クリエート浜松で、劇+トーク「ブラジル×日本 融和のあゆみ」を観た

カテゴリー │演劇

3月12日(土)19時~20時30分

本来は、2月13日(日)第12回「はままつグローバルフェア」において14時~16時に上演される予定だったが、コロナの影響で単独上演として、この日に延期となったようだ。

19時~というのは、イベントとしては遅い時間だなと思ったが、
製造業の町、浜松は土曜日が仕事の会社も多い。
週休2日制が一般的と思われ、週休3日制の話も耳に入るが、
実質、週休1日の会社は少なくないのではないか。
もしかしたら、土曜日の昼間は仕事の方が多かったのだろうか?
リハーサルの時間も見込んでこの時間にしたのかもしれない。

開演前に、今回のイベントの紹介動画がプロジェクターで流された。
きっかけは、柳沢クリスチーナさんという女性が、自分たちのことを知ってもらいたいという思いで、演劇にしようと思いついたこと。
そして、周囲の人に声をかけ、上演が実現。
このエピソードに共感した。
2019年の外国人学習支援センターでの初演し、中学校での再演に続いての上演になる。

ただし、これが自分たちの友人の範疇で作られたのではなく、
主催は(公財)浜松国際交流センター(HICE)となっている。
そのことにより、できることも大きく広がったと思う。
アフタートークでも知ったことだが、
演劇の部分は、柳沢さんの生活の周辺のいわゆる演劇をやることに縁がなかった方々が担っている。
対して、音楽演奏や歌で参加するフルートとギターのデュオ・サミティはホテルなどで演奏するプロミュージシャンで、
劇中、挟み込まれる映像もアニメーションを使った見事な出来で、必要だと思う様々なスタッフに声をかけた様子がうかがえる。

今回の演劇に参加した理由を聞かれた時、
言い出しっぺの柳沢さん以外は、「柳沢さんに誘われたから」と答えていた。
つまり、柳沢さんが言い出さなければ、演劇をやるという行為が生まれる機会は訪れなかったことになる。
能動的にではなく、受動的に参加したことを照れ気味に主張しながらも
やったことに何の後悔はなく、むしろ誘ってくれてありがとう、という気持ちが言外にあふれ出る。

中心となるのは柳沢さん他、ブラジル人ママグループ「セメンチーニャ(小さな種)」で、そこに日本人たちも加わる。
日露戦争後、1907年、日本人を対象とした新移民法が、ブラジルで成立し、多くの希望者が集まり、
1908年から、船でブラジル移民が始まる。
1回目は1908年4月28日、781人の移民が、「笠戸丸」で神戸を出港、シンガポール、南アフリカを経由し、
6月18日、サンパウロ州サントス港に到着。51日間だ。
一時の中断はあったが、1934年までに10万人を超える日本人が、ブラジルに渡ったようだ。
そして、原始林を開拓し、コーヒー栽培など、農業を興したり、また、様々な職業についていく。
違う国の文化や風習や人に戸惑ったり、悩んだり。

そしてその後、彼らの子供たち、孫たちが、渡っていった時とは反対に、
仕事を求めて、日本に渡ってきたりする。
今度はおそらく飛行機で。
日本からブラジルの直行便はなく、アメリカ経由で25時間~、ヨーロッパ経由で34時間前後、中東経由で28時間前後ということだ。
そして、やはり違う国の文化や風習や人に戸惑ったり、悩んだり。

そんな日本人のブラジル移民から始まる、現在の自分たちまでの歴史や思いを演劇にする。
過去から今に至る短いエピソードがいくつか連なる構成である。
ブラジルに渡ったおじいさん、おばあさんたち、
それらが実際の写真も交えて紹介される。
船で渡る様子は赤い太陽が印象的なアニメーションで表現される。

ブラジルのお店でのエピソード、
コーヒー園で働くエピソード、
そして、日本に渡る子供や孫たち、
東京に来て、富士山を見て、アクトタワーのある浜松にやってくる。
町内でのゴミ出しのエピソード、
学校での先生との子供たちのエピソード。

演奏は、日本の歌とボサノバ。
「涙そうそう」や「さとうきび畑」、沖縄っぽい音楽がよく似合う。
日本の最大のヒットソング「上を向いてあるこう」も。

上演後のトークも客席から発言される方は当事者であるからかもしれないが、
実に真剣に自分のことのように演劇を観ていて、思いがよく伝わって来た。
これは本当に演劇の役割だと思う。

出演者の一人が、自分たちがやったことを言い表すのに、すぐ言葉が思い浮かばず「劇を・・・」と言ったが、
「演劇」という言葉があることを知ってほしいと思った。
例えば、歌を歌うことや楽器を弾くことに、「音楽」という言葉がある。
絵を描くにも「美術」という言葉がある。
いや、もちろん知らないというより、今まで使う機会がなかったというのが正しい気がした。
まわりの日本人もあまり使わない。
意外と演劇は使い道の広さ、大きさの割に認知度が低いのだ。
でも、浜松って、劇場っていう名の施設はたぶんひとつもないんだよな。
ホールはたくさんあるけど。

ブラジル移民の歴史の話は、2009年に砂山銀座サザンクロス商店街で行われた
路上演劇祭Japan in 浜松において、「エミリオ一座」というグループが「ふりかえれば!」という、
2008年に移民が始まって100年の歴史にまつわる短い演劇を上演したことがある。
僕はそれも思い出した。

最後にトークの司会の方が、学校を回ったり、ブラジルでも公演をしたいと夢を語った。
ぜひ応援したい。

クリエート浜松で、劇+トーク「ブラジル×日本 融和のあゆみ」を観た

追記

クリエート浜松で、劇+トーク「ブラジル×日本 融和のあゆみ」を観た

入場時、ブラジル国旗と日本国旗のデザインが両面に印刷されたうちわをもらったが、
ブラジル国旗に、「ORDEM E PROGRESSO」と言う文字が刻まれていることに気が付いた。
調べたら、「秩序と進歩」という意味
緑は森林
黄は金・鉱物資源
白は平和
青はブラジルの空
円内の27個の星は、ブラジルの26州と1連邦直轄区を表している。



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