穂の国とよはし芸術劇場PLATアートスペースで地点「君の庭」【劇場版】を観た

カテゴリー │演劇

9月26日(土)14時30分~

9月21日に、松菱跡で「野外劇 夏の夜の夢」を観たが、
同じ日に鴨江アートセンターでSPAC上映会「夜叉ヶ池」を13時30分より観た。

こちらは、2009年に静岡芸術劇場で上演されたものの収録映像を観るという企画だった。
僕もSPACの「夜叉ヶ池」を観劇しているが、初演であった2009年のものだったか、
それ以後の再演のものであったのかは、調べてみないと思い出せない。

ゲストであったSPACの俳優・布施安寿香さんの上映後の言葉は、
初演時とそれ以後の演技の違いなどが話され、興味深かった。
こちらの映像は、演劇のテレビ上映でも見慣れたもので、
複数のカメラを使い、全体を映し出したり、
また、場所を切り取りクローズアップしたりしたカットを
編集して、上演時間分に仕上げている。

生の演劇が観客の意思で、
観たいカットを選択できるのに対し、
映像はカメラマンや編集者により選択されたカットを
観客は観ることになる。
映画は、それを前提に作られるが、
演劇は違うので、
そこで齟齬ができるのはあたりまえのことである。
例えば、
独白している個人にクロースアップすれば、
その他の人たちの反応はうかがい知れない、とか。

ここまで書いて、言うが、
これは地点の「君の庭」についての記事である。
すでに観劇したのだが、
どうもうかがい知れぬことがある。

チラシは当日の案内リーフレットには
出演者に
窪田史恵さんという女性の名がクレジットされているが、
演劇に登場されていた女性は安部聡子さんのみであったように思う。

あらかじめセリフ録音されていた音源も使用されていたため、
その声が窪田さんなのかもしれない。

僕は、地点の演劇公演は初めて観る。
演出の三浦基さんは、PLAT発行の情報誌のインタビューで、
演劇を学んでいた大学時代、年間200本以上の演劇を見まくり、
商業演劇からコントまで全部見ないとだめだと思い観た、
と言っている。

「君の庭」の作者である松原俊太郎さんは
京都で定期的に上演している地点の公演を観て、
それから三浦さんと知り合うことになり、
もともと小説を書いていた松原さんは戯曲を書くようになり、
「山山」という東北大震災を扱った戯曲で第63回の岸田國士戯曲賞を受賞している。
「山山」も地点により上演されている。

「君の庭」も三浦さんとの話の中で「天皇制」というテーマを提案され執筆され、
今回の上演に至る。
松原さんは語っているが、戯曲を書くとき、上演する側のことを考えないで書くという。
作・演出を兼ねる場合も多い特に日本の演劇では
劇団の主宰である場合も多いので、
どうしても役者の顔を浮かべて執筆しがちだ。
当て書きなどは、役者の特性を生かした作品になるといういい点もあるが、
一面、つまらなさもあるだろう。

松原さんはそんなことおかまいなしに、
たぶん与えられたテーマ(今回は天皇制)にそって、
好き勝手に書く。
演劇雑誌「悲劇喜劇」に掲載された「山山」の戯曲は冒頭からの長台詞に
僕などは役者の労苦を考えてしまう。
それなどは、むしろ余計なお世話で、
実際、熱心な役者は人の前に立つときは
裏の苦労も微塵と感じさせず、こともなげに台詞を披露したりするものだ。

ただし、僕は今回の公演を観ながら、
冒頭からずいぶんと録音の音が使用されていたので、
内容よりも、ああ、コロナ対応かなあ、と余計なことを考えていた。
音響では電子音がリズムをとり、「ボンジン、ボンボンジン・・・」などと
こちらも録音されていた声が合いの手のように入る。

考えてみれば音楽でもサンプリングは常套手段だし、
演劇でもそのような手法を使った作品は見受けられそうだ。
要するに、今まさにここで、人間の体から発する声、生声がすべてではないのだ。
電子機器の発達で過去の音も使えるし、編集加工もできるし、
もしも霊媒が発達すれば、死んだ人の声も生の舞台で呼び出して、
活用されるかもしれない。(あほか!)

とは言え、実際長台詞を録音でこなすことが出来るのなら、
役者の負担がぐっと減る。
でもこれを楽してやがる、と非難めいて思うのは、
リモートの会議やことによると営業も可能になり、
どうして、足を運ばないのだと非難めいて思うのと変わらず、
これは絶対時代的に古い。
ただし、古いからと言って、間違いではないとは思う。
例えば、おばあちゃんが孫からメールで「たんじょうびおめでとう」とぽつんと送られるよりも
やっぱり、来てくれた方がうれしいだろうて。(例外はあるだろう)

しかしながらコロナ対応は確かだろう。
常は地点の公演はアクティブで、役者同士の接触も多い芝居なのだそうだ。
アフタートークで三浦さんが弁明のように言っていた。
何度も観ている人はこのバージョンを理解するが
初めての人にはエクスキューズが必要と考えたのも主宰者の誠意だ。

稽古の進め方もの話も興味深かった。
役者が日本の各地方の方言で語る個所があるが、
これは戯作者や演出家の指定ではなくて
役者が自ら考えて、稽古場で提案し、採用されていくという過程を踏むのだそうだ。

舞台の真ん中付近に天井から吊り下げられた数本のあかりが、
演劇の進行中、ランダムに上下する。
これは、照明家のアイディアで、動きはコンピューターでプログラミングされているのだそうだ。
動きは地味だが奥深い。
アフタートークで役者がセンターにいないとき、
照明を観て楽しんでもらえるような意味のことをおっしゃっていたが、
さすがにマニアックすぎると素直に同意できなかった。

さあ、長々と書き綴っているが、
肝心の内容のことには触れていない。
観ながら、いわゆる「天皇制」ということの概論についての演劇かと思った。
天皇制論というか。
しかし、チラシに書かれたあらすじを読むと、
もっと物語的なのだ。
あまり一致しないように思うのは
僕の感受性の感度の問題かもしれない。

ただし、もう少し確認してみたい気がしている。
この作品は、さまざまな点で「コロナ対応も演劇の一部」という信念があるかのように
演劇の中に取り入れている。
そのひとつに僕が観た【劇場版】の他、【オンライン版】というのもある。
そちらは、通常の収録映像と異なり、
【オンライン版】ならではの趣向が凝らされているということだった。
ここで冒頭のSPACの収録映像の話と少し繋がる。
こちらは10月18日まで。

また、文芸誌「群像」で、「君の庭」の戯曲が掲載されるそうである。

【オンライン版】を観ようか、戯曲読もうか、
ただ今考え中である。

ちなみに「ボンジン、ボンボンジン・・・」は僕は日本人と聞こえた。
天皇制論は当然日本人論だ。

穂の国とよはし芸術劇場PLATアートスペースで地点「君の庭」【劇場版】を観た



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