2021年07月17日00:23
穂の国とよはし芸術劇場PLATで「未練の幽霊と怪物『挫波』『敦賀』」を観た≫
カテゴリー │演劇
6月29日(火)19時~
作・演出はチェルフィッチュ主宰の岡田利規さん。
休憩15分をはさんだ2本立てで上演された。
面白いと思ったのは、
劇場内にポスターの下に貼られたスケジュールには
どちらの作品もちょうど55分の上演時間だった。
気になって、上演が終わる度に時間を確認したら、
ほぼ予定通りだった。
ああ、これは意図していたことではないだろうかと思った。
この作品は、600年を越える歴史を誇る日本の伝統芸能である能が持つ様式を
律儀なほど忠実に取り入れている。
そんなことも、どちらも55分の上演時間にそろえたのだなと思った理由。
岡田さんが能に出会ったのは、2016年に発行された
『池澤夏樹 個人編集 日本文学全集10』にて現代語訳を依頼されたのがきっかけだそうだ。
その後、ドイツの劇場のレパートリーとして、ドイツ人俳優たちと
能「六本木」、能「都庁前」、そして間狂言として「ガートルード」という作品を
つくりあげたということなので、
その流れの先に今回の公演があるのかもしれない。
能の様式を使っているが、
内容はまさに現代。
本来昨年6月に上演を予定していて、
中止となり、その後一部をオンラインで映像作品として公開され、
1年後の6月~7月にかけて横浜、豊橋、兵庫で上演。
同様、東京オリンピック・パラリンピックも1年後の開催がまさに今直前だ。
2本の内の『挫波』は
オリンピックと関連した題材をモチーフにしている。
ところが、1年の先送りになったこともあるかもしれないが、
モチーフとされている出来事、いや人物の話題はずいぶん過去の話に思う。
『挫波』とは、オリンピックに向け新たに建てなおすことになった
国立競技場のデザインコンペで
一度は採用されたが後に撤回されたイラク人の女性建築家ザハ・ハディドさんのこと。
国際デザインコンペで2012年に採用され、
2015年10月着工を前に、7月16日に建築費がかかりすぎるというのが
主な理由で白紙撤回される。
採用時の見積もりが約1300億、基本設計時1625億、
着工時の総工費2520億、年間維持費約41億という数字を見れば、
そりゃそうだろ、という意見も成り立つ。
ただし、あくまでもこれは税金から賄われるという
公共事業としての経済観念が理由だ。
2520億がムダか?という意見も相対的な判断で、
必要な物なら堂々と作るべきだという意見も成り立つ。
それだけ、デザインコンペで披露されたデザインが、
国民を代表する審査員の心をとらえ、
決定の判断をする政治家のGOを勝ち取ったのだろう。
従来にない曲線的なデザインで、何本かのスロープは
首都高や線路をまたぐスケールだったと言う。
白紙撤回に至ったということは
反対意見が世論の趨勢だったのだろう。
ザハさんはもちろん被害者であるが、
じゃあなぜ当初の予算を2倍近くもオーバーするのかと問われると、
こういう規模のものはチームで行われるものであるので、
ロマンとお財布の内、現実的な財布の部分を冷徹に見つめる部分がおろそかになっていたのは確かだろう。
「大切な血税を食い物にする」外国人として、ダーティーなイメージでとらえられたことは否めない。
岡田さんはこの作品で、白紙撤回になったことの是非について表現しているわけではない。
2015年7月16日の白紙撤回後、工期や予算を勘案した条件で、
9月1日には再コンペのための公募が開始される。
再コンペに応募の2案から、隈研吾さんを中心とした共同企業体のデザインが採用される。
ちなみに建設費は1569億とある。
これはもう調整された金額だろう。
その後、2016年3月31日、ザハさんは65歳で突然、病で生涯を閉じる。
白紙撤回と病による死は直接関係ないだろう。
ただし、事象として、ひとりの人間の時系列の中で2つは関係があるように見える。
岡田さんは、先ずはザハさんの建築デザインに着目した。
デザインに罪はない。
それは建築家という芸術家の魂なのだから。
現実としては掛かる費用が大きく立ちはだかるが、
それは魂とは関係ない。
もうひとつの作品「敦賀」は福井県敦賀市のMOX燃料(プルトニウムとウランの混合化合物)を使い、
