万年橋パークビル8Fで絡繰機械’S「コンクリートシアターvol.2」を観た

カテゴリー │演劇

11月18日(土)14時~
短編芝居3本を各回ごとに2本ずつ組み合わせて上演。
「迷宮の夢」は観たことがあったこともあり、
「Rush」と「錯綜」の2本の回を選んだ。

短編と紹介されているが、
40分~50分の作品であるので、
中編と呼んでもいいのかもしれない。

朝起きた時からそぼ降る雨が、
気温を下げていた。
万年橋パークビルのパークは駐車場の意味で、
店舗と駐車場の複合ビル。

コンクリートシアターは、
8Fの駐車場を劇場として活用し、上演される。
入場すると、
「ああ、コンクリートだなあ」
むき出しのコンクリートに囲まれた中に
板で組まれた舞台が設置され、
その上には、いくつかの椅子らしきものが置かれていた。

「Rush」から上演される。
寒さを気使いしきりにブランケットの入用を聞く前説者が話している最中に
俳優が登場し、椅子らしきものに座りだす。
椅子らしきものは当然のように椅子として使用され、
家族がリビングでテレビを観ながら御飯を食べるという
ごくありふれた状況から始まる。

どうやら、父にボーナスが出るのを目当てに
家族そろって食べ放題の店に行くのを
前年悔しい思いをした雪辱戦の意味合いも込め、
ストイックなまでに準備を整え、燃えているらしいのだ。

NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の話を持ち出した事を発端に、
『家族VS食べ放題の店』の様相を呈してくる。

アメリカンフットボールは攻守を交代して試合が進む。
これは常に同じ状況でせめぎ合うサッカーやラグビーと決定的に違う。
むしろベースボール(英語を使う必要はないのだが、つまり野球)と構造は同じかもしれない。
攻め手と守り手をわけて、点取りゲームを行うのだ。

アメフトの攻め手の代表はクォーターバックである。
クォーターバックがボールを排さなければゲームは始まらない。
そしてベースボールの守り手の代表はピッチャーである。
ピッチャーが投げなければベースボールは始まらない。

あ、アメフトは実はあまりテレビで観る機会ありません。
かたくなな考えがあり、家で観ることができるのは地上波のみで、
唯一観られそうなスーパーボールは時差の関係で
勤務中の月曜午前が日本での中継時間なので。

何でスポーツの話になったんだろう。
そうなのだ。
「Rush」はまるで、アメフトについて語るかのように演劇が展開する。
アメフトの中継番組を観るかのように専門用語が語られ、
初心者向きに説明もなされる。

攻め手は、家族であり、
守り手は、食べ放題の店である。
シーンの展開は、攻守の交代による進んでいく。
攻守は同じ役者が演じる。
守り側のリーダーである食べ放題の店の店長以外は。

ラスト、襲撃した(来店した)家族の前に立ちはだかる(お迎えする)
店長を前に、クォーターバック(母)の合図に、一斉に攻撃体勢を取る。
この体勢のことを何て言うのか調べたら、
FFP(ファンダメンタルフットボールポジション)というのであろうか。
両足を肩幅くらいに開き、腰を落とす。
オフェンスでもディフェンスでも用いられる安定した姿勢だそうだ。

集約されていて、思わず笑った。

「錯綜」の舞台セットはひもだった。
15分の休憩時、セットの準備がなされることがアナウンスされ、
その様子を観ていてもいいと言われたが、
ビル内は先客がいたので
そばの第一通り駅までトイレに行って戻ってきたら
すでに準備は終わっていた。

真ん中に白いひもが円の形に置かれ、中に女がいる。
大相撲の本場所中だから言うのでもないが、
相撲の土俵にも似ている。
相撲も本来は神事から発する。
まわりを棒を持った人たちが、円を囲うように配置され、
舞踊のような儀式のような動きでセリフを唱えながら廻っている。

女は幽閉されている。
囲うひもは檻であり、まわりは敵ばかりである。
むしろ神に見放されたという状況である。
未来を予見し、災いを呼び寄せたとして、断罪されている。
その対話は厳しい。

人間に未来を予見する資格はない。
神ではないのだから。
相当な過去をイメージするその時代は
現代以上に過酷な日常であったろう。
科学という観念がないので、
呪術の価値が大きく、
災いを収めるには生贄が有効とされたりした。

転じて、麦畑で育った女が登場する。
貧しいながらも、大地と人に恵まれ、
同じ場所で育った。
時が立ち、おのずと年をとる。
そばにはその年輪を理解する人がいる。
肯定してくれる人がいる。
その対話はやさしい。

大きなことを成し遂げたのではないかもしれない。
でも人生の象徴である麦畑の麦は収穫の季節にはたわわに実り、
そのたわわの麦は、それまで、幽閉する檻としても使用されていた白いひもが使われる。
人と人が片側同志を持ち、
収穫の実りを表現する。
そう言えば、ハロウィンも秋の収穫を祈る儀式を根源とする。
仮装は悪魔祓いである。

現代の日本で急に流行りだしたのも、
ほぼ収穫を祈る悪魔祓いの意識はないだろうが、
どこか、意識は古来とリンクしているのかもしれない。
科学を信じ切ることができない、
どこか呪術的なものを信じるという。

タイトルは「錯綜」である。
入り混じる気配を提示して幕を閉じる。
もちろん重なっているかどうかはわからない。
時代も場所も違う。
人も考え方も違う。

それは僕たちも同じである。

万年橋パークビル8Fで絡繰機械’S「コンクリートシアターvol.2」を観た



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