シネマe~raで「名付けようのない踊り」を観た

カテゴリー │映画

4月2日(土)11時45分~

映画監督の犬童一心さんが、ダンサー・俳優の田中泯さんを追って、2017年8月~2019年11月まで、
ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら撮影。
泯さんは72歳から74歳になり、3か国、33か所で踊りを披露した。

新型コロナウイルスは2019年12月1日に最初の患者が当時原因不明の肺炎を発症したことから始まったと言われている。
この映画には、コロナ禍を象徴するマスク姿の人々は映し出されない。
コロナの影響で2019年11月に撮影を終えたのかどうかは知らない。
ただし、通常の例から言えば、2020年となり1月にニュースが報じられはじめ、
みるみるメディアでの報じる枠が広がり、2月になって、イベントごとがバタバタ中止に追い込まれていく。

映画の冒頭、2年ちょっとの撮影された期間を伝えるテロップをながめながら、
ああ、コロナは逃れたのだな、マスクをしている僕はそんなことを思った。

泯さんは、子供のころから、お祭りのお神楽や、盆踊りが大好きだったそうである。
クラシックダンスやモダンダンスを学び、暗黒舞踏の土方巽さんを私淑していると紹介されている。

私淑と言うことは、直接会わずに学んでいたということだが、
土方が亡くなる際、本日体の幕を閉じるというような旨の連絡を本人から受け、
死ぬまで自分の体を使い切った生き方に唸ったと触れていることから、
おふたりが深い関係にあったことは理解できる。
Wikipediaによると1982年に意を決して会いに行き、
土方演出・振付の田中泯ソロ公演「恋愛舞踏派定礎」を決行するに至る、とある。

東京のごみ集積所である夢の島で踊ったり、
体中の体毛を剃り上げ、全裸で、世界各地で踊る。

40歳の時に、踊りのための体つくりを農業のみで作るという考えで、
山梨県に移り、その場所を「桃花村」と名付け移住する。

農業をするために移住するというのではなく、
踊りのためというのが一言でいうと「かっこいい」。

山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」に伝説の武士役に抜擢され
映画やテレビを舞台に俳優生活も始める。

泯さんの踊りを表現する言葉である「場踊り」。
踊りの起源へのこだわりを追求し、日常のあらゆる場で即興で踊る実践的アプローチとある。

ちょうどNHKで「SWITCHインタビュー達人達」という番組で
田中泯さんと女優の橋本愛さんの対談がオンエアされたので、
配信番組で観た。

体だけの長い歴史の後に、待ち望んだ言葉が出現したというような話があったが、
泯さんは、とても話好きだと思う。
ナレーションも自身が行なっている。

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