POPS倶楽部で「寺田町×中西一浩ライブ」を聴いた

カテゴリー │音楽

8月17日(土)19時30分~
8月のお盆の時期に寺田町さんは浜松で弾き語りのライブをやる。
言わばお盆休みの恒例事項ともいえる。
プロデュースというか招聘する人間がいるからなのだが、
特徴としては毎年異なるアーティストとの組み合わせで行われる。

それは同じ音楽の場合もあれば、
他流試合の例えば演劇の場合もある。
今回は、同じギターの弾き語りだった。
中西一浩さんは以前同じ劇団にいた。
ずいぶんと昔のことだ。

僕は彼が入団して、
入れ替わるように退団したと思う。
どれくらい活動時期が被っていたのか
記憶は定かではない。

僕が辞めた後、
寺山修司作の作品を一役やり、
その後しばらく活動した後、
劇団を辞め、音楽を始めたと聞いた。

詳しい経緯は知らないが、
音楽はひとりで始めたと思う。
自ら詞を書き、
曲をつけ、
歌った。

ライブの知らせをもらったのかもしれない。
いや、その前に何かの芝居を観た時、
居合わせ、音楽をやっていることを聞いたのかもしれない。

ああ、この経緯の記憶も定かではない。
ずいぶん昔のことなのだ。
昔とはあくまでも個人的な見解。
人により昔の認識は異なる。

そういえば、
浜松で
シネコンのTOHOシネマズ、
成人映画専門の新映劇場を除くと
ただひとつの映画館
シネマe~raで、
ソロライブを開いたこともある。
これもまた昔のことだ。

今まで音楽を続けているが
決してコンスタントというわけではない。
ライブ演奏と言うことに関しては。
但し、音楽のことは常に考えているだろう。
曲作りも含めて。

演奏前に少し話した。
今から本番なのに話し込んではと気遣ったが、
今更、と笑われた。
にも関わらず、
最初は多少固いように思われた。
途中からのってきたように思ったが、
後には寺田町さんが控えているので、
もう少しというところで終わる。

続く寺田町さんのMCで
この企画が始まって
30年になるということが触れられた。
30年欠かさず行われてきたのかは
僕にはわからない。
ただし、30年と言う長さの重みを思う。

僕はここ数年(いや、10年くらいは経つかもしれない)
気まぐれに足を運ぶのみだが、
無責任に、今回はよかった、
またはそうでもなかったな、などと思う。
観客としては当然だが。

30年と言う長さは
一方、慣れを呼ぶ。
いい意味と悪い意味がある。
こなれてくるとともに
新鮮さを失う場合もある。

例えば常連の観客ばかりだとしても
毎年違うのだ。
毎年変わる。
変化する。

共演相手が変わるばかりではない。
実際昨年と場所が変わった。
足を運ぶ観客の状況も変わる。
もちろん演者自身も変わる。

観客はその変化を見届けるのだ。
歌を通して。
オリジナル曲だったとしても
他人が作った歌だとしても。


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