松菱跡地で「野外劇 夏の夜の夢」を観た

カテゴリー │演劇

9月21日(月・祝)18時~

この企画はひとりの学生の思いつきから始まった。
その経緯を僕がまあまあ知っているのは、
彼女が、5月31日に行われる予定だった
路上演劇祭Japan in 浜松2020の
準備に関わり、言葉を交わす機会があったからだ。

路上演劇祭だけではない。
その他の演劇公演に出向いても
スタッフとして参加している姿があった。

思いつくだけでは多くは共有できないが、
実行することで共有できることが広がる。
思いつきは行動を伴い、
多くの人をまきこんでいく。

路上演劇祭は世間の流れにあらがうことは出来ず、
期限を決めない延期となった。
その時期は他のイベントも例外はなかった。
その後、非常事態宣言は解除され、
WITHコロナの模索の中で
開かれるようになった。

「野外劇 夏の夜の夢」も特に稽古において、
コロナの影響は受けたことだろう。
本番はもちろんだが、稽古をコロナ対策しながら
どのように成立させるかは、
もっとも腐心することだっただろう。

僕にとっても生の演劇を観るのは、ブログを調べたら、
3月18日以来であった。
ほぼ半年ぶりだ。
「生はいいねえ」なんて、
ビヤホールで1杯目のジョッキを
口にして言いそうなセリフ
(観劇よりも飲みにいくことの方が行ってないかもしれない)だが、
この言葉が一番ぴったりくるかもしれない。

今手元には
シェイクスピア作の原作の文庫本が3冊ある。
1冊目は角川文庫の三神勲さん訳のもの。
これは東京のグローブ座(今はジャニーズが買い取ったと思う)で
上杉祥三さんが出演していた「夏の夜の夢」を観て、
文庫本を書店で買い込み、帰りの新幹線で読んだ。
こちらはタイトルは「真夏の夜の夢」だ。

2冊目は新潮文庫の福田恆存さん訳のもの。
これはシェイクスピアの「あらし」の戯曲が欲しくて購入したら、
「夏の夜の夢」も収められていた。

3冊目はちくま文庫の松岡和子さん訳のもの。
今回観た「夏の夜の夢」は松岡さんの訳を台本にしていたため、
この度Amazonで購入した。
実は今日届いたばかり。

持っていた2冊を頼りに観てきた演劇の確認をしようと思ったが、
どうしても台本として使用された訳の本がないのは
ひどく片手落ちのような気がして、
同じタイトルの戯曲を3冊所持してどうすんだ、という気持ちもあったが、
これもまた意味あるだろうと考えなおし、
少し時間をおいての購入に至った。

シェイクスピアの戯曲がやっかいだと思うのが、
あまりに詩的であることだ。

冒頭、婚礼を迎えようという侯爵シーシアスと婚約者ヒポリタが登場し、
シーシアスはこのように言う。

「さあ、美しいヒポリタ、私たちの婚礼の時も近づいた。
幸せな日々が四日たてば新月だ。
だが、ああ、古い月が欠けるのがなんと遅く思えることか!
月は私の欲望に待ったをかける。
まるで継母や未亡人が長生きし
若い跡継ぎに譲る財産をすり減らすようなものだ」

現代人でこのようにしゃべる人はあまりいないだろう。
また、セリフには伝えたい感情に、比喩表現が追加されている。
これはどういうことかというと、例えば好きな人に好きなことを伝えるのに、
「愛している」という一言だけなら、
もちろん一言いうのも背後にはさまざまあり、むしろ難しいのかもしれないが、
一言なら、聴く側も理解するのはたやすいし、
セリフを言う側も感情を伝えやすい。

ただし、これが、比喩表現が追加されるとこうなる。(以下上記のコピペ)
「幸せな日々が四日たてば新月だ。
だが、ああ、古い月が欠けるのがなんと遅く思えることか!
月は私の欲望に待ったをかける。
まるで継母や未亡人が長生きし
若い跡継ぎに譲る財産をすり減らすようなものだ」

など役者が言わなければならないとしたら、
ずいぶんと負荷がかかるのではないか。
ただつらつらと覚えた言葉を連ねただけだとしたら、
聴く側も、何を言っているのか理解は難しいのではないだろうか。

シェイクスピアをやるということは
ある意味こういうことでもあると思う。
言う側も聞く側も難しさを回避するために
現代的で身近な理解しやすい言葉に
書き換えるというのもひとつのやり方かもしれないが、
そのような消極的な方法が功を奏すかは保障しない。

野田秀樹さんが潤色した「真夏の夜の夢」は、
ご自身の演出の他、
SPACで宮城聡さんが演出したり、
今年の秋にもシルビウ・プルカレーテさんというルーマニアの演出家により
上演されるようだ。
こちらの原作とされている訳者は小田島雄志さん。

僕はSPACの作品を観ているが、
潤色とあるが、ほぼ書き換えているように見える。
しかしながら、構造はまぎれもなくシェイクスピアの「真夏の夜の夢」だ。

ただし、こちらは野田秀樹はパックと言う妖精に
メフィスト、つまり悪魔の一面も持たせ、
まるでシェイクスピアの世界を使いながら
一方挑戦状をたたきつけているようにも見える。

シェイクスピアの詩を
あらたな野田秀樹の詩に書き換える。
宮城聡さんが公開されている「真夏の夜の夢」の
アフタートークの映像で言っていた
「詩を肉体化することに興味があった」と言う言葉。
これは野田秀樹が劇作家として
「シェイクスピアの詩」に挑戦した「野田秀樹の詩」に
演出家として挑戦したことに他ならない。

そして役者らとの共同作業により
あらたな「真夏の夜の夢」が立ち上がってくる。

今回の企画は企画者にとって到達点はどのようなものであったろうか。
これは他者の評価が重要と言う意見もあるかもしれないが、
先ずは自身でどのように測るかで、
その先があると思う。

ああ、小田島雄志さん訳のものもあるのか・・・。
今は購入の予定はない。
第一もともと、違う訳者のものを集めるような熱心な読者でもない。

追記
写真の公演チラシ、かなりいい。
デザインとキャッチコピー。
コロナの影響か事前にあまり見かけることがなかった。
それは残念なことだったかもしれない。

松菱跡地で「野外劇 夏の夜の夢」を観た


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