2021年10月21日08:04
穂の国とよはし芸術劇場PLATでマームとジプシー「DELAY」を観た≫
カテゴリー │演劇
10月16日(土)18時~
trippenというドイツのシューズブランドとのコラボ公演ということだった。
「BEACH」、「CYCLE」、「DELAY」の3作品が10月15日~17日の間で上演される。
15日(金)19時~BEACH
16日(土)13時~CYCLE 18時~DELAY
17時(日)13時~DELAY
3本セットで観る場合、お得なセット券もある。
3本とも観る場合のシミュレーションをしてみた。
BEACHは金曜か。会社の定時が18時30分。浜松から出向くにはなあ・・・。
セット券消えたか。
2本観るとしたら、CYCLE土曜13時は車で浜松を11時に出て、
観終わったら、豊橋のどこかで時間つぶして、18時からのDELAYで再び劇場へ。
アフタートークがあるからそれ聞いて、車で浜松へ帰る。う~ん。丸1日だな。
そうか。DELAYは日曜もあるのか。
作品の紹介文を読んでもあまり選ぶ決め手にはならない。
BEACHは再演、
CYCLEは新作(コロナで延期の末)、
DELAYはBOOTSという作品をリニューアル。
そういう意味合いも選択の参考に考えてみたが、
僕にとってはどれも初めて観るので、これも決め手とはならない。
その結果、アフタートークがある土曜18時からのDELAYのみの観劇にする。
今からDELAYというタイトルの演劇を観る、
と考えみてもその実感はない。
マームとジプシーの3本立ての内、1本を観に行くのだ。
DELAYとは、遅れ、延期。
ああ、今回のコロナの影響と無縁ではないのかも。
ネットでのチケット購入後、16日土曜日は路上演劇祭Japan実行委員会の打ち合わせが入る。
14時~16時、浜松鴨江アートセンターで打ち合わせ。
終了後、豊橋へ向かう。
緊急事態宣言解除後、土曜日の夕方。
道路の混雑具合が心配材料ではある。
過去の渋滞にはまった記憶が頭に浮かぶ。
豊橋までかかる時間は正味1時間を目安に考えている。
プラス1時間あれば、大丈夫だろうという目論見。
マームとジプシーは全作品の作・演出の藤田貴大さんのオリジナル作品のほか、
数々のコラボレーションによる作品を発表している。
大谷能生さん(音楽家)、飴屋法水さん(演出家)、今日マチ子さん(漫画家)、川上未映子さん(作家)、原田郁子さん(音楽家)、種村弘さん(歌人)、名久井直子さん(装丁家)、石橋英子さん(音楽家) ※マームとジプシーHPより
また、2013年8月、マームとジプシーのCOCOONを観た蜷川幸雄さんから藤田さんに戯曲執筆の依頼があり書いた、
蜷川さんをテーマにした「蜷の錦」を蜷川さんと藤田さんでそれぞれが演出するという企画が決まっていたが、
2016年5月の蜷川さんの逝去により、中止となっている。
(その交流の模様等が記された本「蜷の錦」が出版されているが僕は未読)
そして、今回のシューズブランドtrippen。
藤田さんの作風には、何かと混じりたがる要素があるのではないか?
僕も豊橋のPLATでCOCOONを観た。
第二次世界大戦の沖縄戦でのひめゆり学徒隊をモデルにした今日マチ子さんの漫画を原作とした作品。
ここでは、飴屋法水さんもパフォーマーとして参加していた。
そこでは、登場人物たちは戦場でしかも死に向かっているという今日本で生きている僕たちと比べれば
悲惨で深刻な状況に置かれている。
音や映像が駆使され、役のほかにセット移動を兼任する役者たちも頻繁に動く。
アフタートークで藤田さんが話していたこと。
「今、大きな世界を見せるのは難しい」
その本意は何だったのだろう?
