2016年07月26日23:56
ライブハウスKIRCHHERRでSONS WO:「シティⅡ」を観た≫
カテゴリー │演劇
23日(土)19時~
ライブハウスであるKIRCHERRは、田町のKAGIYAビルの地下1階にある。
その日は浜松駅南にあるサッポロ街
(とはいえ、有名ビール会社の営業の一環で名付けられた看板上の名前だそうで、
札幌出身の人たちが、いろいろあって浜松にたどり着き・・・などというドラマはないようだ)
で17時に待ち合わせをし、次回の路上演劇祭の実行委員会。
その後、駅北に向かい、SONS WO:「シティⅡ」の観劇。
ライブハウスなので、1ドリンクつく。
エビスビールを注文する。
「あ、サッポロビールの銘柄だ・・・」
とその時は思わず、今書きながら、そう思った。
浜松出身のカゲヤマ気象台さんによるSONS WO:の公演は
2012年に有楽街で行われた路上演劇祭、
そして、万年橋で行われた単独公演を観た。
今回は、台本を用意しない所から始めたということだった。
そして、昨年11月に公演された「シティ」の続編ということだ。
僕は僕の公演と時期が重なり、観劇できなかった。
「ロッキー2」を「ロッキー」を観なくても問題なく観れるように、
前作の「シティ」を観ていないが、「シティⅡ」のみで語らせていただく。
北村想氏が書いた「寿歌」と言う作品がある。
核戦争後の瓦礫と化した町を舞台にしている。
遠くで、残ったミサイルを打ち上げているようだが、
人の気配はない。
そこに男女2人が現われ、のちに現れた男1人と出会い、別れる話である。
命をつないでいるのを示すように、干しイモを食す。
何もない中、何がしか人間が行動し、語るさまがこの芝居である。
「シティ」と似ているかも。
僕が観た「シティⅡ」は、海辺と思われる場所に途方に暮れた男2人と女1人がいる。
客席と舞台の境界に並べられた物たちは、瓦礫か、海から打ち上げられた廃棄物か。
食パンとカップ麺は、命をつなぐ物の存在の象徴か。
10年前に何事か町(シティ)を壊滅させる何事かが起こったようだ。
基本的に何もないところにたった3人の人間が放り出される。
そんなプリミティブな状況の中、
役者たちは用意された台本「言葉」も頼りにできない負荷を負っているように見える。
やっと絞り出されるセリフはなぜか英語。
言葉が頼りにならないなら、
役者はどう感情を発すればいいか、
どう身体を動かせばいいか腐心する。
とうぜん、役者はてんで自分勝手にやっているのではなく、
演出家の周到な計算が働いている。
その計算が、ここでは言語となる。
観客である僕はそれを読み取ろうとする。
言葉で発せられた台詞と同じように。
途中それまでDJブース的な場所で、音を入れていた作・演出家が
パンを持って舞台に躊躇なく入り、3人の役者たちに手渡す。
命をつなぐ食料としてのパンを。
「シティⅡ」は3部作で、2017年には「シティⅢ」を予定しているそうだ。
チラシに書かれた言葉によると、「未来」をテーマにしているようだ。
終演後、作・演出者のカゲヤマ気象台さんに聞いたが、
「シティ」は10年前を回想する話だったそうだ。
「寿歌」に続いて、「寿歌・Ⅱ」があるが、
こちらは、時代をさかのぼって、核戦争の少し前を舞台にしている。
つまり1作目の「寿歌」が最終章となる。
「シティⅢ」はどのように最終章を迎えるだろうか。

ライブハウスであるKIRCHERRは、田町のKAGIYAビルの地下1階にある。
その日は浜松駅南にあるサッポロ街
(とはいえ、有名ビール会社の営業の一環で名付けられた看板上の名前だそうで、
札幌出身の人たちが、いろいろあって浜松にたどり着き・・・などというドラマはないようだ)
で17時に待ち合わせをし、次回の路上演劇祭の実行委員会。
その後、駅北に向かい、SONS WO:「シティⅡ」の観劇。
ライブハウスなので、1ドリンクつく。
エビスビールを注文する。
「あ、サッポロビールの銘柄だ・・・」
とその時は思わず、今書きながら、そう思った。
浜松出身のカゲヤマ気象台さんによるSONS WO:の公演は
2012年に有楽街で行われた路上演劇祭、
そして、万年橋で行われた単独公演を観た。
今回は、台本を用意しない所から始めたということだった。
そして、昨年11月に公演された「シティ」の続編ということだ。
僕は僕の公演と時期が重なり、観劇できなかった。
「ロッキー2」を「ロッキー」を観なくても問題なく観れるように、
前作の「シティ」を観ていないが、「シティⅡ」のみで語らせていただく。
北村想氏が書いた「寿歌」と言う作品がある。
核戦争後の瓦礫と化した町を舞台にしている。
遠くで、残ったミサイルを打ち上げているようだが、
人の気配はない。
そこに男女2人が現われ、のちに現れた男1人と出会い、別れる話である。
命をつないでいるのを示すように、干しイモを食す。
何もない中、何がしか人間が行動し、語るさまがこの芝居である。
「シティ」と似ているかも。
僕が観た「シティⅡ」は、海辺と思われる場所に途方に暮れた男2人と女1人がいる。
客席と舞台の境界に並べられた物たちは、瓦礫か、海から打ち上げられた廃棄物か。
食パンとカップ麺は、命をつなぐ物の存在の象徴か。
10年前に何事か町(シティ)を壊滅させる何事かが起こったようだ。
基本的に何もないところにたった3人の人間が放り出される。
そんなプリミティブな状況の中、
役者たちは用意された台本「言葉」も頼りにできない負荷を負っているように見える。
やっと絞り出されるセリフはなぜか英語。
言葉が頼りにならないなら、
役者はどう感情を発すればいいか、
どう身体を動かせばいいか腐心する。
とうぜん、役者はてんで自分勝手にやっているのではなく、
演出家の周到な計算が働いている。
その計算が、ここでは言語となる。
観客である僕はそれを読み取ろうとする。
言葉で発せられた台詞と同じように。
途中それまでDJブース的な場所で、音を入れていた作・演出家が
パンを持って舞台に躊躇なく入り、3人の役者たちに手渡す。
命をつなぐ食料としてのパンを。
「シティⅡ」は3部作で、2017年には「シティⅢ」を予定しているそうだ。
チラシに書かれた言葉によると、「未来」をテーマにしているようだ。
終演後、作・演出者のカゲヤマ気象台さんに聞いたが、
「シティ」は10年前を回想する話だったそうだ。
「寿歌」に続いて、「寿歌・Ⅱ」があるが、
こちらは、時代をさかのぼって、核戦争の少し前を舞台にしている。
つまり1作目の「寿歌」が最終章となる。
「シティⅢ」はどのように最終章を迎えるだろうか。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
|
|
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。