2020年09月13日09:28
シネマe~raで「なぜ君は総理大臣になれないのか」を観た≫
カテゴリー │映画
9月12日(土)11時40分~
1週間前にもシネマe~raに来たのだが、
この時は一旦は自転車で家を出ようと思ったが、
タイヤに空気がないのに気が付き、
空気入れをシュポシュポしただけで、
ずいぶんと汗をかいてしまい、
ペダルをこぐ最中の発汗を予想すると
急に気持ちが萎えてしまい、
自転車を玄関内に引っ込めて、車で向かった。
9月に入っても暑い日が続いていたが、
この1週間、台風だったり、ゲリラ豪雨だったりのうちに
いつの間にか
抵抗なく自転車に乗れる気候になっていたような気がした。
昨日は久しぶりに自転車を外に出した。
それでもしっかり汗はかいたが、
真夏のことを思えば、まあいい。
現役の衆議院議員である小川淳也さんを追った大島新さん監督の
ドキュメント映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」は
たまたまFMラジオのトーク番組のゲストで監督が出ていたのを
聴いた時に知った。
ラジオパーソナリティーがその映画を観て、
とてもよかったということを熱弁されていた。
監督である大島新さんは
テレビで「ザ・ノンフィクション」や「情熱大陸」を
手がけているということだった。
ついでに言えば、
父親は故人である映画監督の大島渚さん。
小川さんとはそれぞれの奥様同士が高校の同級生ということで
知り合うきっかけがあり、
カメラを向け始めたということだった。
2003年の衆議院解散の日、32歳で初出馬をした時から
コロナの影響でリモートでインタビューを受ける今までを追っている。
自民党総裁選挙に出馬する菅義偉さんは
秋田県から集団就職で東京に来て、
大学を出、一般企業に就職したが、
「この国を動かしているのは、もしかしたら政治ではないか」と思い立ち
政治家を志すようになり、秘書として働き始めたということだ。
小川さんも総務省で官僚として働いていた時に
旧態依然とした仕事のやり方に疑問を感じ、
辞めて、政治家を志したということだった。
2003年は第1次小泉政権の解散時。
小川さんは当時の民主党から地元香川1区で出馬する。
地盤も看板もカバンもない中、
選挙区では落選するが比例区で勝ち残る。
小川さんは言う。(正確ではないが)
社会・国民のために働きたいが
それ以前に党利や党則に縛られ、そこで立ち止まらざるを得ない。
そして比例区選出だと発言権が弱く
言いたいことも言えない。
党の中でも重要なポストにつかないと
やりたいこともできない。
それは実際の事なのだろう。
ユーチューバーになりたい子供・若者が増えても、
政治家になりたいという子供・若者は増えないだろう。
それは世の中はますます複雑になっているからである。
ユーチューバーになりたいという理由の構造は簡単である。
というのはアクセスが増え、人気が出れば広告収入に結び付き、
高収入が得られる仕組みができたからである。
成功の到達点がとても分かりやすい。
ところが政治というものはそうはいかない。
総理大臣になったからと言って、
目的が達せられたわけではない。
国民全員が満足すること。
一体そんなことができうるだろうか。
世の中は矛盾に満ちている。
コロナ制圧の特効薬は人と人が会わないことだが、
経済活動と並走するためには
会わないわけにはいかない。
地球環境が侵されていることを知りながらも、
破壊に伴う活動を停止するわけにはいかない。
制限さえもままならない。
戦時下は構造としては単純だ。
戦争に勝つことが目的だ。
勝てば、国民全員が満足したとされる。
実際の心の中は別にして。
政治への関心が薄いのが問題とされる。
でもそれは無理もないことだと思う。
実際積極的に関心を持つ人も
所属する地域だったり職場などの関連で
関わらざるを得ない理由があるからだと思う。
世の中の仕組みは今の人だけで成り立っているのではない。
憲法や法律や科学や技術や文化芸術や生活全般など
あらゆることが過去からの継続で成り立っていて、
今どうこうしなくても本当はそこそこ生きていける。
でもそうはいかなくてじたばたするのが
人間の生きる習性でもあるので、
常に政治的課題は山積みの状態となる。
その結果が国債をじゃんじゃん発行して
国の借金が増えていくことに現れていると思う。
総体としての今の満足を維持していく限りはそれが
解決することはないだろう。
僕たちは不自由で、人間として権利も守られていないのだろうか。
そんなこともないだろう。
士農工商と身分差別のある時代ではないし、
男女同権、機会均等、
個人情報保護、
働き方改革などと
国民のために常に改革はなされていく。
法律の範囲内なら
言いたいことは言え、
やりたいことができる
国民の要求は多様化し、果てることはない。
どこまで行けば満足するのだろう。
インターネットで世界は広がる。
政治家との垣根も低くなる。
SNSの広がりで個人の発信力も無視できない。
でも広くなった世界と裏腹に
閉塞感を感じる人は多くなる。
不平不満がなくなることはない。
コロナに関しては特効薬としての
ワクチンの誕生を世界中が待っている。
これは構造としては簡単だ。
物語としては
開発者たちはヒーロー・ヒロインにあたる。
政治に対する批評をコメンテーターなどが語る時、
批判だけではなく具体的な政策を!と判を押したように言う。
でもかといって、苦労して並べられた政策を読んで
この人言ってること最高!とたちどころに判断できる人がどれだけいることだろう。
消費税ゼロとか消費税アップというのはわかりやすいかもしれない。
でもそれだけではうまくいかないのは誰もがわかっていることだと思う。
そのような矛盾を一身に引き受けるのが
政治家の役割なのだと思う。