単にコロナによって演劇の作業が成立させにくいという状況を示していたのか。
COCOONは大きな世界の部類に入るのかもしれない。
しかし、描かれているのはごく普通の少女たちの日常だ。
小さな世界ともいえる。
DELAYは登場人物たちが身振り手振りをまじえての、今存在している場所の紹介モノローグから始まる。
例えば、「ここはふるい8畳間の和室です。西側と南側に窓があって、西側にはテレビがあり、朝は薄いカーテンから朝陽がさしこんできます。南側の窓にはカーテンがぶら下がっていて、開けると、庭が見えます。柿の木があり、ああ、柿がなってるな。ひとつ、ふたつ・・・」
あ、これは僕の場合。
ちょっと思ったのはソーントン・ワイルダーの「わが町」。
こちらはひとりの進行係が舞台である場所の説明を始める。
ただし、DELAYは、登場人物それぞれが語り、
それが重なって同時に生きているということを示す。
そして、在宅していた登場人物たちは「靴」を履き、家から外へ出る。
「靴」を履き、というところがtrippenとのコラボの表れだろう。
僕はCOCOONしか観ていなかったので、
藤田貴大さんの戯曲「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、塩ふる世界」を読んでみた。
こちらもそれぞれ単独で公演された3本がひとつのセットとなっている。
今回と同じだ。
共通点はまだある。
人物名が植物に由来する。
「かえりの合図、」が、りり、かえで、すいれん、あんこ。
DELAYは、あじさい、くこ、よか、すずしろ、れんげ、つゆくさ。
よかがよくわからなかったが、調べると
余花~春の遅れて咲く花。特に遅咲きの桜、ともある。
あんこは、「アンコ椿は恋の花」という歌があるけど例外かも。
他の作品では、ふみ、としろう、という役名もある。
役名はひらがな表記である。
ということは、個人を限定する名前にこだわっていないともいえる。
住む場所の説明も、観客は頭で必死に想像するしかないので、
実際の形と比較すると相当危ういだろう。
それが各自重なると、頭の中はぐちゃぐちゃになり、正直、どうでもよくなる。
そして、具体的に想像することを諦めた時に、
複数の人間の情報が解体されて、
ただひとつの欠片となり、
それらが合わさり、観客に提供される。
音楽に例えれば、それぞれの楽器から奏でられるひとつひとつの音符のように。
もっというと、
それら欠片は
舞台上によく整頓されて並べられている舞台セットのひとつひとつのモノと同等だ。
演技を終えた役者が座る椅子や
クリスマスシーズン(冬)であることをあらわす大きなツリーやサンタの人形とも。
そもそもtrippenとのコラボも
藤田さんが元々ファンだったブランドの展示会に行ったことがきっかけ。
例えば彫刻の美術展のように見えたそうだ。
藤田作品に特徴的なリフレインというシーンの反復も音楽で考えれば一般的だ。
同じメロディーは何度も使われるし、
流行歌でもサビの歌詞は何度も繰り返される。
元々が何かと混じり合いがちな構造になっているのだ。
演劇の作り方が。
描かれている世界はごく日常の世界ともいえる。
でもそれは沖縄戦で死んでいく少女たちと変わらない。
コロナというのは不思議なもので、
世界中の人が全員被害者なのだけれど、
人により実感が全く異なる。
実際的に罹患したり、経済的損失を負う人もいれば、
不自由といえば不自由だけど、全然変わんないという人もいる。
当然同じ演劇を観ても
きっと感じ方は異なるだろう。
そうだった。
チラシも、モノが置かれている。
とても丁寧な作業で。

trippenというドイツのシューズブランドとのコラボ公演ということだった。
「BEACH」、「CYCLE」、「DELAY」の3作品が10月15日~17日の間で上演される。
15日(金)19時~BEACH
16日(土)13時~CYCLE 18時~DELAY
17時(日)13時~DELAY
3本セットで観る場合、お得なセット券もある。
3本とも観る場合のシミュレーションをしてみた。
BEACHは金曜か。会社の定時が18時30分。浜松から出向くにはなあ・・・。
セット券消えたか。
2本観るとしたら、CYCLE土曜13時は車で浜松を11時に出て、
観終わったら、豊橋のどこかで時間つぶして、18時からのDELAYで再び劇場へ。
アフタートークがあるからそれ聞いて、車で浜松へ帰る。う~ん。丸1日だな。
そうか。DELAYは日曜もあるのか。
作品の紹介文を読んでもあまり選ぶ決め手にはならない。
BEACHは再演、
CYCLEは新作(コロナで延期の末)、
DELAYはBOOTSという作品をリニューアル。
そういう意味合いも選択の参考に考えてみたが、
僕にとってはどれも初めて観るので、これも決め手とはならない。
その結果、アフタートークがある土曜18時からのDELAYのみの観劇にする。
今からDELAYというタイトルの演劇を観る、
と考えみてもその実感はない。
マームとジプシーの3本立ての内、1本を観に行くのだ。
DELAYとは、遅れ、延期。
ああ、今回のコロナの影響と無縁ではないのかも。
ネットでのチケット購入後、16日土曜日は路上演劇祭Japan実行委員会の打ち合わせが入る。
14時~16時、浜松鴨江アートセンターで打ち合わせ。
終了後、豊橋へ向かう。
緊急事態宣言解除後、土曜日の夕方。
道路の混雑具合が心配材料ではある。
過去の渋滞にはまった記憶が頭に浮かぶ。
豊橋までかかる時間は正味1時間を目安に考えている。
プラス1時間あれば、大丈夫だろうという目論見。
マームとジプシーは全作品の作・演出の藤田貴大さんのオリジナル作品のほか、
数々のコラボレーションによる作品を発表している。
大谷能生さん(音楽家)、飴屋法水さん(演出家)、今日マチ子さん(漫画家)、川上未映子さん(作家)、原田郁子さん(音楽家)、種村弘さん(歌人)、名久井直子さん(装丁家)、石橋英子さん(音楽家) ※マームとジプシーHPより
また、2013年8月、マームとジプシーのCOCOONを観た蜷川幸雄さんから藤田さんに戯曲執筆の依頼があり書いた、
蜷川さんをテーマにした「蜷の錦」を蜷川さんと藤田さんでそれぞれが演出するという企画が決まっていたが、
2016年5月の蜷川さんの逝去により、中止となっている。
(その交流の模様等が記された本「蜷の錦」が出版されているが僕は未読)
そして、今回のシューズブランドtrippen。
藤田さんの作風には、何かと混じりたがる要素があるのではないか?