消費した量以上の燃料を生み出す高速増殖炉「もんじゅ」を題材とする。
燃料の未来を実現する研究用原子炉として1983年に着工されたが、
重なった事故(隠ぺいも含む)により、再稼働が予定されるも、実現せず、
2016年12月に廃炉が決定する。
東北大震災後、停止したのち、再開されない原子力発電所も同様の運命をたどるかもしれない、
これも、廃炉が正しかった正しくなかったを言及しているわけではない。
原子爆弾のように兵器とした開発されたものではない。
人類の豊かな未来に貢献するために(地元の人の経済に貢献したかもしれないが)
科学技術の粋を集めて開発された産物である。
国の施策であるが、そこに関わる会社があり、従業員やそのひとたちの家族もいる。
ここでもただ単に、科学技術に宿る魂について着目している。
夢見たものが達せず、33年の時を費やし、幕を閉じた。
そういう事象を舞台の上に差し出している。
観劇後、しばらく日が経ったのち、購読している静岡新聞に珍しく劇評が載り、
それがこの作品についてだった。
使われている能の様式について解説されていて知識の乏しい僕にとり、ずいぶん助かった。
もうそのまま書いてしまおう。
『2作は夢幻能の形式にのっとり、ワキ(シテの相手役)が時と場所などを語ったところに
シテ(主役)がやってきて、その場所にまつわる物語を聞かせる。
その後、アイ(狂言の演者)とワキによるやりとりがあって、超現実的存在としての後シテが
登場し、クライマックスへ向かう構造だ。』
死んだ者・物(ここでは未練の幽霊と怪物と言っているが)がクライマックスで
能の舞に代わり、シテがコンテンポラリーダンスの手法で踊る姿に僕たちが何を思うかはまったくの自由だ。
2作とも扱っている題材は違うが、構造はまったく同じなのだ。
また能では笛、小鼓、大鼓で構成される囃子方は、内橋和久さんを中心とした3人による不思議な電子楽器の演奏、
そして、地謡はシンガーソングライターである七尾旅人さん。
これらも几帳面なほど忠実に能に倣う。
『挫波』配役 シテ:森山未來 ワキ:太田省吾 アイ:片桐はいり
『敦賀』配役 シテ:石橋静河 ワキ:栗原類 アイ:片桐はいり
どちらも55分という上演時間と同様、
几帳面なほど、配役も考え抜かれていたと思う。

作・演出はチェルフィッチュ主宰の岡田利規さん。
休憩15分をはさんだ2本立てで上演された。
面白いと思ったのは、
劇場内にポスターの下に貼られたスケジュールには
どちらの作品もちょうど55分の上演時間だった。
気になって、上演が終わる度に時間を確認したら、
ほぼ予定通りだった。
ああ、これは意図していたことではないだろうかと思った。
この作品は、600年を越える歴史を誇る日本の伝統芸能である能が持つ様式を
律儀なほど忠実に取り入れている。
そんなことも、どちらも55分の上演時間にそろえたのだなと思った理由。
岡田さんが能に出会ったのは、2016年に発行された
『池澤夏樹 個人編集 日本文学全集10』にて現代語訳を依頼されたのがきっかけだそうだ。
その後、ドイツの劇場のレパートリーとして、ドイツ人俳優たちと
能「六本木」、能「都庁前」、そして間狂言として「ガートルード」という作品を
つくりあげたということなので、
その流れの先に今回の公演があるのかもしれない。
能の様式を使っているが、
内容はまさに現代。
本来昨年6月に上演を予定していて、
中止となり、その後一部をオンラインで映像作品として公開され、
1年後の6月~7月にかけて横浜、豊橋、兵庫で上演。
同様、東京オリンピック・パラリンピックも1年後の開催がまさに今直前だ。
2本の内の『挫波』は
オリンピックと関連した題材をモチーフにしている。
ところが、1年の先送りになったこともあるかもしれないが、
モチーフとされている出来事、いや人物の話題はずいぶん過去の話に思う。
『挫波』とは、オリンピックに向け新たに建てなおすことになった
国立競技場のデザインコンペで
一度は採用されたが後に撤回されたイラク人の女性建築家ザハ・ハディドさんのこと。
国際デザインコンペで2012年に採用され、
2015年10月着工を前に、7月16日に建築費がかかりすぎるというのが
主な理由で白紙撤回される。
採用時の見積もりが約1300億、基本設計時1625億、
着工時の総工費2520億、年間維持費約41億という数字を見れば、