それが菅さんが言う、この国を動かしている、
ということかもしれない。

1週間前にもシネマe~raに来たのだが、
この時は一旦は自転車で家を出ようと思ったが、
タイヤに空気がないのに気が付き、
空気入れをシュポシュポしただけで、
ずいぶんと汗をかいてしまい、
ペダルをこぐ最中の発汗を予想すると
急に気持ちが萎えてしまい、
自転車を玄関内に引っ込めて、車で向かった。
9月に入っても暑い日が続いていたが、
この1週間、台風だったり、ゲリラ豪雨だったりのうちに
いつの間にか
抵抗なく自転車に乗れる気候になっていたような気がした。
昨日は久しぶりに自転車を外に出した。
それでもしっかり汗はかいたが、
真夏のことを思えば、まあいい。
現役の衆議院議員である小川淳也さんを追った大島新さん監督の
ドキュメント映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」は
たまたまFMラジオのトーク番組のゲストで監督が出ていたのを
聴いた時に知った。
ラジオパーソナリティーがその映画を観て、
とてもよかったということを熱弁されていた。
監督である大島新さんは
テレビで「ザ・ノンフィクション」や「情熱大陸」を
手がけているということだった。
ついでに言えば、
父親は故人である映画監督の大島渚さん。
小川さんとはそれぞれの奥様同士が高校の同級生ということで
知り合うきっかけがあり、
カメラを向け始めたということだった。
2003年の衆議院解散の日、32歳で初出馬をした時から
コロナの影響でリモートでインタビューを受ける今までを追っている。
自民党総裁選挙に出馬する菅義偉さんは
秋田県から集団就職で東京に来て、
大学を出、一般企業に就職したが、
「この国を動かしているのは、もしかしたら政治ではないか」と思い立ち
政治家を志すようになり、秘書として働き始めたということだ。
小川さんも総務省で官僚として働いていた時に
旧態依然とした仕事のやり方に疑問を感じ、
辞めて、政治家を志したということだった。
2003年は第1次小泉政権の解散時。
小川さんは当時の民主党から地元香川1区で出馬する。
地盤も看板もカバンもない中、
選挙区では落選するが比例区で勝ち残る。
小川さんは言う。(正確ではないが)
社会・国民のために働きたいが
それ以前に党利や党則に縛られ、そこで立ち止まらざるを得ない。
そして比例区選出だと発言権が弱く
言いたいことも言えない。
党の中でも重要なポストにつかないと
やりたいこともできない。
それは実際の事なのだろう。
ユーチューバーになりたい子供・若者が増えても、
政治家になりたいという子供・若者は増えないだろう。
それは世の中はますます複雑になっているからである。
ユーチューバーになりたいという理由の構造は簡単である。
というのはアクセスが増え、人気が出れば広告収入に結び付き、
高収入が得られる仕組みができたからである。
成功の到達点がとても分かりやすい。
ところが政治というものはそうはいかない。
総理大臣になったからと言って、
目的が達せられたわけではない。
国民全員が満足すること。
一体そんなことができうるだろうか。
世の中は矛盾に満ちている。
コロナ制圧の特効薬は人と人が会わないことだが、
経済活動と並走するためには
会わないわけにはいかない。
地球環境が侵されていることを知りながらも、
破壊に伴う活動を停止するわけにはいかない。
制限さえもままならない。
戦時下は構造としては単純だ。
戦争に勝つことが目的だ。
勝てば、国民全員が満足したとされる。
実際の心の中は別にして。
政治への関心が薄いのが問題とされる。
でもそれは無理もないことだと思う。
実際積極的に関心を持つ人も
所属する地域だったり職場などの関連で
関わらざるを得ない理由があるからだと思う。
世の中の仕組みは今の人だけで成り立っているのではない。
憲法や法律や科学や技術や文化芸術や生活全般など
あらゆることが過去からの継続で成り立っていて、
今どうこうしなくても本当はそこそこ生きていける。
でもそうはいかなくてじたばたするのが
人間の生きる習性でもあるので、
常に政治的課題は山積みの状態となる。
その結果が国債をじゃんじゃん発行して
国の借金が増えていくことに現れていると思う。
総体としての今の満足を維持していく限りはそれが
解決することはないだろう。
僕たちは不自由で、人間として権利も守られていないのだろうか。
そんなこともないだろう。
士農工商と身分差別のある時代ではないし、
男女同権、機会均等、
個人情報保護、
働き方改革などと
国民のために常に改革はなされていく。
法律の範囲内なら
言いたいことは言え、
やりたいことができる
国民の要求は多様化し、果てることはない。
どこまで行けば満足するのだろう。
インターネットで世界は広がる。
政治家との垣根も低くなる。
SNSの広がりで個人の発信力も無視できない。
でも広くなった世界と裏腹に
閉塞感を感じる人は多くなる。
不平不満がなくなることはない。
コロナに関しては特効薬としての
ワクチンの誕生を世界中が待っている。
これは構造としては簡単だ。
物語としては
開発者たちはヒーロー・ヒロインにあたる。
政治に対する批評をコメンテーターなどが語る時、
批判だけではなく具体的な政策を!と判を押したように言う。
でもかといって、苦労して並べられた政策を読んで
この人言ってること最高!とたちどころに判断できる人がどれだけいることだろう。
消費税ゼロとか消費税アップというのはわかりやすいかもしれない。
でもそれだけではうまくいかないのは誰もがわかっていることだと思う。
そのような矛盾を一身に引き受けるのが
政治家の役割なのだと思う。
それが菅さんが言う、この国を動かしている、
ということかもしれない。