2021年03月18日19:26
穂の国とよはし芸術劇場PLATで木ノ下歌舞伎「義経千本桜―渡海屋・大物浦―」を観た≫
カテゴリー │演劇
3月13日(土)17時30分~
受付前に、ロビーで誰かが落とし物を指摘している声が聞こえた。
見ると床に日の丸(日本国旗)が落ちていて、
警備員らしき恰好をした方が拾い上げていた。
会場に入ると舞台には日の丸が吊り下げられていた。
まさか、さっきのが、と一瞬思ったが、
物理的にありえないので、すぐに打ち消したが、
建物の外にポールが3本あり、日本国旗とあと2枚何かのマークが掲げられていたなあと思い起こした。
以前、天気がいい日に眺めていたのだ。
開場時間である17時を過ぎていた。
警備員さんも外の旗を降ろす時間だったのだろうか?
「義経千本桜―渡海屋・大物浦―」は
人形浄瑠璃、歌舞伎である「義経千本桜」の二段目。
全五段を通して上演すると8時間以上かかるそうだ。
木ノ下裕一さんが2006年に自らが
古典演目上演の演出や補綴・監修を行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。
2012年に3名の演出家を起用し、二段目、三段目、四段目の上演。
2016年に東京デスロックの多田淳之介さん演出の二段目を再演。
そして、今回再々演。
僕は2016年6月18日(土)14時~ 愛知県豊川市のハートフルホールで同作を観た。
「テトラポッドな日々」ブログ記事
https://ji24.hamazo.tv/e6883772.html
5年前だが、出演者は9名中、SPACの三島景太さん以外の8名は同じ俳優が演じている。
所属が、東京デスロック、青年団、渡辺源四郎商店、鳥の劇場、ままごと、ナイロン100%・・・。
複数の劇団に所属されている方がいる。
浜松市にいるとそう感じることはなかったが、
今は複数の劇団に所属する時代になっているのだろうか。
僕は人形浄瑠璃や歌舞伎の義経千本桜をほぼ知らない。
きっとよく知っている人が、木ノ下歌舞伎版を観れば、
対象化もでき、より深い観賞もできることだろう。
その先を言えば、300年近く前に書かれた義経千本桜は
700年以上前の平家物語や義経記を元に書かれている。
目の前の舞台の先には長い時間が横たわっている。
木ノ下歌舞伎は何よりも主宰である木ノ下さんの古典芸能への愛情から発していると思う。
先ずは古典芸能に興味を持った木ノ下さんが、過去にさかのぼり掘り起こしたところから始まっただろう。
そして、現代の演出家とタッグを組むことにより、今生きる人に向けて、発信する。
稽古では、歌舞伎台本のセリフ回しや演技の完全コピーから始まったという。
古典芸能の普段言いなれないセリフ回しや演技に立ち返る。
俳優もこれまで演じてきた役により、現代口語で演じてきた方もいれば、古典調のセリフに慣れた方もいるだろう。
そういった経験の違いのグラデーションは
俳優としてのたたずまいにも表れる。
セリフは歌舞伎台詞と現代口語が入り混じり、混沌を生む。
義経千本桜の二段目以前の権力者である天皇の交代劇、源平の争いの様子が冒頭にダイジェストで組み込まれる。
ここでは主人公である源義経が、
戦乱の世の中で、加害者でもあり、被害者でもある姿を浮きだたせようとしている。
演じる大石将弘さんは、争いに縁がない、言うなれば和をもって貴しとなす、決して怒らない・・・
そんな現代の典型的なひとりの青年のように見える。
そこに殺し殺されの死の連鎖が刻み込まれる。
僕はそれは時代のせいだと自らに言い聞かせる。
死に行くものは衣装を脱ぎ捨て、白装束になることにより、
脱ぎ捨てた衣装は亡骸のように力なく床に落ち、
白装束の俳優は途端に生気をなくし、
静かに去っていく。
それはあたりまえの時代なのだ。
そして観ている間に諦念感が生まれてくる。
これは仕方がないことなのだ。
今の僕たちじゃない。
いや、ほんとは違うだろう。
戦禍の真っただ中の人もいるだろう。
いや、現代だって、当時と寿命は違うが、
死なない人はいない。
死んだ平知盛は亡霊として敵である義経に復讐を遂げようとする。
その執念が劇の山場だが、それとて仕える天皇のため、
先祖である平家のため。
誰のために生き、誰のために死ぬのか。
それら事項は僕の頭の中でまったく整理できないのだが、
平家物語ってそういうもんじゃないかなと
知りもしないのに思う。
そんな混沌をとてもわかりやすいメロディの音楽が
まるで頭の中を整頓するかのように流れる。
これは演出家の明確な意図だろう。
時には傍若無人で暴力的にも思う、音楽が持つ力を
遠慮なく使う。
人によっては使いすぎと思う人もいるだろう。
音楽の受け取り方は世代により差があると思う。
ラストは唯一歌ありの忌野清志郎さんの「イマジン」が流れる。
カバーズという洋楽に日本語の歌詞をつけて、
反戦、反核の内容が話題になった1988年に発表されたソロアルバム。
このアルバムも多くの協力ミュージシャンが名を連ねている。
これもまた、演劇の所属が違う俳優の座組も思い起こす。
イマジンには、歌手のちわきまゆみさんと共に、俳優の三浦友和さんが
バックコーラスとして参加している。
清志郎さんの高校の同級生というのは有名だが、そのコーラスの歌詞はいまだ意味不明。
「ぼくらは薄着で笑っちゃう。ああ 笑っちゃう(以上繰り返す)」
ジョンレノンがつくったイマジンは、平和を願う歌とも言われる。
じゃあ、この歌やこの演劇が平和を願う音楽や芝居かというと、それもまたどこか違う気がする。
僕がわざわざこの曲について触れるのは、まさに世代だからというしかない。

受付前に、ロビーで誰かが落とし物を指摘している声が聞こえた。
見ると床に日の丸(日本国旗)が落ちていて、
警備員らしき恰好をした方が拾い上げていた。
会場に入ると舞台には日の丸が吊り下げられていた。
まさか、さっきのが、と一瞬思ったが、
物理的にありえないので、すぐに打ち消したが、
建物の外にポールが3本あり、日本国旗とあと2枚何かのマークが掲げられていたなあと思い起こした。
以前、天気がいい日に眺めていたのだ。
開場時間である17時を過ぎていた。
警備員さんも外の旗を降ろす時間だったのだろうか?
