からっかぜアトリエで演劇ユニット マッカラン・ウェルブ「偏路」を観た

カテゴリー │演劇

16日(日)14時~
岸田國士戯曲賞の受賞者でもあり、芥川賞受賞者でもある
本谷有希子さんの戯曲を上演。

お遍路で有名な四国地方から女優になる夢を抱き、
上京するが、芽が出ず、本人曰く都落ち、つまり故郷に帰ることになる、
若月という女性が主人公。

ところがまず帰る場所は、
お遍路をしている若月の父親が立ち寄っている
親戚の家。
そして、その家では、お遍路をしている人たちに対し、
「お接待」と呼ばれる、食べ物や、ことによればお賽銭を差し出したり、
宿として提供したりしてる。

「お接待」とは、他人のために捧げる行為である。
他人のことを考える。
他人に干渉する。

自分のことばかり考える若月にとって、
そのように関わられることが非常につらい。
うざい。重い。
出来れば放っておいてほしい。
そっとしておいてほしい。

それは、ひとえに、若月が自分のことだけを考えているからだ。
父親に、大見得を切って飛び出した故郷に
帰るのが恥ずかしい。
父親やそのほかの人たちに合わせる顔がないのである。

そんな若月の気持ちは、
チラシのキャッチコピーにも使われている、
「ひとんち くさい」
というセリフに現れている。
親類の家の玄関先で感じる
他人の違和感に、
置かれていた消臭スプレーを吹きかける。
自分以外はみなくさいのだ。

でも、それは、
ほんとうは自分にすごくかまってほしいという欲求の現われでもある。
ほんとうはたまらなくお接待されたいのだ。
頭をなぜていい子いい子されたいのだ。

それは、若月が自分とは別の人たちと思っていた
この家にいる親類縁者たちも、そうは変わらない。
みなそれぞれドロドロを抱え、
接待する側でなく、接待されたい側として、
ここにいる。
接待されたい同士で、寄り添っている。
甘え合っている。

若月のどうしようもなく感じた違和感は
ここにある。
肯定できない自分と、同じような立場の人たちがいるのだ。

若月の登場で、
この状況は変化を見せる。
自分で抱えていたドロドロを先ずは
みなにあからさまにすることにより、
共有し、次へ進もうとするのである。

若月が泣く場面が2度ある。
若月が妬む、人生が始まってもいないし、終わってもいない
生まれたての赤ん坊のように。
恥も外聞もなく、
周りのことなど気にせず、
遠慮もなく。

1度だけでは足りなかった。
2度泣くことで、舞台は終幕を迎える。

若月は、他人も自分とそう変わらないことを知る。
他人とくささを共有する象徴である炬燵に
父と一緒に入る。
若月は、故郷を受け入れる。

と思いきや、
若月は再び、東京に出るなどと言って幕を閉じる。
でも、もちろん本当に行くかどうかはわからない。

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