僕も豊橋のPLATでCOCOONを観た。
第二次世界大戦の沖縄戦でのひめゆり学徒隊をモデルにした今日マチ子さんの漫画を原作とした作品。
ここでは、飴屋法水さんもパフォーマーとして参加していた。
そこでは、登場人物たちは戦場でしかも死に向かっているという今日本で生きている僕たちと比べれば
悲惨で深刻な状況に置かれている。
音や映像が駆使され、役のほかにセット移動を兼任する役者たちも頻繁に動く。
アフタートークで藤田さんが話していたこと。
「今、大きな世界を見せるのは難しい」
その本意は何だったのだろう?
単にコロナによって演劇の作業が成立させにくいという状況を示していたのか。
COCOONは大きな世界の部類に入るのかもしれない。
しかし、描かれているのはごく普通の少女たちの日常だ。
小さな世界ともいえる。
DELAYは登場人物たちが身振り手振りをまじえての、今存在している場所の紹介モノローグから始まる。
例えば、「ここはふるい8畳間の和室です。西側と南側に窓があって、西側にはテレビがあり、朝は薄いカーテンから朝陽がさしこんできます。南側の窓にはカーテンがぶら下がっていて、開けると、庭が見えます。柿の木があり、ああ、柿がなってるな。ひとつ、ふたつ・・・」
あ、これは僕の場合。
ちょっと思ったのはソーントン・ワイルダーの「わが町」。
こちらはひとりの進行係が舞台である場所の説明を始める。
ただし、DELAYは、登場人物それぞれが語り、
それが重なって同時に生きているということを示す。
そして、在宅していた登場人物たちは「靴」を履き、家から外へ出る。
「靴」を履き、というところがtrippenとのコラボの表れだろう。
僕はCOCOONしか観ていなかったので、
藤田貴大さんの戯曲「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、塩ふる世界」を読んでみた。
こちらもそれぞれ単独で公演された3本がひとつのセットとなっている。
今回と同じだ。
共通点はまだある。
人物名が植物に由来する。
「かえりの合図、」が、りり、かえで、すいれん、あんこ。
DELAYは、あじさい、くこ、よか、すずしろ、れんげ、つゆくさ。
よかがよくわからなかったが、調べると
余花~春の遅れて咲く花。特に遅咲きの桜、ともある。
あんこは、「アンコ椿は恋の花」という歌があるけど例外かも。
他の作品では、ふみ、としろう、という役名もある。
役名はひらがな表記である。
ということは、個人を限定する名前にこだわっていないともいえる。
住む場所の説明も、観客は頭で必死に想像するしかないので、
実際の形と比較すると相当危ういだろう。
それが各自重なると、頭の中はぐちゃぐちゃになり、正直、どうでもよくなる。
そして、具体的に想像することを諦めた時に、
複数の人間の情報が解体されて、
ただひとつの欠片となり、
それらが合わさり、観客に提供される。
音楽に例えれば、それぞれの楽器から奏でられるひとつひとつの音符のように。
もっというと、
それら欠片は
舞台上によく整頓されて並べられている舞台セットのひとつひとつのモノと同等だ。
演技を終えた役者が座る椅子や
クリスマスシーズン(冬)であることをあらわす大きなツリーやサンタの人形とも。
そもそもtrippenとのコラボも
藤田さんが元々ファンだったブランドの展示会に行ったことがきっかけ。
例えば彫刻の美術展のように見えたそうだ。
藤田作品に特徴的なリフレインというシーンの反復も音楽で考えれば一般的だ。
同じメロディーは何度も使われるし、
流行歌でもサビの歌詞は何度も繰り返される。
元々が何かと混じり合いがちな構造になっているのだ。
演劇の作り方が。
描かれている世界はごく日常の世界ともいえる。
でもそれは沖縄戦で死んでいく少女たちと変わらない。
コロナというのは不思議なもので、
世界中の人が全員被害者なのだけれど、
人により実感が全く異なる。
実際的に罹患したり、経済的損失を負う人もいれば、
不自由といえば不自由だけど、全然変わんないという人もいる。
当然同じ演劇を観ても
きっと感じ方は異なるだろう。
そうだった。
チラシも、モノが置かれている。
とても丁寧な作業で。
