シネマe~raで「戦争と女の顔」を観た

カテゴリー │映画

9月11日(日)11時55分~

原案は「戦争は女の顔をしていない」
というスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチというウクライナ生まれの女性作家による本。
ソ連時代、第二次世界大戦で100万人を越える女性が従軍し、
そのうち5百人以上の従軍女性に取材して聞いた話をまとめた。

日本では漫画化(作:小梅けいと 監修:速水螺旋人)もされている。

映画の監督はカンテミール・バラーゴフ。
30歳を越えたばかりのロシアの男性映画監督。
原案の本に衝撃を受け、映画を撮影したということだが、「原作」ではなく、「原案」という表記であるように
予測していたのとは違った。
先ずは、戦争の場面がひとつもない。
それは監督が意図したものだろう。

そのように監督自身がこう撮ろうという意図が
カットの一つ一つに込められている気がした。

これは元々のテーマの重さのせいかもしれない。
映し出されない戦場がびっしりバックグラウンドとして張り付いている。

この集中力は監督の体力的な年齢の若さもあるかもしれない。
この映画は2019年の作品で、1945年のソ連・レニングラードを舞台にしている。
半年前ロシアがウクライナに侵攻し、
監督はロシアからアメリカ・カリフォルニアへ脱出したそうだ。

音の使い方も意図が明確だった。
きしむような異様な音により映画が始まる。

それは主人公である看護師イーヤの全身硬直の発作から生じる音だった。
同じ医療従事者である同僚たちはいつもの発作なので、落ち着くまで静観している。

映画の中で使用される音楽はダンスの場面やラジオから流れるクラシックと
生活の中での音楽のみ。

病院には戦争は終わったが、戦傷者たちが入院している。
イーヤには小さな男の子がいて、
若い戦傷者たちの人気者になっている。

そこで悲劇的な事件が起きる。
そして、男の子の実際の母である
女性兵士であったイーヤとの戦友マーシャが戦場から帰って来る。

イーヤの発作は戦争体験による後遺症だった。
痛んだ身体から発する心の叫びのようなきしむようば音。
その音を監督は意図をもって効果音のように使用する。
その音はそのほかの場面でも幾度となくイーヤの身体から発せられる。

観客はきしむ音を聞くたび
イーヤの戦争がいつまでも終わらないことを知る。

色の使い方も明確だ。
チラシは誰かの手が、イーヤの顔を
しかも呼吸ができない鼻と口をふさいでいる写真。

緑の袖の服を着ているのはおそらくマーシャだろうが、
それは“誰”というのではなく、イメージかもしれない。
対するイーヤは赤のタートルネックのセーターを着ている。

赤と緑が映画中、印象的に使われている。
イーヤが戦争の後遺症を抱えているだけでなく、
マーシャも抱えている。
極度の疲労による鼻血。
血の赤。
マーシャはイーヤが住むアパートの壁を緑のペンキで塗りたくる。
戦傷者たちがいる病院の内装は緑。

赤と緑に託された意味はさまざまあると思う。
イーヤは象徴的に時には赤の時には緑のニットセーターを着る。

対照的な存在として描かれていると思ったのは
マーシャが病院に食糧調達で出入りする冴えない男にプロポーズされ、
彼の家に両親へのあいさつに行く場面。

雪道を呼吸荒く歩く白い犬。
高貴な女性に連れられていることがわかる。
散歩に出ていたらしく豪奢な家に戻ってくる。

実はそこが冴えない男の家。
犬を連れていたのは男の母で、
連れていたマーシャを見て、帰るように言う。

結婚を認めてもらうためにやって来た男は諦めず、家に上がり、
男の父も交え、食事をすることになる。
男の母はマーシャにこれまで何をしていたのか聞く。

マーシャは軍隊にいたと答える。
男の母は男性兵士の慰めの役割をしていたのだと判断し、気の毒がる。
マーシャは前線で戦う女性兵士で、度重なる負傷で、子が授からない身体となっている。
しかし、マーシャは男の母の言葉を否定せず認める。

男の母は、夫の高い身分から、戦場と関わる可能性などまったくない立場。
直接戦争の痛みを知らない立場は、時として無知ゆえの差別意識を生む。
「戦争が終わってよかったわね」
マーシャにとって皮肉な言葉。
マーシャにとっての戦争は終わっていない。

男の母は、マーシャの息子とは結婚できない理由をたたみかける。
身分が違うこと、
そして息子は身分が高いのみだけでなく、
異性にもモテモテであんたなんか相手にはしていられないと息子自慢。
実際は自分に自信がなくて、女性ともまともに口がきけないような男。
それがマーシャによって切り開かれたので好きになった。

それを丸ごと否定され男はきかん坊の子供の用に食卓をバンバン叩く。
マーシャは鼻血を出す。
マーシャは出ていく。
父は食事をやめず、戸を閉めるように言う。
部屋の外から犬の激しい鳴き声が聞こえる。
(覚書の為、描写の違い、書き切れていない場面あり)

映画の中で僕はわからなかったが、
他の方の記事で、この家が党の幹部の家だったそう。
特徴ある顔立ちの息子と父親を演じる俳優が妙に似ているのがリアリティがあった。

非常時ゆえ格差が際立ち、
当時のソビエト連邦の全体像をあらわしている場面だと思った。

犬が印象的だったので犬種を調べたら、
おそらく“ボルゾイ”。
見事なほど場面にあった犬種。
これも監督の明確の意図だろう。

映画の終わりに希望はあるのだろうか?
登場人物たちは映画の時間を通して変化したのだろうか?
思いは映画館を後にしてからも残る。

137分の上演時間、僕が途中で時計を見なかったのは実は珍しい。

シネマe~raで「戦争と女の顔」を観た



同じカテゴリー(映画)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
シネマe~raで「戦争と女の顔」を観た
    コメント(0)