2022年02月20日22:32
メロープラザで市民劇団メロー「令和版!番長皿屋敷」を観た≫
カテゴリー │演劇
2月13日(日)14時~
案内には、「あなたも気軽に演劇体験 第三幕」とある。
また、「市民劇団メロー初公演!!」ともある。
公立の劇場のひとつの役割として、
劇場が主体となる市民劇を上演するということがある。
もちろん劇場は演劇のみでなく、
ダンスや音楽など様々な舞台芸術が行われる。
穂の国とよはし芸術劇場PLATは
市民参加の演劇と高校生参加の演劇を
各、年1本上演している。
貸しホールとしての役割や招聘公演など、
完成している作品を上演する場合とまた違い、
ずいぶんと手間がかかる。
企画の段階でスタッフだけで間に合わないなら、
外部から専門家を招聘することになる。
内容を決め、参加者を募集し、練習を段取り、
上演まで導く。
これは納税者でもある市民らのために
観客としてだけでなく、
参加者としての機会を提供すること、
学ぶ教育の場を生み出すこと、
そして、芸術作品を作りだすことなどの
意義があるだろう。
大中2つのホール等があるアクトシティでは
“音楽の街浜松”を反映して、系統的に行われているのは音楽関連だ。
「バンド維新」では日本を代表する作曲家たちの新作を浜松市の中・高の吹奏楽部が演奏・発表する。
「浜松国際ピアノアカデミー」は世界的なプロピアニストを育成するというのが主な目的。
参加者は市外の方を含めた意欲と能力のある人が対象で、
“音楽の街”として世界に向け発信しようという思いが垣間見える。
袋井市の月見の里学遊館では、こうさぎ合唱団、室内楽アカデミー、映画をつくろう、第九など
市民参加を対象とした活動を行っているようだ。
それら施設は上演するホールのみで成り立っているのではない。
今ではワークショップという言葉が浸透しているが、
練習や準備など発表に至るまでの活動を支える
練習場所を併設しているのが特徴だ。
これら活動で最もキーとなるのは、
参加者がいることはもちろんであるが、
運営を担うスタッフの働きだ。
必要ならば、
SPAC(公益財団法人静岡県舞台芸術センター)などのように、専門家である芸術監督を置く。
前置きが長くなったが、
今回のメロープラザ。
同じ袋井市には、袋井駅より北にある月見の里学遊館がある。
メロープラザは、逆に南、合併前の旧磐田郡浅羽町にある。
どちらも浜松から車で向かう道中、のどかな気分になる。
住宅や店舗に混じり、田畑が広がってくる。
市民参加のイベントを用意しても
市民全員が関心を示すわけではない。
これはどのジャンルでも同じだろう。
多くの人が興味を持ちがちなものもあるが、
だから価値があるというものでもない。
何のためにやるか、目的が重要になるが、
どんな人たちが住んでいるか、
それも踏まえることも必要だろう。
笛吹けども踊らず、
それではあまり意味がない。
「皿屋敷」は、お菊という女が十枚の皿の内、何らかの理由で一枚を失うことで、
咎められ、死ぬことになったことを恨み、幽霊tとなり、
井戸で夜な夜な「いちま~い、にま~い」と皿を数えるという有名な怪談話。
各地に同様の言い伝えがあり、
播州姫路が舞台の「播州皿屋敷」、
江戸番長が舞台の「番長皿屋敷」が広く知られている。
また、歌舞伎、浄瑠璃、講談等の題材ともなっている。
「令和版!番長皿屋敷」は3部構成になっている。
1部では、元々の「番長皿屋敷」を複数の出演者たちが順番に朗読する。
2部では、登場人物の播磨とお菊の男女の関係性を題材に即興芝居。
1部とは出演者が変わり4名が登場。
俳優・北原正樹さんの進行で、
組み合わせを決める札を引き、お菊と播磨になり、
「場所」を決める札を引いて、それにちなんだ芝居を即興で演じる。
北原さんの巧みな誘導と度胸と才能ある参加者のおかげで、
それぞれの即興がひとつの流れを持つ。
3部では再び1部の何人かが登場し、
「落語「皿屋敷」を朗読。
こちらは元々の古典落語がお菊が幽霊となった後の
創作された後日談となっている。
お菊役の俳優が登場する時、スモークがたかれたが、
バックの照明が明るいグリーンのまま変わらなかったので、
あまり効果的にはならなかった。
怪談としての(わかりやすい)思い切った仕掛けがあるといいと思ったが、
どうだろう?
