演劇

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

■演劇                   フィールド 寺田景一

私は演劇をやっているが、演劇を生業にしているわけではない。
演劇とは関係のない民間会社に勤め、演劇に費やす金は、働いて得た給与から充当している。
以前、転職する時、クライアントへ担当替えのあいさつに出向いた際、演劇をやっていることを話していた私は「これからは演劇を専門にやるの?」と聞かれたが、そんなことはないので、「いえいえ、演劇なんかじゃ食えないですよ」と演劇に全く罪はないのに、自嘲気味に答えた。

また、こんなことも言われる時がある。
「演劇って、お金かかるでしょ」。
一度や二度の言葉ではないので、このように答えたりする。
「みんながパチンコやったり、音楽好きな人がバンドやるのと変わらないよ」または、「特別なものじゃない。あくまでも趣味の一つだよ」と答え、微妙に笑う。

と言っても、趣味に膨大に金をかける人は多くいるが、私の場合は決してそうではない。
機材にお金をかけることはまったくないし、観劇も演劇をやっている行為の延長と言えるが、経済観念はそこそこあるつもりだ。
入場料金をしっかり吟味するし、観たい作品を求めて、距離(交通費に直結する)を厭わず出向くということも近頃は特に、ほぼない。

ずいぶん前になるが、こんな会話を交わしたこともある。
元々学校の同級生であったが、仕事の関係で久しぶりに会い、互いの近況を話している際、演劇をやっているという話をしたら、「大変なことをよくやるな」というような反応があった。
その男は、「自分は金と直結する事しかやらない」と言った。
例えば、ギャンブルにしてもそうだ。息抜きの為にやるのではない。
金を儲けるためにやるのだ。
また、仕事以外の日常生活でも、同様だ。
人と会う場合でも、その先に、自らへの金銭的なメリットを考えて人と会う、と言う。

その言葉は直接的であったが、むしろ潔いと思った。
対して、仕事とは別に演劇を一生懸命やっているらしい、私のことを自分とは違うと思ったらしい。
ただし、決してそのことに無理解ではなかったことは次に続く言葉で、納得した。
「仕方ないな。性分だから」。
そうか。
演劇をやっていることは、私の性分なのか。
理屈は抜きなのである。
金儲けが性分の方がうらやましい気もしたが、生まれついての性分なら、仕方がない。

とは言え、演劇とはひとりではできない。
何かを集めるのが性分の人がいて、その結果がコレクターだったら、ひとりコツコツ集めることで満足するかもしれない。
でもコレクターだって、同好の者たちと自慢し合ったり、中には博物館をつくり一般に披露する人もいる。

かつて読んだ本に、無人島でも映画を撮る映画監督と無人島では撮らない映画監督がいるとし、実在の映画監督が分類されていた。
無人島で映画を撮るということは、観る人もいないということを意味する。
転じて、無人島で、演劇をつくる人はいるのだろうか。

私が映画監督だったとしても、無人島で映画は撮らない。
たぶん誰かが観てくれるのを想定して、映画を撮る。
演劇の場合も同様である。誰かとは誰か?
それは、意外と日々会う目の前の人だったりする。
その人が、私がやる演劇を観る観ないに関わらず。

2019年8月4日号より


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