7日引佐町横尾の開明座で「横尾歌舞伎特別公演」を観た

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13時開演で、4演目上演されたが、
遅く行き、早めに帰ったので、
観たのは3本目の「弁天娘女男白波 浜松屋店見世先の場」のみ。

パンフレットによると、
横尾歌舞伎の発祥は定かでないようだが、江戸時代の寛政年間の文書に
この地で歌舞伎が盛んに行われていたと記されているようである。

この地とは、浜松市北区引佐町横尾。
そこには横尾歌舞伎保存会と言う団体があり、
地元の神社への奉納芸能として、伝承されている。

昔は、村のしきたりとして、
青年会に入会すると必ず芝居をやらなければいけない不文律があったようだ。
そして、やらない者は風呂焚きの罰則。
(昔の風呂焚きは大変だったことだろう)

そのため、村に住むすべての男子は、芝居経験者であったそうだ。
今では隔世の感がある。

今は、よほど好き者でないとやらない・・・。

青年会だけで、勝手にできるものではなく、
役割も、古老により決められていたそうだ。

江戸・明治期から、台本、衣裳、髷、大小道具類を先人たちが買い求め、
制作・修理をしながら、今に至るまで残してきた。

そして、役者・太夫・三味線弾き、振付、着付、床山、大小道具、ポスターつくりに至るまで
すべて地域の人の手で行われている。

ここまで、書いてみると、
いいことばかり、のように感じる。
現代の問題をすべて解決してくれるかのようだ。

「一致団結による地域活性」
「若者が年長者を敬う敬老精神」
「若者が活き活きと活動し、引きこもりなどいない」

実際関わっている人たちにとって、どれだけ必要なものなのだろうか。
それは当然ながら、盛んに行われていた時代とは違う。

演じている演目は古典である。
ただし、地域の人たちに盛んに行われていた時は
現代劇だったはずだ。
都で演じられていた歌舞伎は、地域に住む人はほとんど見られない。
そこで、台本と、見聞きした誰かの情報が流れてきて、
地域で自分たちの手で演じられるようになったのが発端ではないのか。

今の人たちで古典芸能を観る人は一部だと思う。
(現代劇を観る人も一部だが)

幸四郎も菊五郎も仁左衛門も海老蔵も勘九郎も
テレビなどで知ってはいるが、舞台を観ていない人は多いだろう。

横尾歌舞伎の舞台に立っている人が、
決して、歌舞伎や芝居が好きかと言うと、普通に考えて、そうでもないと思う。

でも、大向こうから声がかかったり、
タイミングよくわきから人が出てきておひねりを投げ入れるなど、
芝居の世界をみんなで作り上げているのが伝わってくる。

それらを今でも残しているということは本当にすごいことだと思う。
もっと早く行って、最後まで観ればよかったと、今、少し後悔している。

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