そりゃそうだろ、という意見も成り立つ。
ただし、あくまでもこれは税金から賄われるという
公共事業としての経済観念が理由だ。
2520億がムダか?という意見も相対的な判断で、
必要な物なら堂々と作るべきだという意見も成り立つ。
それだけ、デザインコンペで披露されたデザインが、
国民を代表する審査員の心をとらえ、
決定の判断をする政治家のGOを勝ち取ったのだろう。
従来にない曲線的なデザインで、何本かのスロープは
首都高や線路をまたぐスケールだったと言う。
白紙撤回に至ったということは
反対意見が世論の趨勢だったのだろう。
ザハさんはもちろん被害者であるが、
じゃあなぜ当初の予算を2倍近くもオーバーするのかと問われると、
こういう規模のものはチームで行われるものであるので、
ロマンとお財布の内、現実的な財布の部分を冷徹に見つめる部分がおろそかになっていたのは確かだろう。
「大切な血税を食い物にする」外国人として、ダーティーなイメージでとらえられたことは否めない。
岡田さんはこの作品で、白紙撤回になったことの是非について表現しているわけではない。
2015年7月16日の白紙撤回後、工期や予算を勘案した条件で、
9月1日には再コンペのための公募が開始される。
再コンペに応募の2案から、隈研吾さんを中心とした共同企業体のデザインが採用される。
ちなみに建設費は1569億とある。
これはもう調整された金額だろう。
その後、2016年3月31日、ザハさんは65歳で突然、病で生涯を閉じる。
白紙撤回と病による死は直接関係ないだろう。
ただし、事象として、ひとりの人間の時系列の中で2つは関係があるように見える。
岡田さんは、先ずはザハさんの建築デザインに着目した。
デザインに罪はない。
それは建築家という芸術家の魂なのだから。
現実としては掛かる費用が大きく立ちはだかるが、
それは魂とは関係ない。
もうひとつの作品「敦賀」は福井県敦賀市のMOX燃料(プルトニウムとウランの混合化合物)を使い、
消費した量以上の燃料を生み出す高速増殖炉「もんじゅ」を題材とする。
燃料の未来を実現する研究用原子炉として1983年に着工されたが、
重なった事故(隠ぺいも含む)により、再稼働が予定されるも、実現せず、
2016年12月に廃炉が決定する。
東北大震災後、停止したのち、再開されない原子力発電所も同様の運命をたどるかもしれない、
これも、廃炉が正しかった正しくなかったを言及しているわけではない。
原子爆弾のように兵器とした開発されたものではない。
人類の豊かな未来に貢献するために(地元の人の経済に貢献したかもしれないが)
科学技術の粋を集めて開発された産物である。
国の施策であるが、そこに関わる会社があり、従業員やそのひとたちの家族もいる。
ここでもただ単に、科学技術に宿る魂について着目している。
夢見たものが達せず、33年の時を費やし、幕を閉じた。
そういう事象を舞台の上に差し出している。
観劇後、しばらく日が経ったのち、購読している静岡新聞に珍しく劇評が載り、
それがこの作品についてだった。
使われている能の様式について解説されていて知識の乏しい僕にとり、ずいぶん助かった。
もうそのまま書いてしまおう。
『2作は夢幻能の形式にのっとり、ワキ(シテの相手役)が時と場所などを語ったところに
シテ(主役)がやってきて、その場所にまつわる物語を聞かせる。
その後、アイ(狂言の演者)とワキによるやりとりがあって、超現実的存在としての後シテが
登場し、クライマックスへ向かう構造だ。』
死んだ者・物(ここでは未練の幽霊と怪物と言っているが)がクライマックスで
能の舞に代わり、シテがコンテンポラリーダンスの手法で踊る姿に僕たちが何を思うかはまったくの自由だ。
2作とも扱っている題材は違うが、構造はまったく同じなのだ。
また能では笛、小鼓、大鼓で構成される囃子方は、内橋和久さんを中心とした3人による不思議な電子楽器の演奏、
そして、地謡はシンガーソングライターである七尾旅人さん。
これらも几帳面なほど忠実に能に倣う。
『挫波』配役 シテ:森山未來 ワキ:太田省吾 アイ:片桐はいり
『敦賀』配役 シテ:石橋静河 ワキ:栗原類 アイ:片桐はいり
どちらも55分という上演時間と同様、
几帳面なほど、配役も考え抜かれていたと思う。
