絡繰機械’s「boundaries~花が咲く人~」を観た

カテゴリー │演劇

6日(日)17時から絡繰機械’sの「boundaries~花が咲く人~」を観た。
フェスの自主公演、最終である。
そして、絡繰にとって、3部作の第2部である。
公演終了後にはカムカムミニキーナの作・演出松村武氏と絡繰メンバーたちとのアフタートーク。

かつていた劇団の主宰者と歌舞伎を観ることについて話をしていた。
「歌舞伎を観るのは楽しみだからなあ」
言いかえれば、演劇を観ることは楽しみではない、と言えようか。
これは決して楽しみで観ることが悪いと言っているのではない。
僕も長く演劇は楽しみで観るのとは違うものになった。
そういう意味では映画を観る時も本を読むときもそんな感じだ。
楽しみで観るものといえば、スポーツ中継だろうか。
スポーツ中継を観る時は完全に楽しんでいる。
野球を。サッカーを。格闘技を。マラソンを・・・。
だからテレビ中継しているかぎり、飽きることなく、終了まで観続ける。
本を読むときなど、やたら止まる。
そして、しばし考える。
後戻りする。
だから、本を読むのも遅いと思う。
特に戯曲なんて最たるものだろう。
戯曲は読みにくい。
だからか、あまり売れない。
演劇を観る時も、できることなら止まりたいと思う。
でも、やっているのは演じている側なので、こっちの意志では止まることはない。
こちらがどんな状態でいるかお構いなしで、じゃんじゃん進む。
だから、なかなか集中できなかったりする。
覚えていないことも多い。
ほかのこと考えてしまったりもする。
じゃあ、何やりに行ってるんだと思う人もいるかもしれないが、実はこれはこれで楽しんでいるのだ。
頭に浮かぶほかのことと目の前のことと照らし合わせたり、ほかのことが面白かったりすると、そちらの方を発展させたり。
うまくいくと、幕が下リる頃には、新しいアイディアが生まれていたりして。
そんな時は楽しませてもらった以上に得した気分になる。
これは、俺が演劇をやっているから、感じることなのだろうか。
そうとも言えないと思う。
たとえば商売をやってる人が、ビジネスアイディアを得る時など全く同じだと思う。
ちがうことは商売人は金に結び付くからやっている。
俺の場合は金に結び付かないけど、もはや習性だ。
ある知り合いと話していて、その男は言った。
「なんでもやるが、金にならないことはやらない」
演劇など仕事以外のことをやたらやる俺を称して言った。
「性分だから仕方ない」
俺は妙に納得してしまった。
そして、複雑な気分で、しばし考えた。
「世の中金じゃねえ。そうさ。俺は演劇が好きだからやっているのさ」
(恥かし・・・。)
これについては今も考え中。
よくわかんねえ。
なんか絡繰からすごい脱線しているようだけど。
もどろう。
オリジナルを作る場合、すること。
場所を決める。
時代を決める。
登場人物を決める。
そして、何が起きるか決める。
今回の絡繰は3部作ともあり、用意された舞台は大きい。
その器の中に、具体を盛り込むのがつくる過程の作業だ。
ぶっとい柱をボンボンボーンとぶっ立てるか。
細かい針金を緻密にはりめぐらせるか。
そこで泳ぐのは役者。
そして、芝居は出来上がる。
アフタートークで印象に残った言葉。
「泣きながら笑いの稽古をする」
そうだ。笑いは修行だ。
気楽に出来上がるものではない。
松本人志しかり。
ビートたけししかり。
萩本欽一しかり。
志村けんしかり。
明石家さんましかり。
(今のタモリは気楽そうだけど。)
お笑い芸人は吉本のおかげか群雄割拠で、日替わりのように人気者が変わっていく。
だけど、芝居の中の笑いは少し違うものだと思う。
今回思った。
笑いのできる肉体はできている。
とくに中西さんとか。
そのせっかくの肉体が、地に戻ったようなやりとりに使われるのはもったいない気がした。
物語のスケールとのギャップが絡繰らしさというのかもしれないが、笑いはあくまで物語のためにあると思う。
役者も照明も音も衣装も美術もすべてが物語に準ずることによって、なんか豊饒な物語の森が・・・。
人か~。
連作というのを考えると、アマチュアならではののっぴきならないメンバーの変更は物理的な問題ではあるが、不利だと思う。
巨大な船にはそれなりの乗組員も必要だろう。
しかし、あの森いいね。
照明当たるとまたいい。
舞台はシンプルがいい。なんて、うらやましさいっぱいで言うけど、やっぱり、役者が映えるね。
かっこいいっていうのはそう簡単にできることじゃない。
丸い松本さんがかっこいい。
でも実はかっこよさは、地道な粘り強さの果ての代償として得られる。
単なるポージングであらわれるものじゃない。
立ち姿がいいということは動いた姿もいいことも想像するに易い。
だから舞台全体が美しい。
だからこそ、世界を壊すのは・・・。
物語の中で壊すのはいい。
ただ、スネオに似ているということで壊すのは・・・。
不条理に進むところが逆に条理に進んでしまうような気がする。
不条理は不条理にまかせ、狂わせていった方がいい。
そして、その先は・・・。
喜望峰が見えるかもしれない。
コロンブスがアメリカ大陸を発見するかもしれない。

物語がじゃんじゃん進む中で、こちらが勝手に休んでも許してくれる包容力のある芝居が好きだ。
そこで俺は人生を考えたりする。
つまらないことも考えたりする。
言えるのは、その時、俺は純粋な受け手ではない。
確実に何か作り出しているのだ。
客なのに。
bounndariesと関係ない?
関係あるかないか知らないけど、そう考えたんだからいいだろ?
もちろん次回第3部も楽しみだ。
試みてくれ。
絶え間なく。
(夜中なんで調子に乗った。侍チュート!にハリセンボンの近藤春菜演じる“睡魔”ってのが出てきた)



※boudariesとはパンフによると、「境界」という意味だそうだ。
そういえば、境界に立っている感覚はふとした時に突然やってくるよね。







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