「義経千本桜―渡海屋・大物浦―」は
人形浄瑠璃、歌舞伎である「義経千本桜」の二段目。
全五段を通して上演すると8時間以上かかるそうだ。
木ノ下裕一さんが2006年に自らが
古典演目上演の演出や補綴・監修を行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。
2012年に3名の演出家を起用し、二段目、三段目、四段目の上演。
2016年に東京デスロックの多田淳之介さん演出の二段目を再演。
そして、今回再々演。
僕は2016年6月18日(土)14時~ 愛知県豊川市のハートフルホールで同作を観た。
「テトラポッドな日々」ブログ記事
https://ji24.hamazo.tv/e6883772.html
5年前だが、出演者は9名中、SPACの三島景太さん以外の8名は同じ俳優が演じている。
所属が、東京デスロック、青年団、渡辺源四郎商店、鳥の劇場、ままごと、ナイロン100%・・・。
複数の劇団に所属されている方がいる。
浜松市にいるとそう感じることはなかったが、
今は複数の劇団に所属する時代になっているのだろうか。
僕は人形浄瑠璃や歌舞伎の義経千本桜をほぼ知らない。
きっとよく知っている人が、木ノ下歌舞伎版を観れば、
対象化もでき、より深い観賞もできることだろう。
その先を言えば、300年近く前に書かれた義経千本桜は
700年以上前の平家物語や義経記を元に書かれている。
目の前の舞台の先には長い時間が横たわっている。
木ノ下歌舞伎は何よりも主宰である木ノ下さんの古典芸能への愛情から発していると思う。
先ずは古典芸能に興味を持った木ノ下さんが、過去にさかのぼり掘り起こしたところから始まっただろう。
そして、現代の演出家とタッグを組むことにより、今生きる人に向けて、発信する。
稽古では、歌舞伎台本のセリフ回しや演技の完全コピーから始まったという。
古典芸能の普段言いなれないセリフ回しや演技に立ち返る。
俳優もこれまで演じてきた役により、現代口語で演じてきた方もいれば、古典調のセリフに慣れた方もいるだろう。
そういった経験の違いのグラデーションは
俳優としてのたたずまいにも表れる。
セリフは歌舞伎台詞と現代口語が入り混じり、混沌を生む。
義経千本桜の二段目以前の権力者である天皇の交代劇、源平の争いの様子が冒頭にダイジェストで組み込まれる。
ここでは主人公である源義経が、
戦乱の世の中で、加害者でもあり、被害者でもある姿を浮きだたせようとしている。
演じる大石将弘さんは、争いに縁がない、言うなれば和をもって貴しとなす、決して怒らない・・・
そんな現代の典型的なひとりの青年のように見える。
そこに殺し殺されの死の連鎖が刻み込まれる。
僕はそれは時代のせいだと自らに言い聞かせる。
死に行くものは衣装を脱ぎ捨て、白装束になることにより、
脱ぎ捨てた衣装は亡骸のように力なく床に落ち、
白装束の俳優は途端に生気をなくし、
静かに去っていく。
それはあたりまえの時代なのだ。
そして観ている間に諦念感が生まれてくる。
これは仕方がないことなのだ。
今の僕たちじゃない。
いや、ほんとは違うだろう。
戦禍の真っただ中の人もいるだろう。
いや、現代だって、当時と寿命は違うが、
死なない人はいない。
死んだ平知盛は亡霊として敵である義経に復讐を遂げようとする。
その執念が劇の山場だが、それとて仕える天皇のため、
先祖である平家のため。
誰のために生き、誰のために死ぬのか。
それら事項は僕の頭の中でまったく整理できないのだが、
平家物語ってそういうもんじゃないかなと
知りもしないのに思う。
そんな混沌をとてもわかりやすいメロディの音楽が
まるで頭の中を整頓するかのように流れる。
これは演出家の明確な意図だろう。
時には傍若無人で暴力的にも思う、音楽が持つ力を
遠慮なく使う。
人によっては使いすぎと思う人もいるだろう。
音楽の受け取り方は世代により差があると思う。
ラストは唯一歌ありの忌野清志郎さんの「イマジン」が流れる。
カバーズという洋楽に日本語の歌詞をつけて、
反戦、反核の内容が話題になった1988年に発表されたソロアルバム。
このアルバムも多くの協力ミュージシャンが名を連ねている。
これもまた、演劇の所属が違う俳優の座組も思い起こす。
イマジンには、歌手のちわきまゆみさんと共に、俳優の三浦友和さんが
バックコーラスとして参加している。
清志郎さんの高校の同級生というのは有名だが、そのコーラスの歌詞はいまだ意味不明。
「ぼくらは薄着で笑っちゃう。ああ 笑っちゃう(以上繰り返す)」
ジョンレノンがつくったイマジンは、平和を願う歌とも言われる。
じゃあ、この歌やこの演劇が平和を願う音楽や芝居かというと、それもまたどこか違う気がする。
僕がわざわざこの曲について触れるのは、まさに世代だからというしかない。
