浜北文化センターで蜷川幸雄七回忌追悼公演「ムサシ」を観た

カテゴリー │演劇

10月23日(土)13時~

浜北文化センター開館40周年記念事業として、
井上ひさし作、蜷川幸雄オリジナル演出の「ムサシ」を観る。

実はこれ、FMラジオK-MIXとかでもCMしていたのだけど、
ニュースを知った後、しばらく経ってから、チケットの売れ行きはどうかなあ、とネットを見たら、
すでに3日間とも完売だった。
浜北文化センター大ホールはキャパシティが1,200席×3日間で計3,600人。
チケット料金は行くか行かないかの理由になると思うが、
演劇もキャスティングが一番なのかなあ。
藤原竜也、溝端淳平、吉田鋼太郎・・・とメディアの人気者の名前が並ぶと、
行かなきゃという気になるのだろうなあ。

他に鈴木杏、白石加代子とテレビや映画でもおなじみの名前も並ぶが、
彼女たちは舞台の出演の方が多いかもしれない。
藤原竜也も蜷川幸雄演出の寺山修司作「新毒丸」のオーディションで選ばれて、
俳優生活をスタートしている。
吉田鋼太郎は上智大学のシェイクスピア研究会から演劇を始め、
数々の舞台に出演し、今では各メディアで大人気。

「ムサシ」は2009年に初演され、
その後、2010年、2013-2014年とロンドン・NYバージョンとして上演。
2016年5月12日に蜷川さんが逝去され、
2018年に蜷川幸雄三回忌追悼公演として、上演。
そして今回2021年七回忌公演として、吉田鋼太郎演出で上演。

さいたま市、東京渋谷区、大阪市、北九州市と公演が続き、
浜松市浜北文化センターでの3公演がツアーの最終公演。
静岡県でもここだけ。
愛知県での公演もない。
実際当日愛知県の車のナンバーが停まっていたので、
浜松市外のお客さんも少なくなかったのだろう。

一生懸命チケットを取ろうとしていなかったので、
取れなきゃ取れないでいいや、と覚悟を決めていたはずなのに、
いざ観ることが出来ないとなると、何か悔しい。(ああ、せこい)

どんな演劇が行われるのか、観ることのないであろう公演に思いをはせ、
想像の中で迫ろうとする。
そんな気がむくむくと沸き上がり、
先ずは図書館で井上ひさし作の戯曲がないか調べる。
あった。
読んでみた。

これが一体どんな風に演じられるのであろう?
宮本武蔵役は初演から一貫して藤原竜也が演じている。
ライバルの佐々木小次郎は初演は小栗旬が演じている。
例えば初演のDVDが出ていないか調べる。
あった。
中古でこれくらいの料金なら手を出せそうだなあ。
しかも、記者発表から千穐楽まで裏側大公開!インタビューなどが入った139分の特典DISC付。
これはラッキー。
手を出した。

この特典DISCの中に、舞台の中でも出てくる座禅を学ぶために
貸し切りバスで鎌倉の寺院にキャスト・スタッフで出向く映像がある。
座禅を体験して「役つくり」という意味合いもあるだろうが、
“仲良くなる”というのが主な目的だろう。
その中で、サプライズで鎌倉にある井上ひさしさんの家を訪れる場面がある。

遅筆で有名な井上ひさしさんは、まだ「ムサシ」の執筆中で、
陣中見舞いの意味合いもあるだろう。
書くのに苦労しているときに大挙訪問するのも
「早く書け」とせかしているようだが、
井上さんはコーヒーを淹れてくれたり快く歓待する。
これが、井上さんの戯曲の書き方や俳優たちの素顔にも触れられていて、
とても楽しい。
俳優たちの様子を観察していて、
それが戯曲に活かされていることにも気が付く。

ああ、戯曲も読み、初演DVDもみているのに、
今回は住んでいる浜松に来るのに観ることができない。
まあでもこういうことはある。
それに日々やることはあるし、演劇だってこればかりじゃない。

