路上演劇祭Japan in 浜松2009(サザンクロス) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

路上演劇祭浜松実行委員会では、関係者の間の連絡をメーリングリストで行っている。
5月31日に予定されている路上演劇祭Japan in 浜松2021のために話し合いをしている最中。
思い立って、「1枚の写真」というタイトルの投稿をした。

知っていることを伝えたいという気持ちと自分の中でも学びなおしたい気持ちと。
2009年から、2020年まで続く。


【路上演劇祭Japan in 浜松2009】

本来、元イトーヨーカドーがあった場所の前のアクアモールで行われるはずだったのですが、朝、雨が降っていたため、雨天時予定していた砂山銀座サザンクロス商店街で行われました。

写真は浜松ヒストリーワークショップパート2 with 浜松NPOネットワークセンターによる「ぼくらのひいおじいさんは日本兵だった」。
パート2というのは2001年に続いて、という意味かもしれません。

東京からいらした演劇デザインギルドの成沢富雄さんや蟹谷怜子さんの指導により何回かのワークショップを経て、作品作りが行われました。
ディマスというインドネシア出身の若者の実話が、ワークショップの過程で発見され、台本の種になりました。

外国人の中に何人かの日本人が加わったという多文化共生のグループで、単純に仲良くやろうぜの内容ではなく、両者の複雑な関係性を描いたテーマでとても見ごたえがありました。

僕はMCをやらせていただいたのですが、参加団体のことくらい知らなきゃと思い、演劇祭当日の1週間前、ワークショップの見学に訪れました。
前日、自分が参加している団体(いわた表現の会からころ)の公演が終わり、のんきに見学していたのですが、成沢さんに突然、第2次世界大戦の終戦を告げる天皇の玉音放送を読み上げる役をやってくれないかと頼まれました。

戸惑いしか感じませんでしたが、台本読みながらでいいということでしたので、渋々了承。
でもそのわりには、当時のラジオを模した段ボールの看板を首からぶらさげ、「ギーギーガーガー」と雑音など入れながら、演じることになりました。

ギーギーガーガーと予定にない擬音を言っていたら、演じていた成沢さんが僕が出番を忘れたと思ったらしく、促すような言葉をかけてくれました。
ギーギーガーガーの工夫はまったく効果的ではありませんでした。(ミスでもないが)

写真はどなたかにいただいたものです。
朝の雨は、11時のスタートからほどなくしてやみ、光がさしていました。
それでも結果的にアーケードがあるサザンクロスはとてもやりやすい場所だったと思います。

路上演劇祭Japan in 浜松2009(サザンクロス) 1枚の写真



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