静岡文化芸術大学 講堂で劇団マエカラサカナア「銀河鉄道の夜」を観た

カテゴリー │演劇

12月23日(土)13時30分~

「さよならだけが人生だ」は井伏鱒二が、とある漢詩を訳すときに使った言葉である。
格好いい言い回しなので、時折使われるが
「人生に別れはつきものだ、まあ飲み干しなさい。」
という元々は酒の席で酒を勧める際に放った言葉。

宮沢賢治が書いた「銀河鉄道の夜」は推敲を重ねた末、
未定稿のまま出版された。
それは1933年の37歳での死後、出版されたからである。
もしも賢治がもっと生きていたら、
もっと推敲を重ねていたのかもしれない。

「銀河鉄道の夜」に書かれていることを
すべて戯曲に盛り込もうとしたら、
ずいぶんと冗長になるかもしれない。

というのは比喩や形容詞がとても多いからだ。
星や地質や気象や植物や音楽や心や宗教やらを伝えるのに多くの言葉を費やしている。

そのため、脚色する人は、
原作からいくつかの要素をカットして、
その代わりに自分なりの視点を盛り込むことになる。

劇団マエカラサカナアは今回の第4回公演を持って解散する。
というのは静岡文化芸術大学の大学生による劇団で、
来年の3月にメンバーはみな卒業するからだ。

当日配布されたパンフの裏表紙には小さく「さよなら」と入っている。
劇中でも「さよなら」とか「さようなら」とのセリフや、
手を振る演技が印象的だった。
原作の刈り込み方や追加も自分たちがやりたいことが現れていたように思う。
冒頭、ジョバンニとカンパネルラが星空をみて、
旅をしたいなあ、という親し気な会話で始まる。
これは先生の授業から始まる原作とは異なる。
その会話が、突然の列車の汽笛でかき消され、
2人の運命が暗示されて幕は開く。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のテーマのひとつが、
死というお別れであることは言うまでもない。
カンパネルラという少年は、
星まつりで、川に落ちた級友ザネリを助けようとして飛び込み、
行方不明になる。

カンパネルラの友人ジョバンニは
カンパネルラと共に銀河鉄道の旅をした夢からさめた後に
この事件を知る。
カンパネルラの父は時計をみて、きっかり45分経ったことを確認して
カンパネルラの死を覚悟し、川べりを去る。

ジョバンニは、病気の母へ届ける牛乳と
監獄に入っていると噂されている父が帰ってくることを
カンパネルラの父から知らされ、家に帰る。
その時は、大方の人は死を覚悟しているジョバンニのことは
今しがたまで一緒に銀河鉄道を旅していた実感を保ちながら、
小説は幕を閉じる。

劇団マエカラサカナアのお別れは
大学生活との別れである。
死というお別れと大学生活とのお別れを比較することはできない。
でも、場合によっては同じ意味を持つ。

大学生活とのお別れも一言でくくることはできない。
学生生活との別れ、友人との別れ、先生との別れ、学校との別れ、地域との別れ・・・。

そこに生の芸術である演劇活動がリンクする。
戯曲の準備、出演者の準備、スタッフの準備、稽古、公演PR、
本番当日の準備。

僕は、観劇後、会場である大学周辺を歩いていて気が付いた。
いくつかある入り口それぞれに公演場所までの道案内がていねいに掲示されていた。
そこまで準備することは、
最後の公演、
悔いのないように成し遂げるという思いが現れているように思えた。

たとえやりきったとしても、
やりきればやりきるほど
お別れに悔いはつきものであることは言うまでもない。

劇団マエカラサカナア版の「銀河鉄道の夜」では
最後、ジョバンニはカンパネルラとの別れを実感した上で、
涙を拭いて前を向いて終わったように僕には見えた。

静岡文化芸術大学 講堂で劇団マエカラサカナア「銀河鉄道の夜」を観た



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