冬だし、なぜ皿屋敷?とは正直思ったが、
これも市民劇のひとつの形で工夫が施されている。
気軽に演劇体験から「皿屋敷」のように派生し、
田園風景を越えて、浸透していくといいと思う。

案内には、「あなたも気軽に演劇体験 第三幕」とある。
また、「市民劇団メロー初公演!!」ともある。
公立の劇場のひとつの役割として、
劇場が主体となる市民劇を上演するということがある。
もちろん劇場は演劇のみでなく、
ダンスや音楽など様々な舞台芸術が行われる。
穂の国とよはし芸術劇場PLATは
市民参加の演劇と高校生参加の演劇を
各、年1本上演している。
貸しホールとしての役割や招聘公演など、
完成している作品を上演する場合とまた違い、
ずいぶんと手間がかかる。
企画の段階でスタッフだけで間に合わないなら、
外部から専門家を招聘することになる。
内容を決め、参加者を募集し、練習を段取り、
上演まで導く。
これは納税者でもある市民らのために
観客としてだけでなく、
参加者としての機会を提供すること、
学ぶ教育の場を生み出すこと、
そして、芸術作品を作りだすことなどの
意義があるだろう。
大中2つのホール等があるアクトシティでは
“音楽の街浜松”を反映して、系統的に行われているのは音楽関連だ。
「バンド維新」では日本を代表する作曲家たちの新作を浜松市の中・高の吹奏楽部が演奏・発表する。
「浜松国際ピアノアカデミー」は世界的なプロピアニストを育成するというのが主な目的。
参加者は市外の方を含めた意欲と能力のある人が対象で、
“音楽の街”として世界に向け発信しようという思いが垣間見える。
袋井市の月見の里学遊館では、こうさぎ合唱団、室内楽アカデミー、映画をつくろう、第九など
市民参加を対象とした活動を行っているようだ。
それら施設は上演するホールのみで成り立っているのではない。
今ではワークショップという言葉が浸透しているが、
練習や準備など発表に至るまでの活動を支える
練習場所を併設しているのが特徴だ。
これら活動で最もキーとなるのは、
参加者がいることはもちろんであるが、
運営を担うスタッフの働きだ。
必要ならば、
SPAC(公益財団法人静岡県舞台芸術センター)などのように、専門家である芸術監督を置く。
前置きが長くなったが、
今回のメロープラザ。
同じ袋井市には、袋井駅より北にある月見の里学遊館がある。
メロープラザは、逆に南、合併前の旧磐田郡浅羽町にある。
どちらも浜松から車で向かう道中、のどかな気分になる。
住宅や店舗に混じり、田畑が広がってくる。
市民参加のイベントを用意しても
市民全員が関心を示すわけではない。
これはどのジャンルでも同じだろう。
多くの人が興味を持ちがちなものもあるが、
だから価値があるというものでもない。
何のためにやるか、目的が重要になるが、
どんな人たちが住んでいるか、
それも踏まえることも必要だろう。
笛吹けども踊らず、
それではあまり意味がない。
「皿屋敷」は、お菊という女が十枚の皿の内、何らかの理由で一枚を失うことで、
咎められ、死ぬことになったことを恨み、幽霊tとなり、
井戸で夜な夜な「いちま~い、にま~い」と皿を数えるという有名な怪談話。
各地に同様の言い伝えがあり、
播州姫路が舞台の「播州皿屋敷」、
江戸番長が舞台の「番長皿屋敷」が広く知られている。
また、歌舞伎、浄瑠璃、講談等の題材ともなっている。
「令和版!番長皿屋敷」は3部構成になっている。
1部では、元々の「番長皿屋敷」を複数の出演者たちが順番に朗読する。
2部では、登場人物の播磨とお菊の男女の関係性を題材に即興芝居。
1部とは出演者が変わり4名が登場。
俳優・北原正樹さんの進行で、
組み合わせを決める札を引き、お菊と播磨になり、
「場所」を決める札を引いて、それにちなんだ芝居を即興で演じる。
北原さんの巧みな誘導と度胸と才能ある参加者のおかげで、
それぞれの即興がひとつの流れを持つ。
3部では再び1部の何人かが登場し、
「落語「皿屋敷」を朗読。
こちらは元々の古典落語がお菊が幽霊となった後の
創作された後日談となっている。
お菊役の俳優が登場する時、スモークがたかれたが、
バックの照明が明るいグリーンのまま変わらなかったので、
あまり効果的にはならなかった。
怪談としての(わかりやすい)思い切った仕掛けがあるといいと思ったが、
どうだろう?
冬だし、なぜ皿屋敷?とは正直思ったが、
これも市民劇のひとつの形で工夫が施されている。
気軽に演劇体験から「皿屋敷」のように派生し、
田園風景を越えて、浸透していくといいと思う。
