鴨江アートセンターでsons wo:「シティⅢ」を観た

カテゴリー │演劇

8日(土)19時~
第2土曜日なので、所属しているいわた表現の会からころの月1回の定例会が14時からあった。
2011年の震災の年に第7回公演を行ってから、
新たな公演を行っていないのだが、
毎月定例会は開かれ、
各自持ちよった題材を元に、表現活動を続けている。
今回は、「あらしのよるに」という絵本を題材に
とりあえず継続的に作品作りをしていくことになった。

第2土曜の夜の観劇は
おのずと定例会の場所である西貝公民館から向かうことになる。
雨が降っている。

sons wo:の「シティⅢ」は3部作の最終章である。
残念ながら、「シティⅠ」は未見であるが、
昨年夏、ライブハウスで行われた「シティⅡ」に続いて、観る。

sons wo:は有楽街で開かれた路上演劇祭で「めいしゃ」という作品で出会って以来、
数度拝見したが、演出は毎回方法が異なるように思う。
ただし、方向性は変わらない。

演出は通常、話の筋を滞りなく、効果的に伝えるために
つまり、ある意味観客に奉仕する形で行われる。

ところが、sons wo:は、それをどこか拒否しているように見える。
例えば、動きが変だ。
しゃべり方が変だ。
それはあえて負荷や障害をを生じさせている。
滞りなく動かさない。
滞りなくしゃべらせない。

これは実はリアリティがある。
僕たちは普段、そんなに滞りなく動いたり、しゃべったりしているわけではないからだ。

昨年見た「シティⅡ」では、
何らかの理由で多くの必要だったものを失った人々の状態を表していた。
大切な物も人も街も・・・。
その状況に人々はどう対処するかということが表現されていたように思う。
イメージは「荒野」である。
西部劇風の音楽が似合っていた。

「シティⅢ」ではさらに時を経たその先を描いている。
人々は、多少物を持ち、食料を手に入れ、仕事さえしている。
ただし、手に入れたそれらはすべて危うい。
消費社会の中で、磨き上げられた高品質で見栄えもよくなおかつ安全安心な物ではない。
栄養価も高くおいしい食べ物でもないし、
やりがいがありなおかつ家族を養いまわりにも還元できるような仕事でもない。

男女二人組の旅芸人が出てくる。
旅をする中で、出会った人たちに自分たちの芸を見せることで、金を得る。
フーテンの寅さんが行商先で物を売るのと変わらないのでまっとうのように思うが、
やっている芸はまともには見えない。
それでも芸は観客を満足させ、成立する。

僕たちはひとつ価値観が変換されていたことを知る。
文明が失われる以前と。
また同じようにその後は進むのだろうか。

鴨江アートセンターでsons wo:「シティⅢ」を観た


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