福祉交流センターで映画「ひろしま」を観た

カテゴリー │映画

11日(日)17時~
浜松市福祉交流センター
第二次世界大戦終戦から8年後、1953年公開の映画「ひろしま」
広島の市民ら約8万8千人が出演し、原爆が投下された直後の惨状を再現した。
とチラシにある。
被爆者の方々の体験を集め、映画の内容に反映したそうだ。
そのため、このような悲劇が起こった時、何が起きるのかよくわかる。
出演者たちの演技は現場の雰囲気や原爆の記憶もまだなままなしいことからみな真にせまっている。
顔にはすすを塗りたくり、ばらけた髪とぼろぼろになった服を着、命からがらさまよう人たちを演じる。
肉親を求め、水を求め、安心できる場所を求め、ひたすらさまよう。
この映画は完成後GHQにより、封印され(反米との烙印を押されたか)59年ぶりに初上映とある。
上映のきっかけはもちろん、大震災と原発事故による。
人々が逃げる様子は大津波と重なる。
「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」を日本教職員組合が映画化を決定したそうだが、今、何を伝えるべきかによりつくられた映画にほかならない。
今、何が上映されるべきかにより上映された上映会。
もちろんそれはあるひとりの行動から実現する。
今、何を伝えるべきか。
これは作る時、つねに問うべきことかもしれない。

この日は有楽街→舞阪文化センター→福祉交流センターと3か所を渡り歩く。
行動は(家から自転車)有楽街(自転車で家)→(家から車で)舞阪文化センター(車で家)→(家から自転車)福祉交流センター(自転車で家)。

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