本間一則さんのこと

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

■本間一則さんのこと         フィールド 寺田景一

本間一則さんが、はままつ演劇・人形劇フェスティバルの演劇部門の審査員をつとめられていたのは、表彰が始まった2006年から2010年の5年間である。
劇評家の扇田昭彦さんが、静岡文化芸術大学の教授をされていた関係で始まったともいえる劇評ワークショップは、地域演劇の劇評を書くという文化を生み、審査を担う人物を輩出するまでに至る。
本間一則さんもそのおひとりである。

2010年4月の連絡会の会報から、何度か依頼し、原稿を頂戴した。
初回は「私と演劇(芝居)との出会い」というタイトルで、PART1とされていた。
僕はこれを見て、ああ、次回も依頼するか、と思った。
結果、出会いにまつわる話はPART4まで続き、静岡文化芸術大学の開学2年目から社会人聴講生として、扇田先生の講義を受けるところまで語られる。

高校の時に演劇部を結成された先輩から誘われ、入部し、卒業されたあと、高校の恩師や友人たちと結成した「劇団青い猫」で数年間活動されたようである。
諸事情で解散後、観ることは続けられたと書かれているが、演劇を再開したとは書かれていない。

僕が本間さんと知り合ったのは、審査員を引き受けられた頃だ。
2004・2005年と劇評WSの講師を扇田先生がされた時、本間さんも参加されていたと思うが、僕は参加していない。

お会いする度のあいさつ程度で、それほど密に話をする機会はなかったが、フェスティバルのファイナルイベントが終わった後の打ち上げの席で、このように聞かれた。
「寺ちゃん、そもそも演劇を始めた理由は、何だね」。
え?何だろう。
その時は本間さんの経歴は何も知らなかった。
一方的な質問に感じられ、どう答えればいいのかすぐに返事が出来なかった。
即答できる答えはなかったし、過去のどこまで遡ればいいのかわからなかった。

質問というものは、質問者に由来する。
空の青さを知りたい子供は自然界の事象に興味があるのだろうし、健康の秘訣を知りたい大人はどこか健康に不安感があるのだろう。
他人が演劇を始めた理由を知りたい本間さんは、ご自身にこそ演劇への思いがあったのだろう。

もちろん、僕が質問を受けた時にはそんなことに頭は回らないから、“適当”に答えたことだろう。
何とお答えしたかも忘れてしまった。
酒が入っていたからと言って、不真面目に答えることはなかっただろうが、何を答えても自分の中で白々しかったと思う。
自分の答えがなかった時、もしも本間さんにこんな質問をお返ししていたら、どうだっただろう。

「どうしてそんなご質問をされるんですか?」。
本間さんは答えてくださっただろうか。
「いやあ、実は、俺も昔は演劇をやっていたことがあってねえ。かくかくしかじか」。
そんな話に発展していたら、僕も、もう少しまともな答えが出来たかもしれない。

昨年2018年6月に開催された路上演劇祭Japan in 浜松のご案内をメールで差し上げた。
「寺ちゃんが案内くれるからさあ、来ちゃったよ」。
会場である砂山銀座サザンクロス商店街で、久しぶりにお会いする事が出来た。
後日、静岡新聞の読者投稿欄に、「迫力ある路上演劇祭続けて」と見出しのついた本間さんの投稿が掲載されていた。

そんな本間さんが、先月お亡くなりになった。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

静岡県西部演劇連絡会会報 4月7日号より
写真は静岡新聞より

本間一則さんのこと


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