鴨江アートセンターでSPAC上映会「グスコーブドリの伝記」を観た

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8月24日(土) 13:30~

2015年に静岡芸術劇場で上演された作品を撮影した映像を上映。
出演された山本美幸さんが上映後登壇し、観客の質問に答えられた。

その中で興味深い言葉があった。
演出過程で
人形を遣うにあたり、
それぞれ制約を設けるように指示されたというのだ。
例えば、体の一部だけ動かすとか、
しゃべり方もひとつだけ特徴を入れるとか。
つまり、ルールを設ける。

これは、自由と反対のように思うが、
自由を使いこなすことは本来は至難の業だ。

「ブスコーブドリの伝記」は
主人公であるブスコーブドリ役の美加理さんのほかは
人形を使って演じられる。
俳優が黒子(ビジュアル的には白子だが)となり、
各自が人形遣いとなり、セリフを発する。
人形の顔は実際の俳優の顔を模して貼り付けているように思われた。

人形の形態も役によりそれぞれ違う。
多くの人形劇はひとつの形態で行われると思うが、
今回は混在している。

日本の伝統芸能である文楽も“人形劇”である。(人形浄瑠璃と言うが)
文楽の人形を動かす“人形遣い”、
セリフともいえる語りを担う“太夫”に
制約を設けて、と指示するのはナンセンスだ。
それぞれ型があり、
表現すること自体、
制約が基本なのである。
そして修練の果て舞台に立つ。

ところが、今回はそうはいかない。
役者としては舞台に立っているが
人形など使ったことがない人たちが
人形を遣う。
それが、ひとつだけ制約を設けるという演出なのだと思う。
面々と続く人形劇の世界に敬意を表し、
その技法を演劇に使わせてもらう場合、
どうしたらいいか、
それを考えたのだと思う。

四角い枠が横につながり
自在に動かすことができる装置を含め、
絵本をめくるように見せる効果を意図しているように思われた。
だから俳優や人形の表現も動きが小さく、
言葉も抑揚を抑えた表現をしているのだと思った。
まるで絵のように。

それは物足りなさに思えたが、
少しずつ表現の幅を増やしていくに連れ
気にならなくなり、物語の世界に入り込んでいった。
小さな子供が絵本の世界に入り込んでいくように。

鴨江アートセンターでSPAC上映会「グスコーブドリの伝記」を観た


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