黒板とキッチンで「場と個人のありようを語ってみよう。」を聞いた

カテゴリー │こんなことあった

6月26日(日)14時~

シネマe~raで「メイド・イン・バングラデシュ」を観た後、
東海道沿いのゆりのき通り・万年橋ビル1階の「黒板とキッチン」へ行く。

「黒板とキッチン」は今年7月をもって終了する。
自由に使うことができるフリースペースとして、
8年間運営されてきた。

3年前、たけし文化センター連尺町、丸喜屋商店「三米アトリエ」、
そして黒板とキッチンの3か所で行った
「路上演劇祭Japan in 浜松2019 トライアングル」で
使用させてもらった。
他にも数度であるが足を運ぶ機会もあった。

元々万年橋パークビルのオーナーだった鈴木基生さんが
地域の活性化を目的に、この場所を若者やクリエイターに託し、
活用を促したことに始まる。

そこにこの場所の地価に伴った賃料は伴わない。
それは見ず知らずの人を応援する気持ちが働いている。

万年橋パークビル自体がご商売の駐車場た貸室業の業務と共に
地域支援に活用されていた。
そこで僕は演劇を観たり、ワークショップに参加したりもした。

ただし、オーナーであった基生さんのご逝去により、
経営者は変わり、今までと同じようにはいかなくなり、今回の終了。

僕自身は基生さんとは長い話をしたことはない。
何年も前にある劇団の主宰者に紹介されてごあいさつ。
その後も、街中のどこかで出会う度には「こんにちは」のあいさつ程度。

車で走っているとゆりのき通りを着物姿で歩いているのを見かけるのは何度も。
それがあの辺を通るときの風物詩に感じていた。
その姿を見かけないなあと思っていたら、
ご逝去されたことを伝える新聞記事を見かけた。

人は生きている限り、どこかの場所に所属している。
ひとりだったり他人と一緒だったりするが、
どの場所も何らかの手段で支えられている。

例えば、自宅が持ち家だったら、先祖や家族や自分が所有することにより場所として成り立つ。
借家なら賃料を支払うことにより、好きな時にゆっくり過ごすことが出来る。

学生時代なら、税金による義務教育だったり、学費を支払うことで、
その学校に通い学ぶことが出来る。

仕事先なら、会社や店などの従業員や経営者になることで、
通い、仕事をすることが出来る。

また店に行き消費活動を行うことにより、
カフェでお茶を飲んだり、居酒屋で飲んだりすることも出来る。
デパートに買い物に行ったり、テーマパークで遊ぶことも出来る。
映画や演劇やコンサートを楽しむことも出来る。
無料の場合もあるが、それも主催者たちが何らかの形で補填している。

バイク屋でバイク好きなオーナーとバイク好きな客たちで交流をあたため、ツーリングに行ったり、
スナックでママとホステスさんと客たちでゴルフコンペや日帰り旅行へ行ったりしたりもする。

税金により成り立っている公園や図書館など公共施設で過ごす。
道路だって、公道、私道と所有者は決まっている。

誰もが自由に気ままに使える場所なんてない。
ただし、それは人は夢想する。

それは幻想と言えるが、
所有者と使用者の区別などなく、
その場所に居る人が、各自の自由意思で行動し、
それらは有機的に結びつき、
創造的かつ生産的な成果を生み、
かと言って生まなくてもそれを否定するべきものではなく、
時間的な猶予を与えられる。
それは今の時代でなく次世代に託されたとしても。
互いに主体的に見えなくても構わない。
人は自らの意思で生きているのだから。

それは特別な決まった場所で生まれるのではない。
本当はいついかなる場所でも生まれる。

週末農園に通りがかりの人が立ち止まり作物について話しかける。
犬を連れた者同士が犬が吠えあうのをきっかけに頭を下げあう。
SNSはずいぶんと幻想の幅を広げたと思う。
実際の場など必要がないと実感している人も多いだろう。

人は場所を求める。
最適な場所を求める欲求には際限がない。

この日は作業療法士の金丸泰子さん主催による
「場と個人のありようを語ってみよう。」というイベント。
ゲストに作業療法士でもある路上演劇祭Japan浜松実行委員長の里見のぞみさんと
黒板とキッチン運営責任者の大東翼さん。

金丸さんは浜松の方ではなく、
千葉(っておっしゃったような気がするが?)の方で、
作業療法士の講演会で、講師として里見のぞみさんがいらしていて、
それが、出会いのきっかけとなる。
黒板とキッチンとのご関係は何だったかな?
すみません。忘れてしまった。

5月29日に行われた路上演劇祭の関係者も
僕を含め5名来ていた。
何の話がされるのかよくわからなくても
足を運んでしまう習性がきっと備わっていると思う。

金丸さんのプロフィールに
会社員から作業療法士になった理由に有資格でかつアートとの接続があると記されていた。
有資格はわかるが、アートとの接続とは何だろう?
ただし、医療や福祉の枠組みの中では限界を感じ模索中と言う。
その辺の話も聞きたかった。

金丸さん、里見さん、大東さんと順にそれぞれの視点でプレゼンテーションがあったが、
その最中、奥のキッチンで(この場所はその名の通り、黒板とキッチンが備わっている)
若者たちが、ずっと調理をしていた。
語り合いのあとにパーティーがあるようなので
その準備ということは予測できたが、
日頃「黒板とキッチン」に居て、運営にも関わって来た
彼ら彼女らの心の内を知りたいと思った。
「おい、野菜の皮をむくのもいいけど、一緒に話を」
そう言いたい気持ちになったが、
これはこの場所での居方であることは理解しているので、
そのままにしていた。

その後、発言者として指名されたひとりが、若者たちの発言を促すことにより話に加わることになった。
その話を聞けたのはよかった。
このように場は変化していく。

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