鴨江アートセンターで「それ、抜きますか?」を観た その2

カテゴリー │演劇

2月6日(日) 15時30分~

この公演情報は前日の夜に入って来た。
10時30分に長久手市で行われる「劇王2022」の中止が決定し、
その日のうちに浜松市での上演の段取りがつけられたことになる。

鴨江アートセンターという場所があってよかった。
それはひとつの実感かもしれない。

今回の劇王は
劇作家協会東海支部関連(おそらく)の劇作家に加え、
ナビイチ枠、げきたまご枠、戯曲セミナー枠、リーディング劇王勝者という肩書がつく劇作家
計8名が名を連ねている。

「それ、抜きますか?」の作者である小粥幸弘氏は、ナビイチ枠で、
こちらは、東海支部で行っている、
名古屋市にあるナビロフトという会場で、
月1回、
劇作家が書いた戯曲を
俳優によりドラマリーディングをし、
来場者と共にディスカッションをする、
という企画。

浜松市で活動している小粥氏がナビイチに参加するきっかけは
浜松市で行われているはままつ演劇フェスティバル(劇突)の
講師により劇作を学ぶ「劇作セミナー」があると思う。
劇作セミナーには、東海支部員でもある劇作家の、
鹿目由紀氏、佃典彦氏、はせひろいち氏、平塚直隆氏が講師を務められた。

「それ、抜きますか?」は鬼と人間が共存している世界を描いている。
「桃太郎」をはじめ、「鬼滅の刃」もあるが、
それらが人間が主人公で鬼が敵役であることに対し、
こちらが鬼が主人公である。

鬼の前身は人間で、人間が鬼に喰われることにより鬼になるというのは
「鬼滅の刃」と同じ。
それが進みすぎて、鬼と人間の需給バランスが崩れてしまっている。
鬼にとってすでに食うもの(人間)は足りなくなっている。

鬼であることの象徴、角は鬼により生えている数が違う。
角により、鬼たり得ているので、
元々1本しか角がない「一角」は肩身が狭い。
人間社会でいえば、差別されている身。

鬼たちは需給バランスを整えるために、
自らの角を抜くことにより、
鬼であり続けることを放棄しようとする。
角がすべてなくなってしまうと、○○になるのだ。(ここだけネタバレやめました)

言ってみれば、“自死”。
ただし、鬼たちは人間たちの命を奪ってきた罪の認識があってかどうかわからないが、
○○になるのをどこか受け入れているようにも思える。

ウィキペディアによると
鬼の肌の色には5色あるそうだ。
青・赤・黄・緑・黒。
五行説(万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説)と
五蓋説(仏教における瞑想修行を邪魔する5つの煩悩~欲望・怒り・倦怠・心の不動・疑い)
が組み合わさったものと言われているようだ。

ここでは赤鬼。
演じる中学2年生らしい3人の俳優たちはびっちり赤顔のメイクを施している。
どういう作業をしたのか目元もばっちり鬼仕様に整えている。
ちぢれた頭髪にそれぞれの本数の角が生えそろっている。
服装は、各自スーツ姿。
サラリーマンの社会模様にも見える。
イケイケサラリーマンにくたびれたサラリーマン。
顔を見れば赤鬼で、
しゃべれば声は中2の女子だが。

手には、これも鬼の象徴、金棒。
それぞれ長さが違う金棒にはなぜか“適正”という文字が入っている。
金棒は、鬼に金棒ということわざがあるように、
ただでさえ強い鬼の強さを増幅する武器である。

例えば、武士に幕府がその刀は切れすぎるので、殺傷能力を弱めるために切れ味を落としましょう、というように
“適正”という文字に念力が込められていて、金棒という武器を弱められているようにも思う。
鬼たちの自発的行為によって。
今でいえば、“自粛”という言葉がふさわしいかもしれない。
もしくは“脱炭素”という言葉か?

鬼たちはセリフを発する中で、「人間」という言葉に体が反応する。
これはひとつのテーゼだろう。
俳優たちがこの言葉で動きが変わるといいなとも思った。

やはり、場所は狭いように思えた。
当然だ。
本来準備していた場所と違うのだから。

観客も違う。
上演舞台の置かれた状況も違う。
それでも演劇はここにある。
それがすべてだと思う。

演出効果で観客によるリアル豆まきがあったが、
この時期、鬼を題材にしたのは、劇作家の意図があったかどうかは知らない。


※写真のイベントは中止となりましたが、アーカイブとして残しました。

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