鴨江アートセンターで「浜松ちまた会議」シンポジウム2022を聞いた

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3月5日(土)13時30分~

イベントタイトルは、
『まちづくりを考えたら、福祉にたどりついた』

第1部13時~15時 「障害者の都市生活と地域共生社会のこれから」

・活動報告「地方の中心街地と障害者」 たけしと生活研究会
・レクチャー「地域共生社会の現在地とこれから」 本後健
・トークセッション「障害者が地域共生社会で担う役割」 小松理虔×本後健×久保田翠

第2部15時10分~18時40分 「まちづくりを考えたら、福祉にたどりついた」

・「浜松ちまた会議」の紹介
・事例発表
①FUSE Co-Startup Space&Community
②浜松まちなかにぎわい協議会
③みかわや| コトバコ
④株式会社HACK
⑤NPO法人 遠州精神保健福祉をすすめる市民の会
⑥一般社団法人 みらいTALK
・「街に込める想い~地域共生社会の実験場として街を考える~」 久保田翠
・トークセッション「まちづくりを考えたら、福祉にたどりついた」 小松理虔×竹村利通×本後健×辻村磨×久保田翠

「まちづくりを考えたら、福祉にたどりついた」という議題に対し、
福祉=まちづくり、は当たり前のことだという発言が登壇者からあった。
僕もそれはそうだと思い、以下、連想した空想話を思いつきのまま書く。


独裁者がまちづくりをすると、自分が思うとおりにしようとするので、
考えが違う人は、とても生きづらい。
心の中とは違っていても仕方なく言うことを聞いたふりをしている人は、
精神衛生上苦しいし、いつも叱られないかとびくびくしていなければならない。
他国が気に入らず思うようにしようとすれば、攻め込むし、
自国の人間が犠牲を払おうとも、大義の為と気にしない。

ただし、もしも、タケシがまちづくりをしたらどうだろう?
ここに、彼をキングタケシと名付けよう。
キングタケシは自ら望んでなったのかはわからないが、
福祉の申し子なので、できることもあればできないこともある。
できないことは、まわりの人がなんとかしなければならない。
でも、キングタケシのためだから喜んでする。
もしも独裁者だったら、苦しんでしなければならない。

キングタケシが納豆が大好きなら、
臭いがどうしてもダメで、自分は食べられないにしても
納豆自体は肯定する。
納豆がなければ、キングタケシは存在できないかもしれないので、
何なら、納豆王国と命名することに賛同するかもしれない。

キングタケシにとって、あちらこちらにくまなく、少量の小石が必要なら、
国民である以上、キングタケシが通りそうなところに、少量の小石を置くだろう。
キングタケシが歩きそうなところ、すべてに置かなければならない。
それはつまり、あらゆる場所を指す。
行けない場所は誰かが手を差し出すし、
大名行列が通る時のように道を大きく開けるだろう。

少量の小石は悪い奴がいても、そんなには盗まれない。
これが、少量の金貨だったら、たちどころに盗まれるだろう。
どこに現れるか予測できないキングタケシが小石を持ち出したとしても、
どこかで拾っておいた分を補充しておけばいい。

小石と小石は手のひらの中で、ふれあって、
魔法のリズムを刻む。
缶に入れれば、金属音と相まって、音はおのずと増幅する。
勘のいい人間は、それが楽器というものの始まりであることを思い出す。

それは、キングタケシが推奨していることなので、
子供たちは例外なく真似をし、
忙しい大人たちも子供が倣うのなら、やらざるを得ない。
この程度のことで、うまくいくなら別に抵抗するほどのことでもない。

国中で鳴る音が、小石と小石が触れ合う音になる。
それはやけに真剣にやるので、
車を運転することもできないし、
他の仕事もできないし、
趣味や遊びもできなくなる。

キングタケシのやることだから文句は言えない。
かと言って、我慢しているわけではない。
それはあちらこちらでうねりとなって、広がっていく。
山で川で海で湖で、街の中で。

ただし、キングタケシはやめるのも早い。
次の行動に移れば、
みんな小石をその場に捨て、
他のことをやることが出来る。
車の運転やら、
仕事やら、
趣味や遊びやら。

いつも間にか、
キングタケシを中心に世界中は回っていることに気付く。
そこに他国を攻めようなどという発想はない。

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