クリエート浜松で浜松ものがたり文化の会「宮沢賢治・童話の世界」を観た

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3月21日(祝)14時~

ものがたり文化の会は、1982年に発足し、宮沢賢治の作品を中心に体験学習をともなったものがたり活動を続け、
40周年を迎えるそうだ。

宮沢賢治とはいったい何なのだろうか?
東京オリンピックの閉会式で
大竹しのぶ演じる先生が「星めぐりの歌」を夜空を見上げながら子供たちに教えるパフォーマンスがあった。

3月19日・20日に動画配信で行われた様々な表現のオムニバス上演「春なのに...2022」の見逃し配信を見ていたら、
ロウドクシャと劇団静芸が偶然にも同じ演目「どんぐりと山猫」を扱っていた。

賢治の生まれた家は裕福で、父親は質屋・古着商を営んでいたそうだ。
子供のころ、服を質入れに来る客に同情し、世の中は不公平だと泣いて困らせたようである。
また、店番をしていた時、客に言われるまま、金を貸し与えてしまい、
そんなことでは家がつぶれてしまうと父親に叱られたということだ。

自分が恵まれていることを恥じ、むしろ申し訳ないと思う。
これは自分にこだわらない無私の精神というよりも
自分というものをどう扱っていいかわからない賢治の無意識の葛藤を感じる。

農学校の教師をしていた賢治は、生徒たちに「農民になれ」と指導しながら、
自らは給与をもらって生活をしていることに対し、葛藤し、退職したとも言われている。

退職後、賢治は農作業を行いながら、「農民芸術概論要綱」を書き、宮沢家が所有する家で農業に関する科学技術などを教える農民講座を始める。
そして、レコード鑑賞会、子供たちへの童話の朗読をしたりし、若い農民たちと「羅須地人協会」を設立する。
実際は賢治一人の使命感と奉仕の気持ちで行っていたとされている。
そこでは農民たちの楽団を結成しようとチェロを購入して練習したり、農閑期には被服や食糧、工芸品も製作することを企画していたようである。
賢治が言う「農民たちの理想郷 “イーハトーブ”」。

しかし、経費をねん出するために金を借りたり、また、年長の保守的な農民の理解が得られなかったり、社会教育を行っていると、政治的な理由で警察の聴取を受けたりし、楽団も解散、集まりも不定期になっていく。

これは、おそらく賢治が実践でやりたかったことの理想郷であった。
そして、実現が出来なかった挫折感を味わう。

ただし、それらの思いは賢治の文学にすべて現れている。
実践でつまずいたとしても、文学は想像だけで書くことが出来るのだ。

賢治の本が出版されたのは、生前、詩集「春と修羅」と童話「注文の多い料理店」の2冊のみ。
しかも、自費出版で、あまり評価もされなかったと言われる。

しかし、その後数々の作品が見いだされ、出版され、読まれ、何より、どこかで誰かが賢治の言葉を誰かに紹介している。
なぜ、彼ら彼女らは、賢治の言葉を発しようとするのだろうか?
僕はいつも何回耳にしても簡単には思えない言葉を聞きながら、その理由を知りたいと考えている。

4月3日に磐田市の岩田交流センターで行われた「お花畑コンサート」でも
ピアノ演奏と絵画が彩る映像に合わせ朗読と歌で表現する、
組曲「銀河鉄道の夜」がプログラムのひとつにあった。

ああ、なぜに宮沢賢治なのだろうか?
誰か僕に詳しく説明しておくれ。

クリエート浜松で浜松ものがたり文化の会「宮沢賢治・童話の世界」を観た



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