公演日が近くなった時、何気なく、リセールのチケット販売サイトをのぞいてみた。
あ。あった。しかも正価より安い。NEWとあったので、急遽いけなくなったのだろう。
こちらの予定が入っていないのを確認すると、迷わず入手した。
タイミングを逃すと手に入れることは出来ないだろう。

「ムサシ」の戯曲の作者は井上ひさしさんだが、
注釈として、吉川英治「宮本武蔵」より、とある。
吉川英治の小説を元にしているということだが、
小説の方も多くは作者の創作ということだし、
戯曲の方も、武蔵が小次郎に勝つ巌流島の戦いの場面から始まる。

いきなり、小次郎が死ぬ場面から始まるのである。
これが井上さんのすごいところで、
9割9分(ほとんど)が私の創作ですよと、幕が開くなり、いきなり宣言する。

実は井上ひさしさんは2010年4月9日逝去される。
「ムサシ」を書いたのち、「組曲虐殺」が自身で書かれた最後の戯曲となる。
DVDの蜷川さんへのインタビューで「また井上ひさしさんに新作書いてもらいますか?」という質問がある。
これに「初日が開いて、作家のうれしそうな顔をみないと、次のことなんて聞けない。
ただ、今回、初日から何日かして井上さんより、蜷川さんともう1本やりたいな」と言われたと嬉しそうに答えている。
う~ん。
井上さんの逝去によりそれは叶わないこととなる。

その後、蜷川さんも亡くなり、三回忌公演、七回忌公演にて再演される。
数ある蜷川演出の中で「ムサシ」が選ばれたのは、
宮本武蔵という多くの人がとっつきやすい題材や蜷川作品と関係の深い俳優と組みやすいなど様々理由はあったと思う。
その中で、ひとつの理由として、僕はこの作品が「死者たちによるメッセージ」という形で物語が出来ていることにあると思う。

つまり、蜷川さん(プラスして井上さん)からの声が観劇を通して聞こえてくるような
仕組みになっている。

そのメッセージが、人は争ってはいけない、仲良くしなければならない、という
言ってみれば、道徳教本のようなテーマである。
これは一方物足りなく思う人もいるかもしれない。
人間とは本能を持った獣なのだ。
そんな杓子定規のように収まるものではない。
宮本武蔵や佐々木小次郎は限りなく獣に近い剣豪だ。
それを骨抜きにしてどうする。

もちろんそれもあるだろう。
しかし、作者である井上さんは承知の上だと思う。
過去には人間の本能を混沌のるつぼに放り込んだような作品も書いてきた上で、
生涯残り何本書くだろうという計算の中、
後に残る人たちへ贈るメッセージを考える。

報復の連鎖が容易に断つことが出来ないことも重々承知。
世界から戦争がなくなるということが困難なことも重々承知。
欲望を簡単に断ち切ることが出来ないことも重々承知。

その上で、多くの人に見てもらえる、何よりも面白い作品を作ろうとする。
多くの人の中には子供も入るだろう。
おじいちゃんおばあちゃんも入るだろう。
演劇を観る機会がほとんどなかったという人も入るだろう。

観客を楽しませるためのサービスとも思われる場面も
随所に組み込まれている。
それは井上さんの戯曲にも
蜷川さんの演出にもある。
それが物語と切り離されたものでなく、
本筋と関連つけられているところは
とても巧妙で、だからそういう場面で妙に感動する。
何でだろう?と抵抗しながら、いつのまにか受け入れている。

俳優はいくつかの役(小次郎、沢庵和尚など)を除き、
同じ役者が演じ続けている。
ただし、演出の蜷川幸雄がいない。
今回吉田鋼太郎演出であるが、
ほぼ蜷川連出を踏襲しているように思う。
(コロナの影響だろう、客席との絡みはかなり縮小されているが)

これは、実は相当大きいことである。
記憶はある。
映像などデータもあるかもしれない。
ただし、本人はいない。
蜷川さんの幻影は消えることはない。
そんな中で稽古が行われ、
各地に出向き、公演が行われる。


浜北文化センターで蜷川幸雄七回忌追悼公演「ムサシ」を観た



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