出向き、勉強会を開いたりする。
その中には青年団の平田オリザさんや燐光群の坂手洋二さんもいる。
横内謙介さんの扉座、佃典彦さんのB級遊撃隊、大橋泰彦さん・伊東由美子さんの離風霊船も招聘した。
MONOはフリーランサーとしては呼んでいないが、
当時の榊原さんの小劇場通いによる劇団採集作業の流れの中、名前が挙がったと思う。
僕は以前、榊原さんと同じ劇団にいたこともあり、
互いにそこを離れた後も、付き合いがあったので、
MONOのことも耳にする機会が増える。
この日観た「なるべく派手な服を着る」と同様、土田英生さんの作・演出。
土田さん自身も役者として出演するのが特徴。
立命館大学出身の土田さん、奥村さん、水沼さん、金替さん、尾方さんの5人は、
2004年の「相対的浮世絵」でも出演している。
しかも登場人物はこの5人だけ。
こんなに固定のメンバーが長く活動している劇団は珍しいのではないだろうか?
「なるべく派手な服を着る」は15年前の2008年に上演され、今回は再演。
同じ戯曲で5人は同じ役を演じる。
6人の男ばかりの兄弟で四ツ子だという長男~四男と年下の五男を演じるのがこの5人。
五男は存在感が薄く、派手な服を着ているが、兄たちから名前も思い出されない。
その下の六男は逆に四ツ子の兄たちからやたらと可愛がられている。
長男が父の面倒を見ながら暮らしている実家に兄弟たちが、父の具合が悪くなってきたのを理由に集まってくる。
父の跡を継ぎ書道家をしている長男は、かつて強盗殺人犯として逮捕されたことがあるが、誤認逮捕だったという過去がある。
長男をうらやましく思っている次男は、内縁の妻を連れてくる。
三男は写真集を出すほどの有名カメラマン。
四男は無職だが、次男同様内縁の妻を連れてくる。
存在感の薄い五男は、本人は恋人だ思っている女性を連れてくる。
そして、可愛がられている六男。
男ばかり六人兄弟というと、赤塚不二夫の「おそ松くん」。
ただし、こちらは六つ子で、
演劇の方は四つ子で、下に2人。
でも、これ、どこか赤塚不二夫の不条理な世界!と思う。
「天才バカボン」は、家族とその周辺を題材にしているが、
あの一家、現実の世界ではまったくリアリティがない。
パパ、ママ、バカボン、はじめちゃん。
演劇の兄弟たちのこの設定は、15年前演じるのと今演じるのでは感じるリアリティが違う。
俳優たちの実際の年齢と重ね合わせて見てしまうのだ。
40歳で演じていた時と50歳代半ばで演じている時。
独身の男が40歳で自宅で臥せった親の面倒を見るのと、
50代半ばになった時は状況は変わってくると思う。
親の年齢も違うので、自分でできることも違う。
また内縁の妻を持つこと、そして相手の事情、
好きな仕事をひとりで続けていくこと、
無職であること、
恋人だと思っている相手にも認められていないということ、
これらは、年齢が重なると、どこか重みも増す。
実家は、増築を重ねたという設定で、
まるで迷路のようで、特に台所に行くには、先ず押し入れに入って、
そこから何度か曲がらないとたどりつかない。
法事等で外に出ていた兄弟たちが集まった時、
嫁や内縁の妻や恋人など、他家から来た女性たちは、
台所でコミュニケーションを取る。
お茶を出すときや、お茶碗を洗う時、
そこで、いつもは言えない愚痴を言ったり、
また、この家の人たちと付き合う有用なアドバイスをもらうかもしれない。
そこに男たちはいない。
これはかつての日本的な「家」「家族」の構造かもしれない。
演劇が行われる主な舞台は、ちゃぶ台が置かれた居間であり、
掛け軸の文字は「家庭円満」。
これらの構造が時代と共に変化する。
故郷も家族も変化する。
それが一度大逆転するのがこの演劇の魅力。
荒唐無稽で、それ今まで気付かないのありえない、と正直思うが、
元々、赤塚不二夫の不条理な世界。
それを飲み込むと、テーマが見えてくる。
子どもの頃からかまってもらいたくて、派手な服を着ていた五男が、
ひとつの目的を果たす。
これは特別なことではなくて、承認欲求は、誰でも共通。
不条理ギャグ漫画も意外とロマンチックに普通に終わることも多いのではないだろうか。
ただ、俳優の実年齢と重ね合わせると、もっと早く果たせよ!とも言いたくなる。
最後に「セットがすごいと思う」。